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約20年間通っていた美容室を変えた理由


今行っている美容室ヘアサロンあるいは理容室、通って何年になりますか?
 
私は今の美容室に行くようになってちょうど1年になりますが、その前の美容室には20年ほど行っていました。成人年齢の引き下げによって使いにくくなりましたが、少し前までは20年といえばこのフレーズ「生まれた子が成人になる」それほどの期間です。
 
気になりませんか?
20年通っていた美容室から今の美容室に変えた、その理由。
 
それはとても些細ささいなきっかけから起こった、とても大きな出来事でした。
 
20年通っていたその美容室は、ひとりの男性美容師さんがやっているとても小さなお店でした。
 
その美容師さんがとあるチェーンのヘアサロンで働いていた時に出会い、カレが独立することになったことで、お客だった私はカレについていくことに。それから20年、カレの美容室へと通うことになります。
 
そのお店はカレがもともといたヘアサロンからわずか100メートルほどの場所でした。私は美容業界に詳しいわけではないのでそれがアリなのかどうかはわかりませんが、結果としてカレは直前まで働いていたヘアサロンからかなりの数のお客さんを引き抜くことになったので、そこだけを切り取ったとしても礼節れいせつにはあまり重きを置かない人間性なのでしょう。
 
あるいは、そのくらいの図々ずうずうしさやメンタルがなければ成功は覚束おぼつかないということなのかもしれません。
 
私の家からカレの美容室までは徒歩5分、しかも私が最寄り駅やいろんなお店へ行く時に必ず通る街のメイン通りにあるお店だったことで、偶然必然含めかなり頻繁に会っていました。ときにはカレがお客さんを見送る場面で、ときにはカレが仕事を終えて帰るとき、そしてもちろん私が髪を切ってもらうときも。
 
さらにプライベートでゴハンに行くこともあるような関係性だったことも20年カレのお店に通うことになった理由の一つでした。
 
ただ、カレの美容師としてのスキルはあまり高くなかったように思います。というのも、ある部分だけ切り忘れていたり、左右の髪の長さが違っていたり、セットした髪型が死ぬほどダサかったり。年月を重ねるほどカレの技術は落ちていった気がします。
 
それでもお店がそれなりに繁盛はんじょうしていたのは、カレのちょっとおバカで憎めないキャラクターによって、固定客の多くが「助けてあげなきゃ」「ポンコツだからしょうがない」というある種の人助け的精神を持っていたか、あるいはお店を変えるのがおっくうだからという後ろ向きな理由で通っていたのか、私は後者でした。
 
すべての男性がそうだとは言いませんが、おそらく大半の男性は行き慣れた美容室、というか、いつも切ってもらっている美容師さんを変更することにかなり抵抗があると思います。
 
美容師さんが変われば「どんな髪型にします?」に始まり、お互いにどんな会話をすればいいか、パーソナルな情報にどこまで踏み込んでいいものか、など気疲れ要素が満載です。
 
いつも担当してくれる美容師さんなら「いつもの」で終わります。行きつけの飲み屋さんでカウンターに座るなり「まるおちゃん、いつものでいい?」とビールと枝豆が出てくるような、家に帰ったら長年連れ添った奥さんだからこそわかる感情の機微きび阿吽あうんの呼吸みたいな、まさにストレスフリーな関係。
 
あるいは、常連である気楽さやちょっとした優越感、そして変わらない居心地の良さみたいなものをよしとする男性は多いと思います。
 
その「長年連れ添った」美容室から、まだ見ぬ新しい美容室に変える日、それは何の前触れもなく突然やってきました。
 
2021年。
12月も後半に差し掛かろうとしていたその日、美容師のカレにLINEを送りました。カレは受付も置かず、ひとりでお店をやっているため、電話だと施術せじゅつ中にその作業を一旦止めなければなりません。その配慮から私はお店に電話することを控えていました。
 
数時間後にカレから返信がありました。予約が一杯で、次に予約が取れるのは一週間以上先の大晦日おおみそか31日、しかも午後の一枠しか空いていない、とのこと。
 
私は美容室に限ってのみ、先々の予約をすることがあまり好きでないため、それまでの20年は連絡した当日、遅くとも翌日には行っていたのに一週間以上先と言われて戸惑い、そして悩みました。
 
かといって、だったら別の美容室へ行くという選択肢はこの時点では微塵みじんもありませんでした。
 
数日後にちょっとした集まりがあり、どうしてもそれまでには髪の毛を整えたかったのに・・・一体どうすれば?

おそらく一時間近く途方に暮れたと思います。しかし、そのまま途方に暮れていても、日が暮れるだけで何も解決しません。
 
ただその時、私のなかでカレの美容室に通っていたその長い年月の間に浮かんでは消えていたいくつかの思いが集約され、一つのカタチになろうとしているのを感じていました。それは・・・
 
───美容室を、そして美容師さんを変えてみようかな。
 
20年という長い年月、カレと関わってきました。しかし、美容師としての腕はお世辞にもいいとは言えない。それに、ある時期からカレの人間性をどんどん嫌悪けんおしていく自分に気づいていました。
 
オンナ癖もよろしくないし、そして何よりも自分本位で私利私欲しりしよくのためにしか動かない典型的テイカーなカレ。このままズルズルと関係を続けていても私にとっていいことがないばかりか、いろんなコトやいろんなモノをすり減らすだけなのではないか。だとしたらここでその縁を切るべきなのでは?
 
予約が取れなかったことは、もしかしたら神様が私に「縁を切れ」と言っているのではないか、そう思ったのです。神様がわざわざそのきっかけを作ってくれたのなら、それを活かすも殺すもあとは自分次第。
 
そして、もし31日まで待つようなことになれば、もう自分は「このままの自分」として、ここで終わってしまうのかもしれない。
 
この時期、自分の「その先の人生」についていろいろと思い悩んでいたこともあり、身の回りで起きているいろんなことに意味を見出しながら、なんとか現状を打破しようともがいていました。そんな時に起こったこの「美容室事件」は、良くも悪くもわかりやすいカタチで自分の何かを変えるきっかけなのかもしれない・・・
 
ならば、善は急げ!
 
───とりあえず、ネットで検索してみよう。
居住エリアと美容室を検索ワードに入力しリサーチしたところ、「ホットペッパービューティ」なるサイトを発見。居住エリアの美容室の店舗数に驚きつつ、一軒の気になるお店を見つけました。
 
ネット予約が出来るのはもちろんですが、わずか1~2時間後には施術してもらえるということで、勇気を振り絞って行ってみることにしました。
 
初めての美容室に行くのは約20年振り。緊張しかありません。
 
名前を呼ばれて席へ。そこへ美容師さんがやってきました。そのお店はかなり多くのスタッフを抱えており、指名しなければその時間に空いている美容師さんが担当するシステムだったのですが、その日私を担当してくれたのは30代後半~40代前半ぐらいの女性でした。
 
具体的なことはえて端折はしょりますが・・・かなり微妙でした。「もしかして昔付き合っていて、私がこっぴどく振った彼女?」なぐらい歓迎されていない雰囲気と対応にえました。
 
もうこの美容室には来ないだろう・・・そう思いながらお店をあとにしました。
 
年が明けて2022年。
またたく間に再び美容室に行く時期がやってきました。前回のトラウマもあってなかなか美容室へ行く意欲が湧かず、もういい加減切らないと、というギリギリの髪の状況になっていました。
 
前回、新しい美容室に行くというチャレンジをしたものの、塩対応によって気持ちは沈んだまま。いろんな意味で自分を変えようと思ってはいたけど、美容室についてはやはり「元サヤ」が正解なのか?
 
いや、そんなはずはない!気力を振り絞り、あともう一度だけ頑張ってみようと自らを鼓舞しました。
 
もちろん、前回の塩対応を受けた美容室ではありません。別のお店を探し、その日の予約を取ろうとしたところ、なんとその日だけ予約NG。嘘みたいな話です。
 
翌日に予定があったため、今日どうしても髪の毛を切りたい!その願いで懸命に探した結果、その日に予約出来そうなお店が見つかりました。が・・・
 
前回と同じ美容室
 
もちろん、当日予約可能なお店は他にも数軒ありましたが、金額的なことや家からの近さ等々で考えるとやはり前回の美容室が真っ先に候補に挙がるのです。
 
でもなぁ・・・またあんな塩対応だったら、もう髪の毛は自分で切ることになってしまうかもしれない。そんな非現実的なことを思ってしまうほどネガティブになっていました。
 
ただ、前回の美容室はスタッフがかなり多い。だとしたら、指名なしで行ったとしてもまた同じ美容師さんなんてことにはならないだろう、そんな一縷いちるの望みをかけた、まるで危険をかえりみない冒険者の気持ちです。
 
前回以上の緊張感でお店に到着し、祈るような気持ちで「今日の美容師さん」を待ちました。永遠かのような数分ののち、
 
「まるお様ですね、こちらへどうぞ」
 
やってきたのは長身のイケメン。時節柄マスクはしていましたが、どう見ても爽やかなイケメンです。
 
席に座り、まずはそのカレと「どんな髪型にするか」について話をし、まとまったところで施術が始まりました。
 
あれ?お店間違えた??というくらい前回の美容師さんとの対応が違い過ぎるばかりか、一つ一つの動作そして言動があまりに丁寧すぎて逆に不安になるほどでした。
 
気遣いや心配りがあまりにナチュラルで、しかも技術的にもしっかりしている様子。それはド素人の私でもわかるような熟練じゅくれんさでした。
 
ただ、見た目はかなり若い様子。もしかして、技術は優れていてもまだキャリアが浅いから、ベテランの方以上に対応の良さを心がけているのかな・・・あれやこれやと考えていたらあっという間に施術は終了。
 
完璧な仕事をしたそのカレは、最後に素敵な笑みでお見送りをしてくれました。
 
あまりの対応の良さになんだか嬉しくなってしまい、家に帰ってまず最初にやったことはネットでその美容師さんの情報を検索。次回は絶対あの人を指名しよう!きっと新人さんだから、ひとりでも指名が増えたら嬉しいと思うし・・・などと思いながら、長身イケメンなカレのプロフィールを確認しました。
 
美容室のHPにて、今日私を担当してくれた長身イケメン美容師さんはすぐに見つかりました。
 
───えっ!?
 
新人さんではありませんでした。それどころか、まさかの副店長さんでした。
 
私は自分の「経験からくる常識」を恥ずかしく思いました。美容室でのあの接客や施術の丁寧さは新人だからこそ、と思い込んでいたのです。逆に言えば、それまで、ある程度立場のある人間はたいていちょっと偉そうで、仕事についても慣れからくるざつさやあらさ、適当さを感じたりすることが多かったのです。

こんな素敵な予想の裏切り方、反則です。
カッコよすぎるし、素敵すぎます。
 
もちろんカレは仕事ですから、社交辞令しゃこうじれいもふんだんにまじえ、お客さんをいい気分にさせてお金を落としてもらおうと頑張っているだけかもしれません。しかし、問題はそれを受け取った客側である私がどう思ったか、です。
 
私がとても気分良く、幸せな気持ちになったのなら、商売としてはそれが正解なのです。久しぶりに接客のプロに会った、と思いました。

そして、カレのおかげでその美容室が私にとって「通いたい美容室」になったのです。
 
塩対応の先にあった、甘くて優しい神対応。
 
好転反応という言葉があります。
東洋医学では瞑眩めんげん反応、症状が良い方へ転ずる時に起こる一時的な身体の不調のことをいいます。体内から毒素が抜ける過程で起こる一時的な不調です。
 
良くなる前に一度悪くなる状態・・・「好転反応」はさまざまなシーンで使われます。
 
かなり飛躍した考え方かもしれませんが、私は一連の「美容室事件」が、自分の今後の人生における「好転反応」の一つなのかもしれないと思いました。
 
20年通っていた美容室を変えるというのはなかなか勇気がいることです。そしてそれは約20年付き合いのあった人との決別でもあります。
 
実際、美容室を変えて以降、そのカレとは一切連絡を取っていませんし、今後取るつもりもありません。
 
美容師としての技術も人間性も好きになれなかったカレとの決別から一年が経過した今、慣れや惰性の怖さ、そして自分の勇気のなさを猛省もうせいしました。
 
ちなみに「元カレ」の美容室、実は私が行かなくなる直前に街のメイン通りから、かなり奥まった住宅街へと移動し、お店の広さも半分ほどになっていました。コロナ禍で美容業界も大きな打撃を受けましたが、カレのお店もそうした影響で、家賃の安い場所へと移転していたのです。
 
それまでは偶然会うこともしょっちゅうでしたが、それ以降はエリア自体が違うこともあって全く会わなくなりました。もしかしたら、そのあたりから私とカレの決別は神様にとっては既定路線だったのかもしれません。
 
ちなみに料金面でもメリットが。ほぼ3割ほど今の美容室は安いのです。安いし腕はいいし、それに家からも近い。「いいことづくめ」とはまさにこのこと。
 
20年いたその場所から離れて私に見えたもの。
慣れ親しんだ場所で慣れ親しんだ友人とずっと一緒にいることは楽しいでしょう。もし、本当に楽しいのならそれでもいいと思います。
 
しかし「敢えて波風を立てたくないから、ちょっとぐらいのイヤなことなら我慢しよう」「自分さえ我慢すれば丸く収まる」そう思っているのだとしたら、本当にそれでいいのでしょうか?
 
実は私自身、「美容室事件」より前から、これからはプライベートでは付き合いたい人とだけ付き合っていこう、という思いを持っていました。けれど、どこかで躊躇ちゅうちょして保留にしていた関係があったことも事実です。
 
今はもう吹っ切れて、日々「人間関係の断捨離」をしています。もちろん別れだけではありません。断捨離をして空いた「その場所」に誰かが入るスペースが出来たことで新しい関係が生まれてもいます。
 
そして「人間関係の断捨離」をしていく過程で気づいたことがあります。
 
断捨離するか否かを保留していた人の多くは、そのほとんどが相手の肩書だったり、自分にとっての損得で繋がっていただけでした。
 
「人間関係の断捨離」だと思っていたことは、実は「自分の浅ましい欲望を断捨離すること」だったのです。
 
何が大切なのかよく考え、選び、足枷あしかせになるようなものはすべて捨ててしまう。誰かの機嫌を取ることよりも、まずは自分が自分らしく好きな自分でいられることをする。
 
それが今後の私の人生にどう奏功そうこうするか、答え合わせはずっと先になるかもしれませんが、今はなかなか清々すがすがしいです。

2023年2月、来週美容室へ行くのを楽しみにしている私です。

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