スケッチをする意味
こんにちは。只野彩佳です。
今日は私のスケッチの話をしたいと思います。(スケッチを始めたきっかけは自己紹介https://note.com/tdnayk/n/nc3a690894843 にて)
私は制作以外でたまに水彩でスケッチをします。
スケッチは、作品の下図にもなり得ますが、私のスケッチの多くはそうなりません。
ぱぱっと描いちゃうんでしょ?と言われることもありますが、実は2、3時間かけて描くことも多いです。(なんとなく恥ずかしくて初めて具体的に時間を言いました。)
ぱぱっと描けそうなんだけど、目の前のものをちゃんと見ようとすると意外と時間がかかります。
そんな私のスケッチなのですが、どんな時に描くかというと、「果物や花を貰った時」や「旅をした時」が多いです。
誰かがくれた果物や花は、どんなに嬉しくてもずっと残すことができない。じゃあせめて描いて残そう。そう思ってから描くようになりました。
(↑作品を見に来てくれた友達がくれたお花)
(↑一人暮らしの私にみかん農家の友達が送ってくれたみかん。嬉し過ぎて数まで数えた)
(↑尾道に行った時。真夏の太陽の光で地面が白く反射してとても眩しかった。地面だけでなく、海も空も全部白く光りを反射していてすごく暑かった記憶がある)
(↑稚内に一人で行った時、時間が余ったのでその辺に座って海を見て過ごした。南風が横殴りで吹いていて、持ち物が何もかも飛んでいきそうだった)
描くと特別に記憶に残ります。花はどのぐらい咲いたか。果物の味はどうだったか。風はどちらから吹いていたか。日差しはどのくらいで傾きかけたのか。暑いのか寒いのか。
記憶に残る理由は多分、好きなものを何度も見返すように、一瞬の感動を長い時間眺めているからだと思っています。
今はカメラもあるし、ものや景色の記録はそれ一つでも十分できます。
そうした中でスケッチをするのは、何気ない思い出、旅の途中で通る景色、それらを深く広く感じ取ってみたいからです。
そこで感じ取ったものを、作品や言葉の引き出しにしていきたいです。
今回は、スケッチに対する考え方や思いを書いてみました。同じ「絵を描く」ことであっても、何十、何百時間と向き合う作品制作とは違った意味を持つと感じています。
次回は最近行った取材の話を予定しております。
それでは、また!
只野
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