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祈りと震災-ディズニーの井戸に賽銭を投げる日本人の宗教観-

「有名神社で曖昧に手を合わせ、なんとなくクリスマスパーティを開き、思いつきでディズニーランドの井戸に賽銭を投げ入れ、気がつくとインターネット上のカリスマの信者になっている日本人の宗教観とは」

有料にしました。
そのうち何かで公開するので買わないで。


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東北の山奥の小さな集落。古びた屋敷で元刑事の沼田は東日本大震災の犠牲者を悼むため、木彫りの像を作り続ける。

震災が発生したのは退職から1年後。1人の警察官として、被災地のために働けないもどかしさを感じた。

「なぜ俺は〝生かされた〟んだ」

〝導かれるように〟彫刻刀を握った。犠牲者に「どうか安らかに」と祈りを込めた。

年月の経過とともに、像は数千体を超えた。

噂を聞きつけ、多くの震災遺族が訪れ、自分の像に手を合わせた。

元来、信心深い方ではない。

「被災者を救おうなんてたいそれたことは考えてねぇ。誰かの癒しになるなら、それでいい」

話しながらも、作業の手は止まらない。自宅の囲炉裏で火がパチパチと音を立てる。朽木は静かに少しずつ、祈りの対象へと姿を変えていく。

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平成後期、災害が相次いだ。東日本大震災では未曾有の被害が出た。熊本地震や御嶽山の噴火、昨年の西日本豪雨でも、尊い命が失われた。

自然の脅威を前に、人々は理不尽にすべてを奪われる。愛する家族を、住まいを、故郷を失いただ立ち尽くす。やり場のない悔しさ、怒り、悲しみを背負う。

がれきに覆い尽くされた死の街で、被災者は地元の宮司が差し出したお札を振り払い「神様は、私の家族を助けてくれなかった」と呪詛を吐く。

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日本人は〝救済〟を目的とする宗教に期待を寄せない。自然災害に対しても楽観的運命論者で、自身が被災者となっても信仰に依存することはない。信仰が足りず被災したとは考えない。

公益財団法人「庭野平和財団」が震災翌年に実施した宗教団体が震災で行った支援活動に関するアンケートでは、「一つも知らない・分からない」が49.6%にも上った。

知っている活動も「神社や寺院、宗教団体の建物が避難場所となっていた」(29.7%)、「僧侶が死者の葬儀や慰霊を行っていた」(26.9%)、「炊き出しなど支援物資の提供」(22.9%)であり、「被災者の心のケアに当たっていた」はたったの12.4%にとどまった。

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一方で、震災後の被災地の動きは日本人に宗教性がなくなっていないことを示した。

住民は犠牲者を悼み、海に向かって合掌する。あちこちに建立された観音像、誰かが設置した献花台、教訓を次世代につなぐために保存された震災遺構…。訪れた人々は信仰を問わず、こうべを垂れる。

俺は日本で最もポピュラーとされる浄土真宗本願寺派の寺生まれだ。被災地に赴任後、帰省した際にふと日本人の宗教性について聞いてみた。

祖父は「仏様は、祈らなくても救ってくださる」とだけ答えた。なるほど。悪人正機か。我々の宗教観は、能動的な信仰を必要としない教義が根付いた結果なのだろうか。

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文化庁の平成30年度「宗教統計調査」によると、国内の宗教の信者数は、29年12月時点で神道系8616万6133人、仏教系8533万3050人、キリスト教系192万1834人と続く。諸教も合わせると合計1億8116万4731人。なんということだろう。日本の総人口より多い。

しかし、NHK放送文化研究所が昨年10〜11月、全国18歳以上2400人に対して実施した信仰に関する調査では、普段信仰している宗教で「信仰している宗教はない」は62%に上った。「仏教」と答えた人は31%、「神道」が3%、「キリスト教」が1%だった。

文化庁の調査は宗教法人の回答に基づくものであり、多くの団体が氏子や檀家の家族全員を計上しているのだろう。しかし、現在に生きる我々には「信仰している」という自覚は少ない。教団に所属せず、教典に依拠して暮らしていないことが浮き彫りとなっている。

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では、我々は信仰を捨てているのだろうか。

我々の多くは様々な宗教的行事を共存させている。正月は初詣に出かけ、お盆には墓参りのために帰省する。結婚式は教会で挙げ、永遠の愛を神に誓う。

ディズニーランドの井戸に賽銭を投げ入れ、ネット上では好きな人や絵を「神」と表現し、怪しいインフルエンサーの信者と化す。大きな事件や事故が起きれば現場には被害者のために花やジュースが備えられる。死者の追悼のため、生家と異教の偶像だけでなく、自然や人工物にすら信仰に取り込み祈りを捧げる。

無宗教ではなく、むしろ多神教の様態だ。信仰を自覚せずとも、柔軟に、信じるものを変える。宗教を使い分けている、とも言える。

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一昨年、沼田の彫った像のうち1体は海を渡った。

ニューヨークのカトリック教会の神父が自宅を訪れ、「連れて帰りたい」と申し出た。

沼田が木を掘り始めたのは、現職の刑事だった頃、肉親による殺人事件がきっかけだった。捜査中に拾った松の木を持ち帰り、犠牲者のことを思いながら彫った木は、母が子を抱いたような姿をしていた。

木に導かれるまま彫ると、不思議と母子の姿になることが多かった。地元では「観音様」と呼ばれたが、神父は「マリア様」と表現した。

「自分の木像はマリア像ではないし、あくまで震災犠牲者のために木を掘ってきた」

一度は断ったが、これまでに像を見にきた人たちのことを思い出した。

それぞれが思い思いの家族や友人を悼み、手を合わせていた。

神父の教会は2001年9月、テロの標的となった世界貿易センタービルの跡地の近くにあった。今でも多くの人が、慰霊に訪れるという。

沼田は木像を神父に託した。

「祈りたい人のためなら、俺の木像は仏様や観音様、マリア様にだってなれる。日本人の宗教観って、そんなもんだろう?」

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