なぜ最近の若者は最近の若者なのか。
何百年も前のエジプトの壁画にすら「最近の若者は」と、書かれていたそうです。
今日はその「最近の若者は」について考えてみようと思います。
私は仕事柄親御さんに「最近の若者は」とよく言います。
もちろん、もっと違う言葉を選んでいますが。笑
文脈を読むと結果的に「最近の若者は」と言っています。
なぜそんなことを言うのかというと、
プログラミング教育の必要性を親御さんに訴求する際に、どうしてもこのニュアンスになってしまいます。
・最近の若者は社会に出てもどうしても指示待ち人間になっている。
・最近の若者は自分の頭で考えない若者が多い。
・最近の若者は決まったことしかできない
・最近の若者は失敗を恐れて行動しない
・最近の若者は自分の思いを言葉にできない若者が多い
これを改善し、社会に出ても自分で食べていける人間になろう。
そのためのプログラミングだ!!!なんて言ってます。
では、そもそもなぜ最近の若者は、最近の若者になってしまったんだろう。
最近の若者は…と憂ている親世代によって、我々は育てられました。
そんな親世代は、どんな幼少期を過ごし、私たちと何が違ったのか。
私は親世代ではないので、単純な比較はできません。
なので、私からみた最近の若者(中学生以下)と、我々を比較してみようと思いました。
今時の中学生は教員より強い。
これは間違いない。
是か否かを決めるのはいつだって中学生の主観・気持ち・保護者の感情です。
大人(教員)との真っ向勝負をしない。
正面切って思いをぶつけ合わないし、そんなことをするより、家に帰って保護者に自分の主観を語る方が都合がいいことを理解しています。
その場では教員に怒られながらも、腹の中では
「目の前の大人はどうにでもなる。」と本気で思っている子もいます。
でも、社会に出ると上司と真っ向勝負をしなければなりません。
真っ向勝負…このニュアンス分かりますかね笑
上司に怒られ恥をかいたり、嫌な人とうまく波長を合わせたり、怖い人をいなしたり、お局さんの顔色を伺ったり、それをここでは真っ向勝負と呼んでいます。
だから、自分だけの力ではどうにもならない相手に対して、ものすごく弱いんです。
相手との距離感もわからないし、何かを聞いて怒られるくらいなら、何も聞かずに使えないやつというレッテル貼られる方がマシなんです。
仕事も回ってこなくなるし、責任も大きくないし、でも生きていく分の給料は手に入るし。
仕事=人生、人生=仕事ではないということを何となく察しているんです。
そのどこか冷めた感じが「最近の若者」なんだろうなと思います。
教員時代、生徒と話していて何度も感じたことでした。
なんか冷めた奴らだな
って。
最近の若者は、あなたよりずっと現実的なのかもしれない。
地方にこそ新しい教育を! 地方でも教育を選べる時代へ。 を目指してプログラミング教育、スポーツ教育に携わっています。 ご支援は子供達の教材費に充てたいと思います。