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「アパートの一室で発見」から始まる生の記録

かつてシセツで働いてた。

そこにはリヨウシャと呼ばれる人たちが暮らしていて、彼らはシセツから自らの意思で出ることができなかった。シセツに住むことも、彼らの意思で選択したことではなかった。意思を伝えることが難しいリヨウシャも多かった。

シセツには、シエンインと呼ばれる人もいた。

シエンインは、シセツには住んでいなくて、シセツの外から通ってきていた。シエンインはリヨウシャが困ったときにサポートするのが仕事だったが、むしろリヨウシャを困らせるシエンインも多かった。

あろうことか私は、シエンインだった。

カワモトさんというリヨウシャがいた。

彼はダウン症で、重度の知的障害とされていたけど、たまに気に入らないことがあるとコーヒーを運ぶワゴンを蹴飛ばすことがあるくらいで、いつも穏やかでニコニコしていた。言葉は持たないけれど、ある程度の意思疎通はできた。人が痛がる様子を見るととりわけ喜んだ。

シエンインとして、彼の生い立ちが記された書類を目にする機会があった。

その一行目は、「アパートの一室で発見」だった。

「出生」ではなく「発見」から始まる生があることを、私は知らなかった。知ってはいたけど、知らなかった。

知ってはいたけど、知らなかった。

カワモトさんはデイルームでいつも上体を前後に揺らしながらニコニコしているのに、たまに不穏になる、という理由のみで、自室でDVDを観せておいた方が“本人にとって”いい、という支援計画を立てたシエンインがいた。

私は耳を疑った。

だが私以外のシエンインたちは両手を上げてその支援計画を称賛し、支援計画は採用されて、カワモトさんの部屋ではディズニーか何かのDVDがエンドレスに流れた。

ただでさえ出られないシセツの中の、更に小さな部屋で過ごすことになったカワモトさんは、それでも終始前後に上体を揺らしながら、イヒイヒと笑った。

「カワモトさん」と名前を呼ぶたびに、名前のことを思った。

戸籍法に定められた通り、彼の名は「発見」されたアパートがあった市町村の長によって付けられたものだ。

この世に生まれてきた以上、カワモトさんにも生みの親がいて、その親は何ヶ月もカワモトさんをお腹の中に宿し、どんな状況か分からないけど、とにかく彼を出産した。そしてどんな経緯か全く分からないけれど、彼はアパートの一室で発見された。

生まれる前、そして生まれた後、彼の名は呼ばれただろうか。現在シセツで呼ばれるのとは違う名が、あっただろうか。

なぜか“あってほしい”と強く思った。

書類上は「発見」で始まるカワモトさんの生だけど、書類には出てこない「出生」をせめて慶ぶ人がいて欲しい。

(「いて欲しい」と書くと「いること」と「欲しい」が共に現在のように思うけど、当時「いたこと」を欲していると表現したいのに、日本語で表現しきれなくて歯痒い。「いて欲しかった」では欲したのが過去になってしまう。「欲しい」のは今で、欲してるのは過去に「いたこと」なのに…)

雨が降っていた。

傘をさして、カワモトさんを入れて一緒に歩こうとしたら、カワモトさんも同じ傘の柄を握った。痛みを感じてふと見ると、柄と一緒に私の親指を握っていた。恐ろしい握力で、抜けない。痛がりながら離してと懇願すると、彼はイヒイヒと喜んだ。

カワモトさんは、夜よく眠った。

リヨウシャとシエンインは、どちらも夜は眠る。

日中はリヨウシャの「違う」ばかりが目につくせいで、夜の「同じ」に私は深く安堵した。

週末や連休に実家に帰省するリヨウシャもいたけど、カワモトさんはシセツ以外に行き場はなかったから、いつもシセツにいた。地域に出ることもできただろうけど、シセツはシセツを続けるために、リヨウシャが出ていく選択肢を探そうとはしなかったし、カワモトさんは意思を示すことができなかった。

私は、シセツを出た。シエンインは辞めた。

辞める寸前に、シエンインが、寝ているリヨウシャを蹴り殺す事件が起きた。

次は私だと思った。

蹴り殺されるのではなく、蹴り殺すのが。

言葉を持たないリヨウシャと、普通に会話ができる夢をよくみた。夢ではいつも私は謝っていた。なんかごめんなさい。

目覚めると夢の歓喜は消えて、リヨウシャの「健常化」を無意識のレベルでも求めていた自分に失望した。意思の疎通がしたかった。

私はシセツを出た。

カワモトさんがシセツを出て、アパートで一人暮らしをすることを想像できるようになった。シエンインは、シセツのためにシセツで暮らすことを、肯定せざるをえないことにようやく気づいた。

カワモトさんは今日も、DVDの流れる自室で、イヒイヒと微笑みながら上体を揺らしているだろう。夜は寝る前に甘いコーヒーをグイと飲み干して、自室に帰り、お決まりの位置にサンダルを並べて、オムツに履き替えて、安らかに眠るだろう。

カワモトさんの聞き取れない声が、今日もこだましている。

聞き取れないまま、私は今日も耳を澄ます。





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