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亡き父との思い出、雪の情景


数年前に親父が亡くなった。
 
その時は悲しいよりも、正直ホッとした。お酒におぼれてロクに仕事もせず、日々母が苦労しているのを見ていたから。
 
 
高校を卒業したのち、私は大学進学のために上京した。
 
都会に憧れていたわけではなく、とにかく田舎を出たかった。窮屈きゅうくつでイヤなことばかりだった田舎から、一日も早く出たかった。
 
小学校低学年から小学五年生までイジメられていたのもあるが、中学に入ったころから、家では親父とはほぼ毎日といっていいくらい言い争いをしていた気がする。
 
反抗期だったともいえるが、とにかく気が合わないのだ。
 
親父は三歳の時に母親を亡くしている。父ひとり子ひとりという生活で、なおかつ相当貧しい暮らしだったため、中学校の修学旅行には同級生のカンパで行くほどだった。そのため高校へは行けず、中学を卒業してからはずっと働いていたという。
 
そんな親父だからか、私が大学へ行きたいと言った時は猛反対された。「高校出れば十分だ!」と。しかし母の説得や親父の友人知人の後押しのおかげで私はなんとか大学に行くことができた。
 
閉塞感としがらみしかなかった田舎を出られたこと、そしてりの合わない親父と離れられたことが嬉しくて、ホームシックになることもなかった。
 
けど・・・親父は違った。私が実家を出てからすっかり元気をなくしていたことを、のちに母から聞かされた。
 
都会での生活は毎日が刺激的だった。もちろんイヤな思いをすることもあったが、それ以上に楽しいことにあふれていた。
 
そして、親と離れて生活するようになっていろんなことに気づかされた。
 
食事だったり、掃除とか洗濯とかお風呂とか。そして、何かの勧誘にどう対処するとか、日々のさまざまなことをずっと親が当たり前のような顔をしてやってくれていたことに感謝する自分がそこにはいた。
 
ただ、親父の酒癖だけはいつまで経っても治らないどころか、どんどんお酒に依存するようになっていた。その愚痴を母から電話でしょっちゅう聞かされることだけはついに最後まで慣れることはなかった。
 
母は限界に近づいていた。そんなタイミングで親父が救急車で病院に運ばれた。おそらく、もってあと一週間だろう・・・病院から母が私にそう告げた。
 
律義りちぎさだけが取り柄とりえのような親父は、律儀にも本当にその一週間で旅立った。あっけない最期だった。
 
これでもう母の愚痴を聞かなくていい、これでもういろんな心配をする必要はなくなった・・・正直私はホッとした。
 
けれど、葬儀で親父を見送るとき、私は泣いた。
 
悲しかったからではない。さんざん周りに迷惑をかけた親父だったのに、泣いてくれる人がいる。そういう人を苦しめて自分勝手に死んだ親父に対して、何でそんな生き方しか出来なかったんだよ!という怒りと悔しさからの涙だった。
 
ただただ親父を情けなく思った。
自分は絶対こうはならない、そう誓った。
 
私はほとんどお酒を飲まない。それは酒に溺れて身を滅ぼした親父を憎み、そしてどこかで軽蔑していたから。
 
「酒は飲んでも呑まれるな」ではなく、私はお酒が嫌いだ。

 楽しいお酒など、私にはない。
 
親父が亡くなっても私の生活は日々変わらず続いた。そうして親父のことは日に日に記憶から遠ざかろうとしていた。
 
そんなある冬の日、東京に雪が降った。少しだけ積もった。 雪国育ちの私は雪を見ると少しだけテンションが上がる。
 
普段見慣れぬ東京の雪に、通学途中の子供たちも心なしかワクワクしている様子。そんな子供たちを見ていたその時、ふっと思い出した。
 
私が小学校低学年の頃、雪で埋もれた通学路を親父がスコップを使って除雪し、学校までの道を作ってくれたことを。
 
「転ばんように気をつけて行けよ」
 
親父が笑顔で私を見送ってくれた。
 
泣けてきた。
悲しかったからではない。
 
嫌いだと思っていたはずの親父だったけど、思い出そうとすると、そんな何気ない優しさばかりを思い出してしまうその切なさに、私は泣いた。
 
心から憎んでいたわけではないんだ、そう思った。親父だって、私のことが憎くていろんなことに反対していたわけでなかったんだと、今ならわかる。
 
都会に出れば、イヤなことはたくさんある。傷つくこともあるだろう。ずっと田舎にいれば自分が守ってやれるのに・・・親父はそう思っていたのだろう。気持ちのやさしい人だったから。
 
例えばそれまで、別れた彼女とかケンカ別れした友人など、決別してもう二度と会わなくなってしまった人を思い出すとき、嬉しかったことや楽しかったことよりも腹が立ったことや悲しかったことばかりが思い出されてウンザリしていた。別れるというのはそういうことなのかな、そう思っていた。
 
なのに、親父だけは違った。
 
さんざんイヤな思いもしたし、ガッカリしたり怒ったり軽蔑さえしていたのに、思い出すのはなぜか嬉しかったことや楽しかったことばかり。
 
それを知ったとき、なんかよかったと思った。憎しみや悲しみでなく、幸せで楽しい記憶が親父の思い出として自分の心の中に残ったことが。
 
きっと、また雪を見れば思い出すだろう。
親父の笑顔とその優しい記憶を。
 
私にとって雪の季節は親父との季節。
今年はまだ、私は雪を見ていない。
 
今度、スコップを持った笑顔の親父に会えるのはいつだろう。

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