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戦後の混乱期に行われた融資政策の効果 〜 史料のデジタルデータ化と経済学研究によって政策・企業活動に光をあてる 〜

一橋大学経済学研究科 帝国データバンク企業・経済高度実証研究センター(TDB-CAREE)の研究成果をご紹介するシリーズ第2弾です。
ディスカッションペーパー「Place-based SME finance policy and local industrial revivals: An empirical analysis of a directed credit program after WW2」(2020.10)の概要を、研究者へのインタビューと合わせてご紹介します。

ディスカッションペーパー著者
高野 佳佑さん (一橋大学 経済学研究科・TDB-CAREE 特任講師)

この研究はTDB-CAREEがデジタル化を行った帝国銀行会社要録データベースの企業データをもとに、戦後の大阪府の中小企業向け融資政策の効果について検証を行ったものです。
史料のデジタルデータ化の恩恵を受けつつ、他方でコロナ禍における史料収集の困難さにも直面した研究でもありました。
本研究のメイン著者である、一橋大学経済研究科の高野佳佑さんにお話をうかがいました。

フィールドワークで見つかった戦後の融資リスト

本研究のメイン著者である高野さんは一橋大学経済学研究科でTDB-CAREEの特任講師を2022年5月から務めています。
高野さんは地域科学を専門としており、都市・地域経済学や経済地理学などの分野横断的な研究に取り組んでいます。特に産業集積のような企業動態についての研究に力を入れているとのことです。

高野さんが本研究に取り組むきっかけとなったのは、2019年の夏頃に大阪市立中央図書館で、1951年〜1953年に大阪府で行われた中小企業向け近代化融資政策の融資対象企業リストを偶然見つけたことだったそうです。研究の元データとなる史料を求めて、時々図書館を探索するそうなのですが、この融資リストもそうしたフィールドワークにより、偶然発見することができたと言います。

おりしもTDB-CAREEでは、帝国興信所(現・帝国データバンク)が戦前から戦後にかけて刊行した「帝国銀行会社要録」の一部について、集計・分析が可能な電子データ化するプロジェクト「帝国銀行会社要録データベース」が進行していました。このプロジェクトでは、1957年(昭和32年)の企業情報が対象になっていたため、融資を受けてから4年後の企業情報をデータで入手することができる見込みが立ちました。
さらに、融資政策が行われる2年前の情報となる1951年(昭和26年)版についても、帝国データバンク資料館に原本が所蔵されていることがわかり、融資政策の実施前後を比較できる見込みが立ち、研究がスタートすることとなりました。

コロナ禍によってデータ収集のフィールドワークが困難に

終戦間もない時期を対象に、実証研究を行う際の最大の困難は、使えるデータが少ないことだそうです。戦前に刊行されていた、企業や団体の活動を一覧できる「名鑑」「名録」などの出版物は、その多くが太平洋戦争が始まる直前の1940年代初から終戦後の混乱が落ち着く1950年代まで休刊してしまっています。

そんな時代である1951年の企業データが「帝国銀行会社要録」として帝国データバンク資料館に所蔵されていたことは幸運でした。原本は貴重なものでもあり、持ち出しは難しいため、学芸員の福田さんのご協力のもとで相当の時間をかけてスキャンしたとのことです。

帝国銀行会社要録の企業データは貴重なものですが、研究の精度を高めるためには、例えば当時の産業分類を確認したり、大阪府の経済や政策状況についても情報を集める必要があります。

こうした史料を求めて、高野さんは大阪へ東京から何度も通う必要があったといいます。史料は関連するものであっても保管施設はバラバラで、さらに運良く見つけることができても、当然デジタル化はされておらず持ち出しもできない状態であることがほとんどです。そのため、現地でデータを手入力したり、量が多い場合は非接触型のスキャナを持ち込んでPDF化する作業を行っていたそうです。
この時の経験について、高野さんは次のように語ります。

「融資対象企業のリストは市立図書館にあったんですけど、政策実施要綱は府の公文書館にあったっていう感じで。同じ一つの政策に関する資料だけど、一か所にまとまってないわけです。それっぽい名称で片っ端から検索かけたりして探しました。
見つけられた後も、数十年前の資料なので、図書館備え付けの普通のスキャナを押し付けてスキャンすると壊れちゃう可能性もあります。持ち出すわけにもいかないので、朝から入って夕方の閉館直前まで作業をしてた思い出があります。」

データ分析を研究手法としつつ、あわせて歴史的データ収集のためのフィールドワークも必要な研究において、コロナ禍が起きたことは予想外の困難となりました。
大学・公立図書館が臨時休館となってしまったこともあり、データ収集のための出張ができない時期が長く続きました。

それでも2020年初に一足早くそろった会社要録データをもとに分析を進めて、2020年10月にはディスカッションペーパーを公開することができました。その後、学会やセミナーでの報告や研究者との議論を経て、コロナ禍が落ち着いた2022年現在は追加データの分析やジャーナルへの投稿を準備しています。

社会全体の影響を取り除いて融資の効果だけを明らかにする「差の差分析」

この研究では、戦後に大阪府がおこなった中小企業向け近代化融資政策について、効果があったのかどうかを検証しています。
近代化融資政策の目的は、企業の生産性を高めること。融資の利用用途は、設備の購入・更新などが指定されていました。

本研究では、生産性を「生産水準」と「生産能率」の2点で評価することとして分析が行われました。
生産水準は企業の年間の売上高、生産能率は従業員1人あたりの売上高です。

融資の効果を検証するにあたっては、融資前後の業績の変化を見ることになるのですが、単純にそれぞれの年の業績の数字だけを比較して、効果の有無を判断することはできません。
企業の業績の変化には、企業それぞれの事情に加えて、景気など社会全体の要因も影響してくるためです。こうした本来見たい因果関係以外の要因は「交絡因子」と呼ばれます。因果関係を実証するためには、この交絡因子を統計処理などにより取り除いて検証する必要があります。

本研究では、この交絡因子を取り除くために、固定効果モデルと差の差法(difference-in-differences; DID)という分析手法を用いて分析を行いました。

差の差法では、分析対象と、その比較対象になるグループについて、一定の期間での変化をそれぞれ算出して変化率の違いを確認します。
今回の例でいえば、融資の効果があるなら、融資を受けていない企業グループよりも融資対象となった企業グループのほうが、より大きく業績を伸ばしているはずです。逆に、業績が伸びていたとしても、融資を受けていない企業グループと大して変わらない成長率だった場合は、成長を融資の効果として考えることはできず、社会全体の好景気などが影響したと考えることになります。

差の差分析のイメージ

高野さんが融資効果を検証したところ、融資は生産水準、つまり年商についてはプラスの効果をもたらしていることがわかりました。さらに業界別に分析したところ、金偏産業といわれる鉄鋼関連の企業では業績の伸びが特に大きかったそうです。

検証された融資効果と、朝鮮特需がもたらした特定の産業への影響

本研究の対象となった1950年代は、日本経済にとって大きな転換が起きた時代でした。
戦後のインフレは1949年までに終息にむかっていたものの、企業倒産やリストラが相次いで、不況と人あまりが社会問題となっていました。契機となったのは、1950年に勃発した朝鮮戦争です。朝鮮戦争に向かう米軍からの大量の物資需要により、経済は急激な好景気へと転換していきました。

金偏産業は、まさに「朝鮮特需」で恩恵を受けたと言われている産業のひとつです。融資を受けて設備や機械などの生産体制を整えられた企業が、好景気をよりうまく活用できたのではないかという、もっともらしい仮説も立てられるのですが、実証研究としては各企業の売上・支出の内訳などを分析できているわけではないので、厳密には断言できません。

一方で、社員1人あたりの年商である生産能率については、融資の効果は見られませんでした。年商については上昇しているにも関わらず生産能率が上がらなかったのは、年商のアップに応じた雇用が発生していたからです。

融資政策の目論見であった「近代化」を各企業が果たせたかはともかく、社会問題となっていた「人あまり」について、企業年商の上昇にあわせて解消させることができた点においては、意味のある政策だったと評価できます。

融資制度による工場の変化(出典:府政画報18号)

歴史的データから現代の経済のなりたちを学ぶ

この研究は、情報が少ない戦後間もない時期を対象に、さらに地域経済について分析を行う、貴重なものとなりました。
高野さんがご自身の継続的な研究テーマとして掲げている、災害などの社会へのネガティブインパクトが引き起こす経済への影響の観点でも、1950年代を対象に研究が行えたのは大きな意味があったようです。

「終戦後の混乱は、我々が経験してるショックの中でもかなり大きいものです。今の我々が生きている日本経済を形作った、最大のショックじゃないかなと思いますよね。
その混乱の中で何があったのかを知る価値は大きいような気がします。」

大阪府が行った設備近代化のための融資は、後に国や各地域自治体が行うようになる同様の政策の中でも、かなり先行して行われた政策でした。その意味でも、地方行政の融資政策の原点に光を当てるものとして意義があるものです。

また、本研究は、TDB-CAREEのプロジェクトの一つである、歴史的データのデジタル化プロジェクト「帝国銀行会社要録データベース」によって、可能となった研究です。さらにはコロナ禍によって周辺の政策関連情報や、業界情報の収集に苦労されたという経緯もあり、デジタルデータ化が研究に果たす意義をうかがえる研究と感じました。

今後、本研究についてはデータや分析の追加により、さらに精度の高い分析をおこなってジャーナルへの掲載を目指しているとのこと。社会状況をふまえた、より効果的な融資活用へのヒントも見えてこないか、楽しみにしています。

ディスカッションペーパー リンク: https://hdl.handle.net/10086/70076


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