見出し画像

WEB読書会「失われた時を求めて」-ぼくがプルーストに惹かれる三つの理由

こんにちは。久しぶりのnote更新です。
TwitterからまたWEB読書会をやることにしました。

今回はプルーストの『失われた時を求めて』です。もちろん、いきなり全巻読破ではなくて、まずは第一篇「スワン家のほうへⅠ」から始めたいと思います。

前回、『消え去ったアルベルチーヌ』でWEB読書会を企画したときもそうでしたが、今回も日本で開催される「はじめてのプルースト読書会」が羨ましくて、このような試みを始めることにしました。

プルーストファンはもちろんのこと、はじめての方、まだ読んだことのない方にも興味をもってもらえたら嬉しいです。

さて、ではなぜ今プルーストを読むのかという話です。
もちろん小説を読むのに理由はいりませんが、ぼくがプルーストに惹かれる理由を三つほど書いておきたいと思います。

1.誰もが失われた時を求めている


翻訳者の高遠先生も「失われた時を求めて」というタイトルに出会って感動を覚えた、と書かれていましたが、ぼくも興味をひかれるきっかけはそのタイトルでした。

人は誰でも喪失の経験をします。人生は失うことの連続だと言っても過言ではないでしょう。友人や恋人、肉親との別れ。人との別れ以外にも、何か大切なものを失ってしまうことはあります。藁をもつかむ気持ちで、心にぽっかりと開いた穴を埋めたいと足掻いた経験は誰にでもあると思います。

時の流れが解決してくれることもあるでしょう。光陰矢の如しというように、時の流れは矢のように飛び去り二度と戻ってくることはありません。だけど、過ぎ去ったものは消え去るのみなのでしょうか。無かったことになってしまうのでしょうか。

第一篇「スワン家のほうへⅠ」は語り手の少年時代の話から始まります。眠れずに延々と思考が続いていく冒頭の寝室の場面や、紅茶とマドレーヌの話は有名です。

ぼくの少年時代といえば、学校が荒れていて低学年の頃から暴力的ないじめが日常的にあるような日々でした。毎日笑いが絶えないような、そんな楽しい学校生活を送ってみたかった。ぼくにとっては「失われた子供時代」でもあるのです。だけど、悲しみと憎しみで記憶を塗りつぶしてしまうのはあまりにも悲しいことです。優しく温かい思い出もどこかにきっとあるはずだから。

プルーストの文章は、記憶を丹念に辿りながら感覚や感情を豊かに蘇らせていきます。時にそれは痛みを伴うかもしれまんが、ぼくはプルーストを読むという行為の中に「癒し」を見つけました。プルーストを読んだ今なら膝を抱えて泣いている子供の頃のぼくを抱きしてめてあげることができます。

もし失ってしまった何かに囚われ続けているのなら、『失われた時を求めて』はあなたの心の友として人生を共に歩んでくれることでしょう。

2.私を私に還す


プルーストを読んでいる間は、自分が自分でいられる時間でもあります。
1日のうちで自由に使える時間はどれくらいあるでしょうか。一般的な労働者であれば1日8時間は働いているわけで、残業のない人なんてほぼいないでしょうし、満員電車で1時間以上かけて通勤している人も少なくないと思います。
長時間労働と情報の洪水の中で、自分自身でいるということはとても難しいと感じます。Twitterを眺めていも過度のストレスを抱えて疲弊している人をたくさん見かけます。

「私を私に還す」というのは「スワン家のほうへⅠ」の巻末「読書ガイド」で引用されていた吉田秀和の言葉です。孫引きになりますが、少しだけ引用させてください。

私は『失われた時を求めて』の中で、自分の生きてきた時間を遡り、遡る間にはじめて時間の流れを自覚的に捉える。私は自分に再会し、自分を意識する。(中略)プルーストは、私を私に還す。

最近もプルーストを読んでいる方と意見が一致したのですが、プルーストを読んでいると、いろいろな考えや想像がどんどん溢れてきて本を読む手が止まってしまうことがしばしばです。記憶の底に沈んで忘れていたような人や出来事を思い出し驚くこともあります。読者にあらゆる記憶を鮮明に思い出させるような文体、これはプルーストの魅力の一つです。

エンタメ小説のようにおもしろくてページを繰る手が止まらない、我を忘れて読みふける、そんな種類の読書も確かに魅力的です。
プルーストの場合は、さっきも書いたように一々眠っていた記憶が立ち上がってきて、気が付くと夢想の世界の中にいることもあり、なかなか先に進みません。だけど、そんなふうに記憶と思考の中に潜っていくことのできる読書のなんと魅力的なことでしょう。

ぼくにとって(おそらく読者の誰にとっても)プルーストを読むことは最も自分に還れる行為なのです。
だから、「こんなに長い小説を読む暇がない」と思っている人にこそ読んでもらいたいです。暇がない、時間がない、だからこそプルーストを読んで自分に還る時間が必要なんだと思っています。

3.灰色の世界に色を与える


文体ということでいえば、プルーストの文章の魅力は何といっても比喩の豊かさ、美しさです。どうしてこんな表現ができるのかと驚きつつも得心するような不思議な文章です。
たとえば、第一巻で好きな比喩をいくつかあげてみます。

《目を開けて万華鏡のような闇を見つめ》
《半ば開かれた鎧戸にもたれかかるように差す月光は、ベッドの足元まで延びて、その魔法の梯子をさしかけている》
《午後の時間がひとひらずつ舞い降りてくる》

稲垣足穂を読んだ後では「六月の夜の都会の空」が特別なものになるように、プルーストの表現を知った後では、窓から差す月光は「魔法の梯子」になるのです。

今まで気づきもしなかったもの、意識もしていなかったものに目を向けるようになります。世界が彩り豊かで美しいものに変貌していくのです。

プルーストを読んだ人はプルーストの目で世界を見るようになります。そして、今度は自分の目で見たいと思うようになります。ぼくも自分の目で見て感じたものを表現していきたいですし、それが生きるということなのだと思います。

---

あれこれ書いてきましたが、最初にも言ったようにプルーストを読むのに理由はいりません。最後に、第一巻の「訳者前口上」から翻訳者である高遠先生の言葉を引用します。

大切なのは、何かのためにプルーストを読むということではなくて、プルーストの世界に惹かれた読者が、もっと自由にプルーストを愉しみ、その経験を豊かに拡げてゆくことだ。

堅苦しいことは抜きにして、まずは気楽に自由にプルーストを読んでいきましょう。最初は読み通せなくても、どこから読んでもいいと思います。そこから感じたことを教えてもらえたらとても嬉しいです。

※この投稿の引用文はすべて光文社古典新訳文庫『失われた時を求めて①第一篇「スワン家のほうへⅠ」』からの引用です。
※第一巻で終わらせずに二巻以降も継続していく予定なので、ゆるいサークルのように堅苦しくせずなるべく気楽に参加できるような形でやっていく予定です。参加している方もツイートしたりツイキャスしたり自由に発信してもらえたら嬉しいです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?