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2021年9月26日放送 風をよむ「メルケル首相の引退」

これはロシアで、投票所の監視カメラに写っていたとみられる映像。画面右上、選管当局者の女性の背後から手が伸び、繰り返し投票用紙を入れているように見えます…。

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19日開票が行われた下院選挙では、選挙違反が各地で報告され、一部は無効票に。しかし、結果はプーチン大統領率いる与党「統一ロシア」が、3分の2の議席を超える圧勝となったのです。
(歓声)「プーチン!プーチン!プーチン!」

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しかし、選挙前、政権側は、野党勢力指導者・ナワリヌイ氏が率いる団体を「過激派」として、選挙から締め出すなどしており、批判の声も…

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抗議者男性「恐ろしい抑圧のメカニズムが生まれ、国民を政治的に迫害している」
今、こうしたロシアに限らず、民主主義の基盤をなす選挙をないがしろに
するかのような動きが目立ちます。

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ミャンマーでは、クーデターで全権を掌握した国軍側が、アウン・サン・スー・チー氏率いる政党が圧勝した去年の総選挙は、不正があったとして、「無効」とする声明を7月に発表。

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フィリピンでは、憲法で1期6年と定められたドゥテルテ大統領の任期が 来年6月に切れます。しかしその規定をかいくぐり、自らは副大統領選に出る一方、長女が大統領選に出馬するとも言われており、権力を維持する“奇策”に出ようとしています。そうした中、選挙を巡って今、一人の政治家の引退に注目が集まっています。

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メルケル首相「お願いします。ドイツの豊かさを今後も確実にすること、そしてドイツの安全を可能にするために、力を貸して下さい…」

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今日投開票を迎えるドイツの総選挙。引退を表明したメルケル首相は出馬せず、自らの後継候補への応援演説を行ったのです。東西冷戦の時代、東ドイツの科学者だったメルケル氏は、東西ドイツの経済格差を痛感します。ベルリンの壁崩壊後、政治家の道に進んだメルケル氏は、1991年にコール首相の抜擢で女性・青少年問題担当相に就任。大風呂敷を広げず、実践的な政治手法は、コール氏譲りとされました。

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2005年には、女性として初めて首相に就任。以後16年間、ドイツを率いるとともに、好調なドイツ経済を背景に、EU=ヨーロッパ連合でも指導的役割を果たしたのです。そして国際協調を訴えるメルケル氏の姿勢は常に一貫していました。「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ前大統領に対しては

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トランプ前大統領(2017年6月)「アメリカはパリ協定から離脱する」

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メルケル首相(2017年6月)「アメリカのパリ協定離脱表明は非常に遺憾だ。」

クリミアの併合を強行し野党を弾圧するロシアのプーチン大統領には

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メルケル首相「(ロシアの)クリミア併合は、ウクライナの領土の侵害だとするドイツの姿勢は変わらない」「もう一度言うが、大統領にナワリヌイ氏の釈放を要求する」

メルケル氏の政治姿勢には、自らの体験が色濃く影響していました。

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ドイツでも感染が拡がる新型コロナ。国民の行動制限が必要になった時、メルケル首相は、東ドイツでの体験を踏まえ人々にこう呼びかけました。

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メルケル首相(2020年3月)「旅行や行動の自由を、苦労して勝ち取ってきた私にとって、国民に不自由な生活を強いることは、絶対に必要な時以外、正当化できません。苦難の時こそ互いに寄り添いたいが今は、その反対のことをしなければならない…」

あくまで自由を重んじるその政治姿勢。ところが引退の引き金になったとも言えるのは、不自由を強いられた人々を助けようとした政策でした。

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メルケル首相(2015年)「我々は、助けを求めてヨーロッパに逃れてくる人々を、尊重しなければいけない」

2015年、中東情勢が泥沼化する中、メルケル氏は、多くの難民を積極的に受け入れたのです。ところが…
難民受け入れ反対の市民「難民が増えていけばドイツの社会保障制度は行き詰まる。我々の年金も削減される」

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ドイツ各地で移民・難民排斥を訴えるデモが相次ぎ、極右勢力が台頭。

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2018年の州議会選挙では与党が大敗し、極右政党が躍進。この結果を受ける形で、メルケル氏は3年後の総選挙での引退を表明したのです。

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そして迎えた今年の総選挙。民主主義の理念を訴え続けた政治家の引退は何を物語るのか。彼女はかつて民主主義についてこう語っています。

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「民主主義の一つの基本的ルールは、選挙によって勝者と敗者が生まれるということだ。民主主義そのものが勝者になるためには、争う双方が品位と責任感を持たなければならない―」

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