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学生時代に感化された音楽

多感な時期にどっぷりと音楽に浸かり、結局それが自身の基盤と今はなっているのだけれど、その音楽は当時ネクラ音楽と呼ばれ、殆どの人間は見向きもしなかった。

いわゆる80年代パンク・ニューウェーヴは今でこそ大きな影響力を持っているけれど、当時はマイノリティな存在だったことは知っていてもいいと思う。

そのようなジャンルではあるけれど、今も自分の中では色褪せず燦然と輝くのであって、このプラットフォームは揺るがないように思う。

さてそのうちの一つにガーゼというバンドが存在し、今も現役であるのだから恐れ入る。

2ndアルバムのイコライジング・ディストートは、世界でも五指に入る傑作ハードコア・パンクアルバムだ。

その冒頭を飾るこの一曲、Pressing Onは実に最高であって、その歌詞とともに不滅。今でも自分の血流を駆け巡るのであった。

このガーゼの提示する世界観は既存の体制というものに盲目的に従うという姿勢に大きな疑問と問題提起を促すもので、当時のやわな自分には衝撃的過ぎた。

これは一例に過ぎないのだけど、いわゆる当時マイナーな音楽がメジャーな音楽よりも面白いということが、自身の価値観を決定付けたのであって、多くの人間がいいと言われるものがいいということに大いなる疑問を投げかけた次第。

さて、そうこうするうちに今では写真活動が自身の生きる時間の中心となっているわけだけれども、ここでもこの姿勢というものは変わらない。

即ち、本当にいい写真とは何かという問いかけに対して、自身でしか答えは見いだせない。マジョリティの意見が正とも思わず、かと言って偏向したマイノリティの意見に盲目的に従うつもりもない。

権威的にならず、大衆に流されず、そうはいいつつも手前味噌にならず。

そうしたなかで自身がいいと思うものに力を注いでいくこと。

これはなかなか難しい。

何しろこれはカネとは殆ど直結しないため、フリーランスで金儲けとかいう世界とは程遠い。

そもそも写真家はフリーターであることはあってもフリーランスなどという小洒落たものではないように思う。

そして巷に溢れる、最近ではほぼテンプレート化したストリート写真にも嫌気が差し、より攻めた表現手法、もとい自身の熱量が何処まであるのかという問いかけを繰り返す。

立ち返る原点は音楽と同様にその初期衝動であり、どこまでそれを突き詰められるかということなのではないかとも思う。

ストリート、ポートレート、そして最近は散歩スナップでの風景等も撮り始めた。

また今年は海外へ行く機会が結構あったので、そこでの撮影と東京でのそれは明らかに違うことも認識できたことも大きかった。

こうした経験をもとに、自身が納得できる写真というものを表出していきたい。

それが可能かどうかは別として、そうしなければいけない立場にあることは承知している。何しろ写真以外は何もない今なのだから。

この立場が吉と出るか、そうでないか、まあそうは言いつつも気長に写真は続けていくだろう。

何故なら写真の良さは時間がかかるのだから。自身も周囲も。

そしてそれは音楽の価値観とも同じなのだ。


最近のストリート写真。


ベニスでの写真。ほか、ドイツやシンガポール等その差異が自身でも面白かった。興味の対象が変わってくる。


最近始めた散歩スナップ。飼い犬と一緒のときに撮影することにした。もともとやってはいたけれどインスタでアップすることにした。


最近ようやく諸々落ち着いて来たので、noteもぼちぼち更新していきたい。



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