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About Me たわたひろみ

「ホームスクールをしている」のは私の一部でありまして、
「ホームスクール」つながりを求める気持ちより

〔部分の集合体である全体という個〕
そんなひとりの人とていねいに出会いたい気持ちのほうが強いです。


ホームスクーリング・センターkokage
中の人というわけで、About Me を書いてみます。

だれなの? WHO
なにをしているの? WHAT
なぜしているの? WHY

そんな問いかけを自分に問うてみました。
鉛筆を持ってノートに書き連ねてみると意外とシンプルな答えが出てきます。

《まなび》の機会を提供している
自由であり続けるための探究を続けている
研究肌で、4人のこどもと同じ空間と時間を有して過ごす暮らしをしている私こと たわたひろみ です

 なにかを教えてもらう機会は、みずからのまなびへと発展していく機会だととらえています。誰かになにかを教わることから、なにかをまなぶかもしれないし、まなびがない結果に終わるかもしれないけれど、どちらにしても、それらをどう活かすかは自分次第です。
 わたしが伝えることができるのが、私の家族の暮らしに根付いていることであって、それがおとなのためのオルタナティブスクール『木蔭~こかげ~』で開講している講座やワークショップなわけです。現時点では知名度がまったく無くてこのまま続けて良いものか迷っている状況にありますが(※現在、休止中)。なんといっても《得する》というわかりやすいものではないからです。どちらかといえば《手間がかかる》ものですし、《自分次第》に帰結するものだからです。たどり着く保障やゴールがあるレールの上を走る列車では無いものとして伝えているからかなって思ったりしています。きっと簡単なのは「信用のある資格(肩書)が取れてすぐに稼げるサロン」とかそういう内容なのかもしれませんけど、まぁ無理ですね。技術の習得を目指しているのではなくて、感性を育み、生き方・暮らし方を試行錯誤するためのものですから。
 自然療法のある暮らし、手作り感のある暮らしは、よく《丁寧な暮らし》と訳されますが、丁寧な暮らしっていうのはなにも「そういったことをしている」という意味ではないと思うんですね。
 私が感じる丁寧な暮らしは、たとえば「扇風機のスイッチを足で押さない」ことだったり、「終わりまできちんと見て、その仕草を終える」ことだったりです。
 そんなゆったりとした生きている時間を実感する暮らしを感じてほしいと願っています。


ホームスクールは暮らしそのもの
暮らしの先にホームスクールがあります
暮らしのありかたに生き方があります

生き方暮らし方がそのまま社会に適応する稼ぎ方になるというわけにはいきませんが、


自分に正直であること

人に誠実であること

曲げられない自分を時には笑って「しかたないな」と受け止めて、
ゆるりゆるりと「どうにかなるさ」と
力を抜けていけたら最高かなと思ったりします。


こちらはnoteをはじめたきっかけのnote


ホームスクールの発信には、こだわりもあります。


日本という土壌で成長発達してきた日本のホームスクールを語ること
だれでも・なんでも・どこでも・いつでも可能であるホームスクールの追究


 日本の土壌で成長発達する日本スタイルのホームスクールを探るには、日本の法律や文化と歴史の理解にも及ぶ必要がでてきます。諸外国の制度の枠組みだけを切り取ってあてはめてみても、ゆがみが生じるのは明白です。日本の子ども観・教育観の理解とまなびの日々が必要不可欠だととても思っています。

 一般的な(我が家は低所得かつ寡婦家庭)って点だと思うけど、これが一般的でない社会環境って…とも考える。)家庭が、日本国内であたりまえに実践する発信にこだわりがあります。

 だれでも・なんでも・どこでも・いつでも可能であることを証明したいと感じています。「お金が無いからできない」とか「学校で習う教科の勉強をやらせることができない」とか「働いているからできない」「こどもとの時間がとれない」とか「学校に行っているのと同程度の学力が無ければならない」とか「社会に適応しなければならない」とか、ホームスクールについて考えない理由は人の思考の数だけいくらでも転がっています。やる・やらない以前に思考を停止してしまっている姿はなんとももったいないと感じます。
 ホームスクールを実践する・しないはどっちでもいいです。
 ただ考えてみてほしい。

 ホームスクールってなに?
 まなびってなに?
 教育ってなに?
 こどもってなに?
 教えるってなに?
 育むってなに?


 生きること・暮らすこと
 生きかた・在りかたを自分に問う時間を持つ機会になれば、と願っています。

 幼少期から「家庭教育」に関心を持ち続け「家族」の在り方を追及しつづけ、大卒論文のテーマは『家族』でした。
 「教育」に興味を持ち、社会学部の学生ながら教育学部にいりびたって「社会教育学」を学んだ20代。
 家庭教育関係出版に勤めた新卒時代。
 4人のこどもたちとホームスクール実践をスタートして12年近くになりました。
 ホームスクールやオルタナティブ教育の変遷をまとめたnoteがあります。

シュタイナー
サドベリー
モンテッソーリ
早期教育
英才教育
イエナプラン
ホームスクールについて
1990年代から現在までを眺めてー
『ホームスクール世代、過渡期からその先へ』


 社会的存在としては、私自身がどうにかなってない未来が濃厚だけど(^▽^;)
 帆先が方向を変えるのは一瞬ですからね
 風を読め。鳥の飛ぶ高さを眺めていこう。

 そういうわけでささやかなお願いがあります。
 noteからのサポートとサポーターの存在は物質的にも精神的にも拠り所です。応援する心をどうぞ形に。よろしくお願いします。
 いわゆる世間一般の専門家の評価や判定が介在しない。自分の目で確かめることができるこの居場所に期待しています。
 どこまで航海できるのかはわかりませんけれども。
 大海に浮かぶちっぽけな筏(いかだ)かもしれませんけれども。
 ここにいます。


木蔭の名称の由来

 沖縄の夏の暑さはジリジリと灼けつく太陽の熱さです。ところが木蔭にはいると嘘のように涼しいのです。
「ゆっくりやすんでいって」。
 そんな気持ちです。

 木蔭という言葉は、物体の存在を現していないし、木蔭は手でつかめないものですが影という空間がそこにあります。そんな言葉を選んだことにちょっと不思議を感じます。
 目に見えないものでも確かにそこに存在し、周囲に影響を与えている。
 そのことを大切にしたいと思っていることも表現するに至りました。

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