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建築家になることのきっかけ

私が建築家になることのきっかけは何だったのか。

私が建築を好きになったのはいつからか。

自己紹介の記事でも書かせてもらったように、建築の道に進もうと決めたのは高校生の時。ただ、そもそもその建築に興味を持つ、あるいは、好きになったのはいつからか。

最近分かったのですが、それは記憶のない私が2歳の頃からでした。ちょっと前までは、少なくとも4歳からは好きだったことは理解していました。

幼稚園時代

4歳の頃。
幼稚園で普通に外でアクティブに遊ぶ子供でした。
遊具で遊んだり、小山を駆け回ったり。
ある時、幼稚園の図工のようなお遊びで、ダンボールの一面をくり抜いて、その中に自分のお家をつくる図工がありました。シルバニアファミリーのようなイメージと言ったら分かりやすいかもしれません。材料はゼリーのカップや折紙、ボタンやスープなどでした。みんなが完成したら幼稚園の体育館に並べて親も見れるように展示していました。

そこで、先生が「材料が余ってるから、付け足したい人はお休みの時間に体育館で自由に作ってね〜」と、言ってくれました。

いつも外で遊んでいた私はそれから嬉しくなり、休み時間の度に体育館に行ってお家を作り続けていました。その時のワクワク感も覚えています。

そしてまた、その大きな体育館でいつも私一人だったことも覚えています。ひとり体育館で自分のお家をひたすらイメージの湧くままに、自分が良いと思えるものを純粋に黙々と作り続けていました。

それが自分が建築が好きだったと言える、遡れる記憶の中で一番若いエピソードだと。ずっとそう思っていました。

明治村

でも、そもそもその幼稚園のお家作りになぜそんなにハマったのか。それを知ったのは、祖母の家で写真アルバムを見た時でした。

私が2〜3歳の頃に、愛知県の犬山市にある「明治村」に何度も連れていってもらっている写真がたくさん残っていました。

記憶が残っていないそんな小さな頃から建築に触れていて、あの巨匠フランクロイドライトの「帝国ホテル」の前でも写真を撮っていました。
大学生の頃、私は「まだライトの帝国ホテルを見たことないから今度明治村に行こう!」なんて言っていたのに。

思えば、高校〜大学1年くらいの建築の道に入りたての頃は、西洋建築や近代建築が好きでした。それは小さい頃に目にしていた明治村の建築群の影響だったのかもしれません。

純粋な建築

早くから純粋に建築が好きだった事が幸いだったなと最近改めて感じました。

・私が大学生の頃、東北大地震があり、建築を建てることの意味をいろんな人が議論していました。
・建築家になるには厳しい道のりだけでなく、経済面や時間面など現実的な条件が邪魔をしてくる。
・学生のアイデアコンペでは、プログラムやアイデアが重視され、大学の設計課題もそれらを重視する傾向にある。

上記のようなことがあり、ただ純粋に美しい建築や感動した建築を純粋に好きと言える雰囲気が学生時代にはなく、そういう建築家では社会的にも肩身が狭くなるような風潮を今でも感じます。

私はそんな現実的な事を良い意味で吸収する余地がなかったのだろうと。だがら、純粋に美しい建築が好きで、そういう建築を後世に残したいと思う。
もちろん、それは建築家だけでできることではなく、職人、施主、施工者、建築家が一丸となって、ひとつの方向に向いていないと成り立たない。近現代建築には皆が一丸となって良いものを、良い文化を社会のために残していこうという気概あり、本当に良い建物が多いです。

私の息子

私には2歳になる息子がいますが、今のところ電車が好きです。大人になったら電車関係の仕事をするのでしょうか。

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