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ゴチャ庭巡りのススメ①

「わたし、ゴチャ庭が好きなんです」

とある女性が私に言った。この述懐をきっかけに、彼女の嗜癖に感染するかたちで、私はゴチャ庭に魅了されることになった。

「ゴチャ庭」とは「ゴチャゴチャした庭」、つまり「家の庭先にプランターや植木鉢が無秩序に多数置かれた状態」のことだ。

ゴチャ庭の魅力、それは秩序と無秩序、意図と偶発、意識と無意識、人為と自然、そうした二項のあわいをたゆたう曖昧模糊とした美である。ひとつひとつの営為は意図的であっても、それらが時間を経て堆積していくごとに、限りなく無秩序へと近接していき、そこから解釈不能な美が立ち上がるのだ。

鑑賞のポイント①「身近なモノの活用」

ビールケース、レンガ、ブロック、発砲スチロール、水槽など身近なモノの活用はゴチャ庭の見どころだ。本来の用途を超えて、「手近なところにあった」というそれだけの理由で、重宝されているモノ達。それを手にしようと決断したその瞬間(「これ使えるんちゃうか?」)に思いを馳せ、楽しむ。

鑑賞のポイント②「雑草との競演」

コンクリの間から出てきた雑草と、プランターの植物が渾然一体となり、どちらがどちらか判別できない状態が特に美しい。互いの美を競い合うように、それでいて仲睦まじくじゃれあうように、野良猫と飼い猫のダンスが繰り広げられている。

鑑賞のポイント③「朽ちること」

プラスチックは日光に晒され続けると少しずつ朽ちて風化していく。根や土がぎりぎりで器に収まっていることも珍しくない。そんなことを尻目に、我関せずとばかりに咲く花。生の危うさ、ゆえの美しさ、ここに極まれりといった感がある。

鑑賞のポイント④「身近すぎる存在」

規模の大小を問わず、ゴチャ庭は日本全国遍くどこにでもある。素晴らしいゴチャ庭の存在に、みんなただ気づいてないだけだ。特に古めの住宅街はゴチャ庭の宝庫、かつてニュータウンだった街はゴチャ庭のホットスポットである。

今回紹介したゴチャ庭はすべて、私の住まいから半径1キロ以内くらいの、きわめて狭い範囲で撮影したものだ。ゴチャ庭はこんなにも身近に溢れている。

ウォーキングでも散歩でも散策でもいい。ゴチャ庭巡りに出かけよう。いつもの風景が一変すること請け合いだ。身近に愛おしい存在が増えていく。そしてその慈しむべき存在は、日々変化をやめることがない。嗚呼、What a Wonderful World。

ただあまりジロジロ見たり、接近して写真を撮ると家主や周辺住民から白眼視されるのでご注意を。

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