誰かの「好き」で構成された世界で生きていたい
ぼくは誰かの「好き!」が、好きで。
それは、偏愛だったりフェチズムだったり、癖だったり。
純愛だったり、思想だったり、宗教観だったり。
いや、実際にそれが好きなのか?と問われれば実際はそうでもないんだろうけど、、笑
その「好き!」と向き合っているあなたの姿勢が好きなのかもしれません。
ぼくは長野県の古旅館でシェアハウスを運営していて、20代〜60代が15名くらい暮らしています。
それぞれの「好き!」が日夜リビングに持ち込まれ
それは音楽だったり食べ物だったり、本だったり服だったり。
日常の暮らしの道具も
日常を彩る嗜好物も
もしくは、それぞれの趣味や活動だったり。
そもそも、シェアハウスである古旅館も
元はここで生まれ育った大家さんの「好き!」がなければ、とうの昔に朽ち果てていたお家なのだと思います。
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みんなの好き!が詰め込まれてできる家の物語
ぼくは「みんなの家」という唐沢寿明さん&田中邦衛さんが主演を務める三谷幸喜さんの映画作品が好きなんです。
唐沢さん扮する新進気鋭のデザイナーと、邦衛さん扮する昔気質の大工が、それぞれのこだわりをぶつけながら、家を造っていくお話です。
デザイナーの言葉で
「あたりまえのものを望んでる。当たり前のことがこの国にはなさ過ぎる」
こんな言葉が出てきます。
家を造る上で、求めること、考えることに時間を費やすこと、従来のセオリーに反した設計を行うことなどの、デザイナーが考える「あたりまえ」を
納期を優先する為に、定型のデザインにカタログの中の部材しか使いたくないという大工側の意図とで実行することができない!と、双方がぶつかるシーンです。
大工は昔気質でとにかく「頑丈な家」を造ることに尽力し
デザイナーは「最高にかっこいい家」を造ることに尽力します。
その間に挟まれる施主である新婚夫婦、、笑
その間に、旦那の母親の風水師が間取りに口を出したり小便小僧を贈ったり
大工の若手は熱い想いでデザイナーに殴りかかろうとして
デザイナーに内緒で大工は20畳の和室を勝手に造ってしまいます。
最終的に職人同士打ち解けていくデザイナーと大工に旦那さんは嫉妬します。笑
そうやって、「みんなの家」は完成していきます。
「昔の大工はこの床の間の曲線に宇宙とのつながりを想像したんだ。」
(↑ネット検索しても出てこなかったから正しいセリフは不明)
もう一つぼくのお気に入りのシーンは、その20畳の和室の床の間を大工が造ろうと計画するとき、こんな言葉をニヤニヤしながらつぶやくんです。
この言葉にめちゃくちゃ大工の家づくりへの愛が込められているんです。
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ぼくは結果的に「古いモノ」が好きで
それは暮らしている古旅館のシェアハウスだったり、ぼくと同い年の四角い愛車だったり、大家さんのお家から出てきた戦前のトランクだったり。
それらはとってもとってもかっこんいいです。
無骨な材質をむき出しにしていたり、さりげないアールの曲線で作られていたり、金具に装飾が施されていたり。
いまではおそらくそんなところにコストなんてかけないだろうし、機能性に関係のないことに美を求めない。
古いモノにはどうしてそんなところにコストを割いたんだろう?
古くてかっこいいモノを見つめる度にそんなことを考えます。
もしかすると、「みんなの家」みたいに
誰かがああだこうだと上手に言って、利己的な「好き!」をプロダクトに詰め込んでいたのかもしれません。
そして、それらを許容する寛容さがあたりまえだったのかもしれません。
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良いか悪いか。じゃなくて、好きか嫌いか
そう考えていくと
「好き!」=「愛」
なんじゃないか!?
と、至極シンプルでわざわざテキストにする程でもない考えに至ります。
ぼくは「良い」か「悪い」じゃなくて、「好き」か「嫌い」が判断の中心にあるんです。
「良いモノ」と評されるモノがあったときに、それを見て「誰にとって?」を考えてしまう。
10人中8人が「なんとなく良い」と評するものより、8人が見向きもしないのに、2人が熱狂的に「良い!!」って熱狂するもの。
それは場末の飲み屋だったり、街のどこかのミニシアターだったり、店主がずっと本を読んでいる古本屋だったり。
要するに、ぼくは万人にとって利便性の高い無味無臭なモノじゃなくて
誰かの偏っていて利己的で傲慢な愛に満ちたモノを求めているのかもしれません。
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その好きを「好きだ!」と言ってくれる人と生きればいい
ぼくは2009年に長野県のど田舎に移住して以来、遊休資産となってしまった古家を再生し、小さな流動と小さな経済を生み出す。
そんなことを生業にしています。
移住当時は誰からも理解されることもなく、ぼくはそんなことを生業としていくことに決めました。
当時は自分自身の行動を、地域の未来が云々カンヌンと、ああだこうだと理屈をつけていたんだけど
結局のところ「好き!」だったからなんだって、いまとなれば理解しています。
ぼくの好き!が
偏っていて利己的で傲慢な愛に満ちた行動が
少しばかり誰かの未来や暮らしに繋がったんだ。
そんな過去からの時間の構築に、やっとのこと胸を張ってあの頃のぼく自身を承認することができたんです。
世間的に良いとされる物事=倫理観
そんな倫理観、時代とともに変化するじゃないですか。
それでも、この世界にはその時代時代の倫理観に締め付けれられている人がいる。
友人がいる。
「自分自身として、生きる。」
ぼくが運営するシェアハウスは、こんな言葉を掲げています。
運営開始から2年が経って、それぞれの「好き!」が日夜リビングに持ち込まれています。
ぼくは、誰かの「好き」で構成された世界で生きていたい。
そんなことを感じる今日この頃。
自分の好き!とあなたの好き!が交錯した世界。
否定し合うんじゃなくて、肯定し合う。
奪い合うんじゃなくて、交換し合えばいいんじゃないかな。
綺麗事を泥臭く実証していけばいいんだ。
そんなことを、、なんで急に考えてテキストにしてみたんだろ?!笑
好きなモノや、好きな人や、好きなコトに囲まれているのからかもしれません。
だから、ぼくの「好き!」を、この長く利益性の無いテキストを物好きにもここまで読んでしまったあなたに!!投げつけたいのかもしれない。
もしあなたが
「好き!」を言葉に出せないような不自由な世界に生きているんだとしたら
ここに来ればいい。
少なくてもぼくが生きる半径3mの世界には、あなたの「好き!」を否定する奴はいないと思う。
好きなように生きればいい。
あわよくば、その好きを「好きだ!」と言ってくれる人と生きればいい。
そんなことをくくりの言葉として、これまた
あなたに!!投げつける!!次第です。笑
ここは長野県の真ん中の宿場町。
え、結局は何が言いたいか??だって??
そりゃあ、あれよ。
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って、ことですよ!!!!
それじゃあまたね。笑
2021年9月15日
写真とテキスト:たつみかずき
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