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#はじめて買ったCD

美味しいrakuenができるまで〜沖縄県今帰仁村 移住日記移住211日目

今日・明日は台風で一歩も外に出ない(出れない)と決めていたから今日は何をしよう。noteのサイトを見ていたら「#はじめて買ったCD」募集中!
よし 乗った。

1980年代は音楽記録媒体だけでなく、映像媒体やデータ媒体やポータブル記録媒体が目まぐるしく動いていた時期でもあった。出ては消え、そして現在はクラウドが主流で、残っている媒体はあるもののほとんどのデータはその形ある媒体すら存在しなくなっている。勝ち組に乗った企業、すぐに負け組になった企業、最初は勝ち組だったのにいつの間にか負け組と化した企業、そして、負け組だったのに時代に逆行しニッチな分野ではあるものの勝ち組になりつつ企業もある。世の中のスピードは、速さだけじゃないんだなあ〜

音楽の話になると長くなるので媒体の話・・・。
小学校高学年から音楽を聴いていたので、音楽を買う媒体はLPレコードかシングルレコード 音楽を記録して(勝手に)聞く媒体はカセットテープだった。Jazzコレクターだった父親の時代だって一部回転数は違えど買う媒体はレコードで記録する媒体が一部オープンリールテープだった。
中学になる頃、
「おい、いくぞ!」と父親が声がかかければ
「よっしゃ〜」と車に飛び乗り 
行くのは 当日 横浜駅西口にあったYAMAHAの地下のレコード売り場。
父親はJAZZの箱を漁り 僕はRockやPopsの箱を漁っていた。1時間・2時間などはザラだった。
付き合えば必ず1枚レコードを買ってもらった。それを帰ってから、プチプチっと針を下ろす喜びと言ったらこの上なかった。A面を聴いてよければB面へ。何となくA面が今ひとつだとB面を聞く機会も減るが、
友人が「B面のあれはよかったね』などと聞くと 
その場はごまかしていそいそと家に帰ってから
「おお!こんな曲があったのか」と感激しつつ 自分の音楽の聴き方を反省し
でも、次の日は あたかも前から知っていたかのように
「B面のあれもいいけど、その後の曲もいいいね」
なんて話したものだった。

レコード片面の長さに慣らされていて、表面・裏面のひっくり返しに慣らされていたから CDなどというものが出てきた1980年はじめは全く手を出していなかった。当時は3500円以上していたCDとてもとても貧乏学生には買えません。
周りの友人も誰一人としてCDを買ったぜ!等という強者はいなかった。
1986年 その日が突然やってきた。
具体的な日にちは記憶していないけど、1986年だったのだけ覚えている。
一生懸命やっていた会社に裏切られ解雇となり無職の年だったからだ。
あまりに暇だったからだろうか
その日、いつものようにぼーとレコードをかけていた。普段から滅多にビートルズのレコードに針を落とすことがなかったけれど、その日はそんな気分だったのだろう。
A面最後のI am the walrusを聴き終わって、いつものようにB面に裏返した時 
「間を空けず続けて聴きたい」と思った。
暇だったから、関内駅そばのヤマギワに行った。
いくらで買ったか覚えてないけれど、高かった。
久しぶりにウキウキした。
ファクトリーシールを剥がし、CD持ってないのに何故かあったCD付きラジカセにセットした。
「プチプチって言わない」
「音がキレイ」
「そして、B面にひっくり返さなくてもいい」
これは 素晴らしい 楽だ。

BeatlesのMagical Mystery TourのCDをはじめて買った1986年
あれから、34年。
今でも僕はレコードを聴いている。

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今日の美味しいrakuenの妄想メニューは・・・・。

rakuen朝食
トマトサラダ・明太子・納豆・梅干し・のり・油揚げとネギのお味噌汁 ドラゴンフルーツ

rakuen昼食
無印レトルトカレー & サッポロ塩ラーメン

rakuen夕食
今日 沖縄では旧盆。
イオンで買ってきたお供えを お袋の形見のお重に並べてみた。
僕の新しい挑戦を 両親が後押ししてくれてことを祈る。
来年は、自分でしっかり作って重箱に詰めよう。

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