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「寄生獣」と人間を背負うこと

ちょっと前に流行った映画を今見ると、逆によりリアルさをもって感じられる映画がある。「寄生獣」には人間と人間に寄生する生物との戦いが描かれていて、寄生されている人を必死に選び出そうとしている場面は、まるで現代みたいじゃないか…なんて考えたりも出来る。

原作漫画の筋と比較したりだとか、そんな細かいところには立ち入らない代わりに、映画を通して感じた印象を書いておきたい。それは、「人間としての責任のようなもの」を背負わされるような感覚だった。というのも、「寄生獣」は、人間ではないものが人間らしく、本当の人間がむしろ非人道的だ、という構図を強調してくるからだ。

人間ではない知的生命体と対話する話でも、例えば「メッセージ」では、人間とは別の形の知性があることが示されていて、見る側としては、そこに対する驚きと、視野が開ける感覚がある。理解出来ない知性というのもそれはそれで厄介だけれど、あまりにも人間らしい相手もまた厄介だ。

なぜなら、そうした相手と渡り合うには、相手よりも自分の方が人間的だとした上で(そうじゃないと自らの正義を主張できないから)、かつ相手を抑え込めるほどの武力を保持していなくてはならない。ただ「北斗の拳」のような、武力だけがものをいう世界に比べて、遥かにフクザツである。あらゆる秩序を守り、さらに守るための力も保持する。人間とはかくも大変なのだ。

全然関係ないけれど、主人公(染谷翔太)とヒロイン(橋本愛)は、「PARKS パークス」という映画でも共演している。でも同じ2人だということを感じさせない演技で、すごいなと思う。

特に染谷翔太の演技の幅は、ドラマも含めると本当に広いので、毎回驚かされる。

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