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車のトラブルが多い人生を送ってきました-車屋失格-①

2006年の春
高校の先生との面談中にこう質問された。

「将来やりたいことあるの?」

「どんな仕事に就きたいの?」

「今後のやりたいことは?」

18歳の自分にはこの答えを出すことが出来ずにいた。

高校生の自分は自宅から自転車で30分
電車で10分かけて
自宅から10km以上離れた私立高校に通っていた。

マンモス校と周りから呼ばれている学校で
福岡市内外含め色んなところから学生が通っており
1学年のクラスは19クラス、生徒は800名以上の学校だった。

自分が高校を選んだ理由は
中学校時代にやっていたバスケを高校でも続ける!
という理由だった。

だが、志望していた公立高校には合格できず
私立の高校へと進学したのだが高校の部活の厳しさを
全く知らない自分は

「私立だろうと関係ない!」
「バスケも勉強も頑張るぞ!」と意気込んでいた。

しかし、高校のレベルの違いを目の当たりにした瞬間
自分は今までの考えが変わり部活をするということを諦め
理想としていた高校生活とは180度違う高校生活を過ごしていた。

挫折から始まった高校生活でも
高校卒業の進路を決める時がやってくる。

進路を決めるというのは大きな節目だが
自分のクラスでは真剣な顔をして
悩んでいる生徒が少なかった。
それもそのはず
自分のクラスの7割は付属校推薦で大学を決めるので
大きな決断なわけなかった。

だが自分の中では

”決められた人生は嫌だ”

と思う日々が続いていた。

そして、先生と進路の面談の日が訪れた。

「白田はどこの大学を目指すんだ?」

「付属校推薦で大学に行くのは嫌です!
 自分は普通に受験して目標としている大学を受験します!」

その発言を聞いて先生はこう答えた。

「なら、将来白田は何になりたいんだ?」

60を過ぎたおじいちゃんのような
先生なのにその時だけは目にグッと力を入れ
自分の方を見ていた!
その言葉を聞いた瞬間

「・・・特にやりたいことは決めてません。」

「そうか、なら自分がやれることをやってみろ」
そう言葉を放って先生との面談は終わった。

”将来”という言葉に
正確な答えが出すことが出せずにいた。

それでも附属校推薦で大学を決めるのではなく
希望している大学を受験しようと心に決めたからには
合格する為に勉強を続けていた。




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