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生きるのでなく善く生きたい

愚者は語り賢者は語らず

今日美容院に行った際、読んだ雑誌に書いていた言葉た。

私はつくづく愚者だと思う。語りたくて仕方ない傾向があることを自覚している。喋りすぎだし、余計な事を喋っている事も常日頃から自覚していた。自覚しているからこそ出来るだけ言ってもいい事と言わない方がいい事を言う前に考えてから喋ろうと思っている。

しかし性分として私はよく喋る。言わなくていい自分の失態や自分が不利な事についてよく喋るように思う。

黙ってたらいいのに。とよく言われる。色んな意味があるだろう。言わなくてもいい事を伝えることもそうだが、黙ってるとそれなりによろしく見えるからだとも思う。

そして昔に比べるとだいぶ喋らなくなっているようにも思う。昔はもっとしゃべっていた。きっと少しは大人になったんだと思う。そしてしゃべらない分、誰かに心のうちを喋りたい欲求がある。しかし、私の個人的でしょうもなく聞いてても楽しくもない話を誰かに聞かせるのは申し訳ないと思っている。

よく成功哲学で言われている事があると思う。

よい事を数えていこう
後は振り返らず前をむいていこう
他人を恨まずポジティブに考えよう

基本私は上記の言葉を実践してきた。...つもりである。
意識せずとも思考がそのようになっていたと思っていた。
しかしそれは勘違いだと思った。

表面的にはポジティブだが、根っこはすごく嫌な感じの私がいる。

親のことだって何十年も前の話を未だに覚えてて(正確には思い出して)嫌な気持ちが抜けないし、レイプの相手の話ももう数年経つが、未だに思い出しては嫌な気持ちになり、相手を殺したい衝動にかられる。そして、相手が不幸になればいいのにと思っている私がいる。

実際相手が不幸になろうと自分には何にも影響はない。相手が落ちようと私が上に上がるわけではない。だからそんな事を思うことは意味ない事だと私自身が一番わかっている。

私が自分が納得する成功をすればきっと気にならなくなるはずだ。そう思っていたがその前に動こうとすると動けなくなる私がいる。

人のせいにする人は嫌いだから相手のせいだとか誰かのせいだとかは思いたくない。そして思っている自分がいる事を自覚すると自分が嫌になる。

自分が大好きな私の中に自分が嫌いな私がいる。誰かの事を陥れたいとか誰かが不幸になればいいのにとか思う人は心が狭いと感じるし、そんな人には近寄りたくない。そして近寄りたくない存在が私の中に今いる事を自覚するといたたまれなくなってくる。

私は相手について

不幸になればいい
奈落の底に落ちればいい
孤独になればいい
そんなから見放されればいい
仕事がなくなればいい
死ねばいいのに

そう思っている。よく人に投げた言葉は自分に返ってくるという。私もそう思う。だからそんな事言いたくない。そして思いたくもない。そして思ってるし今書いている自分がいる。

何とかしてこの思いを消化したい。どうしたら消化できるのかと思っている。記憶は消したいけど消せない。だから背負っていくんだとよく思っている。

そして背負っている事を自覚しつつもあまりにも背中の荷物が重くてしんどくなる。

多分ほんとに刺して殺して仕舞えばスッキリするんだろう。その後罪悪感はあると思うが、正直それをして刑務所に入るなら本望だとも思っている私がいる。

自分が刑務所に入ることがわかっていても、もしくは死ぬということがわかっていても相手を闇に葬りたい自分がいる。その私の闇の部分は基本寝ているが今のようにたまに起きて心の中で暴れるのだ。

殺せ、殺せ、殺せ

と心の中の誰かが喚いている。そんなことが一定期間ごとに繰り返される。

悪い人には天罰が下るとよく言うが実際はそんな事はない。私が見て悪いと感じる人は結構幸せに生きている。そして自分はただしいと思い、言いたい事をいい放ち、やりたい事をして人生を全うしている。

私の親がその典型的だと思う。よく父は言っていた。自分ほどいい人間はこの世にいないと。そして

わしはフリーや!!自由や!なんのしがらみもないー!

と言い、好き放題生きていらっしゃる。

そういえば父親は結婚式の2日前にグーパンチで私の片目を殴った。

理由は覚えてないが、なんか腹立つとかそんな理由だったように思う。目の周りは緑になり、腫れた。

私は紫とも緑ともわからんような目をさらにメイクで濃くして、

よくもこんな顔にしてくれたな。一生忘れへん日にしたるからな

と親に言い放った。そこでおいおい泣く私ではない。

体裁を気にする母は何でこんな事するの、えらいことなったやんとオロオロしていた。

私の事を心配するというより周りへの体裁のように思う。
結婚式当日は冷やしてた甲斐があったのか、メイク効果なのか何とかなったが、当日は機嫌がすこぶる悪かった事を覚えている。

今日で終わりだ。今からスタートだ。私の人生やり直す。こんな結婚式は早く終わって欲しいと思っていた私だ。

親も親なら私も私だ。表面的には幸せハッピーよように笑っていたが、腹の中はえげつない事考えていた。
だから私は常にいつか親のように私もなるんじゃないかと思い自分が怖い。

そんな事を思うと所詮私も親と同じだと思う。えげつないこと考えてるし、悪い人だ。そしていいもんになろうとしていたけど悪いやつだと改めて思う。

今日も私は仕事で全国を移動する。こんな世の中ど移動する。
そしていつか相手とどこかで鉢合わせするんじゃないかと思っている。理由は以前、偶然鉢合わせする事が何回かあったからだ。

鉢合わせしたら刺してやろうと思っている私がいるが今日凶器は持参していない。だから結局大したことは出来ないし思っているだけなように思う。

あなたがしなくても神がジャッジしてくれるとか、そんな事を思わずに先に進めとか、綺麗事はいくらでも言える。私が他人なら、そしてこんな経験をしていなければそう言っていると思う。

そして私は自分の闇の心を洗い流したい。スッキリさっぱり洗い流したい。

私が悪事を働くと未来ある子供に確実に影響があるだろう。それを考えるとかろうじて止める事ができるかも知れない。そして同時にいつ理性が解除されるかもわからない。

どうしたら私が納得するのか。何か集中するものがあるといいのだと思う。そしてあるようで見つかっていない。仕事は楽しい。仕事をしている数時間だけ私は別世界にいられる。しかしその時は一時で好きな場面にずっと自分を置くことは出来ない。

出来ないと考えるのは嫌いだ。どうすれば悪事を働く以外で私が納得するのか。どうすれば私が心から楽しい生活を送る事ができるのか。これから探していきたい。

生きるのでなく、善く生きたい。私は善く生きたいんだ。





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