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切迫感と距離を置いた「熱中」がいいね

いつでもどこでも一つのことを考え続けるというのは何かの専門性を高めようと思うと必須のことのように思う。でもたぶん次のレベルは「あえて考えない時間をつくる」とか、「あえて考えていることから離れる」ということなんだろうと思う。わかりやすく書くとこんなかんじ。

1.仕事が終わったら一切そのことは考えない
2.どんなことをしていても仕事やプロジェクトに引きつけて考える
3.自然と仕事に結びつけて考えることはあるけど意図的にスイッチも切れる

こんなことを思ったのは星野源の「働く男」という本を読んだから。


この本の冒頭に、星野源さんが体調を崩して仕事ができなくなったエピソードがでてくる。それまでは本当に仕事一筋でやっていたけど、そこから少し考え方が変わったとのこと。

内容を要約してしまうと、これまでは仕事をしていないときにも、仕事をしなければいけないような切迫感があったようなのだけど、それがなくなったらしい。もちろん、仕事はこれまでのように猛烈に熱中して打ち込んでいる。でも、仕事をしていないときの切迫感が消え、仕事以外の時間を楽しみにできるようになったそうだ。

このエピソードにはとても共感した。大学院生の頃から、研究に熱中してきたし、研究に関する活動を常に自分の生活で一番優先してきた。でもそれは熱中でもあったけれど、一方で、少しでも休むのが怖いというような切迫感もあったと思う。

無駄な時間を過ごしていていいのだろうか。
本当はいまこの時間も何か進められるのではないか。

これくらいなにかを本気でやることは大事ともいえるが、こういうマインドではいつかは体にガタがくる。もちろん、いまもこういう感覚がないわけではない。長期で休んだりするのは元に戻らないような気がしていまでも少し怖い。

でも、自分も少しずつよい距離がとれるようになってきつつあるようなかんじはしている。

逆にいえばどれだけサボってよくても、どれだけリラックスしていても、自分がメインでやっていることから離れることはきっとないので、心配しなくてもいいような気がしたのだ。

どこまで離れてもどうせきっと戻ってこれる。いや、戻ってきてしまう。

最近そういう自分に対する謎の信頼感を持てそうな予感がしている。

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