呼吸の仕方の話

「誰かに作ってもらって誰かと一緒に吸うシーシャが1番美味しい」

そのままの意味で、料理と同じくお店の雰囲気やシチュエーションによって味が変わるような感じがするのはシーシャの魅力的なところだと思う。

ここのところ私は美味しくシーシャが吸えていない。
それはお店の提供するシーシャが不味いのではなく、私が現在置かれているシチュエーションがそうさせている気がする。

6月。会社側から「一身上の都合で退職と書いてください」と言われ、薄い紙切れに判を押し
私が目指した夢が少しだけ欠けたような気がした。

「最近なんだが上手くいかない」

職を失い手にしたのは有り余る時間とその中で減り続ける口座残高と襲いくる自責の念、自分自身が創り出したネガティブな目で見つめる世間の目。

こんなに沢山いただいてしまって満足すぎる。
どうかこれ以上はお腹一杯だからもういらない。

梅雨になったのは窓からの景色だけではなくて、私の心にも大粒の雨が降る。
退職したその日は枕元に温度のある雨を降らせた。

無職の自分は世間から「溺れた人」扱いをされているような気がして、就職活動をしているときだけ底無しの水たまりから顔を出し精一杯息をしているような感覚がする。

行きたい企業から不採用の通知が来たときは頭を掴まれ再び水の中に沈めさせられるような感覚に陥る。
その手をどけてほしい、上手く呼吸ができない。

私は息をするために外へ出て人に会う。
好きな人達との会話はなんだか呼吸が軽い。

ただそれゆえ好きな人達の日々への頑張りや夢が見えると
何も出来てない自分は突然間違って毒を吸い込んだような苦痛を覚える。

私はそんな日はシーシャが置いてある店に行く。
個人的な思いではあるけど、シーシャを扱う店の店員様やそこに通うお客様はどこかのんびりしていて、マイペースな人が多い印象を受ける。

だから私のことを深く知ってやろうという鋭利さがなく、居心地が良い。

シーシャ屋の店内はオープンなものが多く、店員様とお客様の距離が近かったり(物理的にも精神的にも)
初めてあった同士のお客様が仲良くなったりと他のカフェや居酒屋では見られないコミュニティが見られる。

その日は名古屋大須の私と同い年の友達が経営するお店に行った。
マンゴーをベースにコンビニで売られているグミの味をイメージしたシーシャを提供してもらう。

お金のない学生の頃、部活帰りに良くフルーツグミを下校途中のコンビニで買った。
部活後の空腹時にどうしてもレジ横のファーストフードに目が行くんだけど、
思春期だったのもあり肌荒れがなんとなく気になって、惰性でグミを食べていた気がする。

買い終わると自転車に乗りながら街灯の少ない田んぼ道を部活仲間と一緒にお菓子の交換をしながら家路を急いだ記憶がある。

あのとき惰性で食べて決して自分の中のベストオブベストでなかったフルーツグミだけど
今再びシーシャの煙というアプローチで体感したとき、
それはどこか懐かしさゆえの優しさと、
学生時代の夏、汗をかきながら自転車で登り切った坂の上にあるどこのメーカーか分からない
自販機で飲んだ甘いマンゴージュースの味を思い出した。

感想として私にとってはこれからくる夏を思い出す味だった。
これから来るのに思い出すって変な言い回しかもしれないけど、
自分がなんとなく過ごしていた学生の頃の夏を復習させてもらった。

その日、そのシーシャ屋の友達から
「○○(私の名前)はエッセイを書いてみたら?」と言ってくれた。

もしかしたら暇してる自分になんとなく課題を出しただけなのかもしれない。

でも私は不思議と乗り気になり、今こうして拙い文字列を歩かせている。

何もない自分にほんの少しやることが出来た。
錯覚かもしれないけど、何かすることで少し前進する。

久しぶりに美味しくシーシャを吸えた気がする。
私は水たまりから肩ぐらいまでは出てこれた気がする。

幾分か呼吸がしやすくなった。

次はそこから這い上がる、歩きだす、走らなくて良い、歩いて歩いて自分の歩きやすい歩き方を見つけていきたい。

#シーシャ #エッセイ #シーシャエッセイ

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