見出し画像

酒好きになり店を出したら人に騙され人に救われた話⑩

西日本シミズでのバイト三昧生活は続いていた。
コンサート班と野球班のチーフを
兼任させてもらう立場にまでなっていた。

チーフになると
"自分で動かず周りのアルバイトの方をどう動かすか。"
この考えを常に求められた。

"自分でやれば早い"ことも
"他の人を使って動かす"ということを
徹底的に教え込まれた。

むしろ、自分でやると怒られたくらいだ
徹底的に"自分で動くな"を教え込まれた。

それでも、"高校の負けない何か"を
探していた私にとっては
"何としても食らいつきたい場所"
"何かを学べる場所だった"

長くアルバイトしていると
西日本シミズのアルバイト形態も
徐々に理解できた。
その実態は、登録人数が常に2000人以上いる
オリンピックなども担当する警備会社だった。
その警備会社がイベントの案内なども兼務していることがわかった。

大学を落ちた私にとっては勉強より
西日本シミズのアルバイトを本気でやる
ということが当たり前になっていた。

授業も必修以外は午前中に詰め込み
福岡であるホークスの試合は
大学2年から全て携わった。

そうすると、大学でも弊害がおきる
福岡大学というマンモス校の中で
知らないバイトの子から
挨拶されることが増えたのだ。

「こんにちは!」
「...。」

無視したわけではなかった
まさか自分が声をかけられてるなど
微塵も思っていなかった…

後日、アルバイト中に
その声をかけてくれた子から
「福大いましたよね、挨拶したんですよ」
などと言われて、初めて気がついた。

"福大で知らない子から挨拶されたらしっかり挨拶を返そうと…"
そうやっていろんな方に挨拶をするようになった。

大学3年になった頃には
大学で唯一、野球とコンサートの
アルバイトチーフとして認識され始めた。

バイトをこなす中で
決まって仕事終わりには飲みに行く!

これが定番となっていた。
六本松を中心に
"屋台屋ぴょんきち"
"灯楼"
この2つにも頻繁に飲み行ったのだ。

そこで繰り広げられる
素晴らしい接客と味に"飲食店"という
存在に魅了されていた。

そんな生活をこなす中で
国家公務員の試験を本気で
勉強していた男に気持ちの変化が現れる
"こんな店を出したい"

そんな思いから自分で飲食店が
できないか真剣に調べた。

それまでは独立志向など何もなく
適当に生きてきた男が本気になった瞬間だった。


それでも居酒屋を出すのは夢


現実は、どこかの会社に勤める
もしくは公務員として働く。

この2択の中で
居酒屋という選択肢は極めて可能性の
低いもののまま、大学4年の冬を迎えていた。



この記事が参加している募集

自己紹介

スキしてみて

最後まで読んでいただきありがとうございました。記事が気に入ったらシェアやいいねをしてもらえると嬉しいです。