見出し画像

【掌編】遠くなってしまった

自宅で仕事をしている最中、スマホが振動した。

「おばあちゃんが今日の6時半になくなりました。静かな顔でした」

母からのLINEは簡潔で、それだけだった。
PCに向かっていた私は、一つ深呼吸をして「母さんもお疲れさまでした」とだけ返した。

スマホを伏せて、視線をPC画面に戻す。表示されているExcelは先程と何ら変わらない表情で私を見つめ返した。
今日がテレワークの日でよかったな、と思いながらデータを入力していく。オフィスに出社する日だったら返信に時間がかかっただろうし、こうしてすぐに切り替えることもできなかっただろう。

――6時半か。朝から母は施設の方に行っていたのだろうか。亡くなってから5時間ほど経つ。少しあちらも落ち着いた頃だからLINEを送れたのだろう。母は、無事に看取れたのだろうか。

亡くなった祖母とは元々同居していた訳ではなかった。それにここ数年は老人ホームに入っていたから、長期休みにちょっと顔を見せる程度。加えてこのコロナで2年近く会ってなかったんじゃないだろうか。そのせいか、祖母がいなくなったことに実感が湧かない。

キーワードを打つ手を止めて、私はおしゃべりで他人のことなんてかまわず1人で話し続ける祖母の声を思い出した。90歳を越えてもハリのある声。祖母の部屋に行けば、私の声を遮って話始めるような人。元気で、わがままで、おせっかいで、心配性な祖母。

大学受験で遊びに行けないからと電話したときには、こちらの話も聞かずに一方的に励ましてくれた祖母。なぜか顔よりも声の方がはっきりと思い出せるのは、きっとそれだけいろんな言葉をもらったからだろう。きっとあの声の残像はいつまでも忘れられないのだろう。

祖母が亡くなったのは突然のことではなかった。一カ月ほど前に看取り介護に入ると母から知らされていたからだ。まだ意識のあった祖母自身が最期まで施設にいたいと言ったらしい。

自分の最期の場所を選ぶというのは、どういった気持ちなのだろうか。90歳も越えると、きっと自然と近くに感じるのかもしれない。もしかしたらいつでも意識の片隅にあるものなのかもしれない。
自分で自分の最期を選べたのだから、とても幸せな最期だったのかもしれない。

私はExcelとの戦いを再開すべく、いったん思考を振り払った。

◇◇◇◇◇

祖母の死の知らせから1週間。母からのLINEは一切なかった。人が死ぬというのは大事だ。葬式やら親戚とのやりとりやらで忙しいのだろうと、私も連絡はしなかった。

このコロナ時代、東京に暮らしている私が田舎の祖母の葬式に行けるはずもずもない。だから忌引き休暇を取るわけでもなく、いつもと変わらない日々を過ごしていた。

いつも通り仕事で疲れ、いつも通りコンビニスイーツを買って帰り、いつも通りテレビを見て笑う毎日。私の心に起こったさざ波は、すぐに静かな凪になった。

人が死ぬというのは大事だ。だけれど、大事だからこそ隔離が簡単で。隔離されてしまえばこんなにも遠いものになってしまう。

コロナで人と人との距離が離れてしまうようになったけれど、それは人の死も同じだ。ただでさえ遠くに感じている死というものが、より遠くて現実味のない空虚な何かになり果ててしまった。

私は数日ぶりの満員電車に乗り込んだ。毎日この人込みに揉まれていた頃は何とも感じなかったのに、たまに乗るものだから辛くてしょうがない。けれどそれを避けるために早く出勤するということもできない。在宅ワークでなまった体はどうしても早起きしてくれないのだ。

どこか掴まるところはないものか。つり革も手すりも手が届くところにはない。必死に足を踏ん張りながら、私は電車の揺れに耐えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?