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「トリグナを体験しよう!」綿本彰先生

( クリパルヨガ教師、松倉福子さんによる開催レポートです。)

緊急事態宣言が空け、一息ついた10月2日。Teachers&サンガ新社共催『ヨガの世界観をカラダで味わう』という、何とも贅沢な連続講座がスタートした。

第1回は綿本彰先生の「トリグナを体験しよう!」

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クラスの最初にセンタリングで体を整え10回程呼吸してご挨拶を終えた時、既に私は綿本ワールドにすっぽりと惹きこまれていた。声が本当に素敵な方なのだ。オンライン受講の場合、声の質感や響きがその場に安心していられるかどうか、大きなウエイトをしめる。先ずは講義から始まった。


「トリグナ」とは?

トリとは3つ、グナとは性質のこと。
つまり、「3つの性質」という意味だ。

この宇宙(世界)は3つの性質で構成されている。私たちが見聞きするあらゆる存在と現象(森羅万象)のすべてである3つの性質は、私たちの心が持つ3つの性質であると言える。これらを深く理解することが、ヨガを理解することにつながる。

そしてトリグナの三つとは? 

ラジャス(動質、変化させようとする力)
タマス(鈍質、不活発で動きが鈍いもの)
サットヴァ(純質、ラジャスとタマスがバランスを取るとき訪れるもの)

この世界を2極で捉えるのは簡単だが、なぜ3つなのかという問いかけから、綿本先生独自のトリグナ論が展開される。

ラジャスとタマスにはそれぞれ悪い面と良い面がある。

ラジャスの場合は欲望と結びついた「エゴ、強制、緊張、衝突」が悪い面となり、それらが目標を持つとき「活力、覚醒、関心、集中」が良い面として現れる。

タマスの場合は「怠け、無気力、無関心、惰性」が悪い面となり、「脱力、放棄、無私、尊重」が良い面として現れる。

ラジャス、タマスがバランスを取るとき、これらの良い側面の性質がそのままサットヴァにTUNEするのである。

実際に今回カラダを動かすなかで、「もうここまで!」という通常の領域を超えるポーズやクンバカでラジャスの体験をすると、確かに集中して生き生きとカラダを感じた。そして仰向けで深い寛ぎのポーズでタマスの体験をすると、私のお腹はすっかり緩んで寛いでキューっと音が鳴った。


どうすればサットヴァにTUNEできるの?

私たちは殆どサットヴァにはいられないから、「ラジャス」と「タマス」の両極を、或いは「たゆまぬ努力(アヴィヤーサ)」と「放棄すること(ヴァイラーギア)」の両極を反復し何度も何度も行ったり来たりことによって、サットヴァを体験することが出来るのだという。

「ヨガとは心の働きを死滅することである。」・・・ヨーガ・スートラ(1.2)

ラジャス、タマスの両方を知り、今自分がどこにいるかを知り、時として正反対の要素を加える。それは1回のプラクティスかもしれないし、人生のプラクティスかもしれない。

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実技編

グナを意識して、ラジャスとタマスを交互に同時に体験しながら、自分のカラダと深く向き合っていくヨガを行った。

ラジャス的な力みがあってもいいから、シャキッとして、イキイキしている自分を感じる。
タマス的にボーっとしていていいから、背負っているものを下ろし、ありのままの自分を受けとめ、この世界をただ感じる。

この2つを交互に行ったり来たり・・・そして一瞬訪れるサットヴァをとらえて、カラダで深く味わうのだ。


さて、この実技編の中で私自身がキャッチした、トリグナを体験するうえでヒントとなりそうな言葉をいくつかご紹介しよう。

・胸の奥からスマイルを放つように手先から光を放つ。
・股関節を点で感じる。
・口からグワーと(声を出し)覚醒する。
・ここがゴールなんて決めない。非日常まで。
・今この瞬間をありのまま無防備に感じることが出来ている。
・一瞬一瞬を全力で丁寧に生きる。
・この世界は勝手に動いている。
・そんな世界を時々美しいと思える。

綿本先生から次々と繰り出される言葉は、相反する矛盾を超越しながら、カラダはそれを受けとめ、もう一つ先の何かを掴もうとしていた。頑張っても、手放しても、ちっとも進歩がないと感じていた自分にありのままで無防備で、この世界のやさしい見方を伝授してもらったような気がした。
ほんの一瞬、サットヴァが見えるように。

文責:松倉福子

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米国クリパルセンター公認ヨガ教師(500時間)/マインドフルネス瞑想指導/朗読家。https://fukuko.yoga/

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