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フェルメール展とプルースト

フェルメール展に行ってきた。
東京の展示はもう終わっているので、大阪市立美術館まで行った。
大阪に来るのはこれが初めて。(今日は雨天のため梅田地下街のカフェでこの記事を書いている)
プルーストを読んでいなかったら、大阪までフェルメールを見に来ることはなかっただろう。

プルーストは『失われた時を求めて』の中でも有名になる前のフェルメールを何度も取り上げていて、その慧眼、審美眼はやはりすごい。
主要な登場人物のひとりであるスワンはプルースト研究家でもあるし、また、同じく登場人物である作家ベルゴットが病を押して『デルフト眺望』を見に行く場面はとても有名だ。

大阪市立美術館にはフェルメールの6作品が来ていて、展示室の最後の3部屋に2作品ずつ展示されていた。
絵が描かれた年代ごとに分けた展示だったと思うのだけど、その年代でフェルメールがどういうモチーフで描いていたのかがわかるようになっていた。

ひとつめの部屋には『マルタとマリアの家のキリスト』と『取り持ち女』
どちらも複数の人が描かれた絵で、「キリストと共にいる姉妹」と「娼婦と仲介の取り持ち女」を対比して見ることができるのがおもしろかった。
個人的に、『マルタとマリアの家のキリスト』はパソコンのデスクトップ画面に設定しているお気に入りの絵なので本物を見ることができてとても嬉しかった。(せわしなく働いているのが必ずしも良いことではなく本質を見失うことがある、という教訓的な絵)

ふたつめの部屋には『リュートを調弦する女』と『手紙を書く女』
暗い部屋でテーブルの前に座っている黄色い服の女性が光に照らされている。後ろには絵や地図が壁にかけられている。

最後の部屋は『恋文』と『手紙を書く婦人と召使い』
ふたつとも女性の後ろに召使いの女性が立っている構図の絵だ。ふたつとも黒と白のカーペット。恋文の女性は楽器(リュートではなくシターンらしい)を持っていて、黄色い服に、耳には真珠。

プルースト風に言えば、「同じテーブル、同じカーペット、同じ女」なのである。

『恋文』にはとても興味があった。というのも、この作品はオランダのアムステルダム国立美術館に所蔵されているもので、プルーストが1902年にオランダに行ったとき『恋文』を見ているはずだから。

プルーストが熱心に見ていた絵を、現代の私が熱心に見ている。芸術は時空を超えて繋がる体験だ。

フェルメールの絵をじっと見つめていると、絵の中に入り込んでいくような錯覚を起こす。

ベルゴットの台詞にもあるように、プルーストもフェルメールのように書きたいと思ったはずだ。(きっと絵の中に入りたいとも思ったに違いない)

今日はあいにくの雨で、しかも外を出歩けるような寒さではないということもあって、プルーストに倣って展覧会で見た絵のことを思い出しながら、うっとりと幸福な気分でこの記事を書いた。

今回の展覧会には『デルフトの眺望』は来ていなかった(ハーグのマウリッツハイス美術館にある)
いつか見たいと思っている。

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タイの海辺街から。読書と英語。愛読書は源氏物語とプルースト。 to read, to think, to love, to hope, to pray,—these are the things that make men happy(John Ruskin)
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