見出し画像

花瓶を買いに行く

切り花が苦手なのは母の影響が大きい。
「切り取られた花は死体なのだから、仏壇に飾るのにちょうどいい」
母はそんな呪いの言葉を常に口にする人だった。
どんなに嫌だなと思う母の言葉でも子どもの自分の心に染みてしまうものだった。
文学賞の授賞式に貰った花束も「母がアレルギーなので持って帰れない」と言って担当編集の女の子に持って帰ってもらった。
実際は、私はもう一人暮らしをしているのだけど。
同じ賞の新人賞を取った男の子も花束を持って写真を撮ってもらった後、やはり担当の人に持って帰ってもらっていた。
「寮に持って帰ったらみんなに冷やかされるので」
彼は大学生だった。

授賞式会場からタクシーでホテルに向かった。
授賞式会場もホテルだったが、分不相応の高級ホテルで居心地が悪くなりそうな気がして、宿泊先は別のところにしてもらった。
それでも単なるビジネスホテルとは違うホテルだった。
タクシーを降りて、深呼吸をする。会場に飾られていた花の香りからもようやく解放された。
花自体は嫌いじゃない。
今住んでいるマンションの近くにはバラ園もあり、いつも散歩コースとしている。マンションの入り口には沈丁花の低木があり、花をつける頃にはとてもいい香りがする。
でも、切り花になった途端、その優しい香りもみんな腐臭に繋がるものになる。
ホテルのフロントで鍵を受け取る。
「お客さまへのお預かり物を承っています」
若い男性スタッフがウサギらしきぬいぐるみをカウンターに乗せた。
「あら、まぁ」
ぬいぐるみは丸い葉っぱを抱えていた。
「お手紙もございます」
箔押しの模様が上品な白い封筒を受け取った。
礼を言って受け取るとそのまま急いで部屋に向かった。

ぬいぐるみで、それが誰からかわかった。
今回の受賞作の本の表紙にその作品写真を使わせてもらったぬいぐるみ作家のKURUMIさんだった。
話の中に出てくるキリンのぬいぐるみのイメージに近いと、担当の小山さんが見せてくれた写真に一目惚れをしてしまい、小山さんを通してだけど表紙に使わせてもらえるようにと頼んで使わせてもらった。
受賞作の本は文学賞を取る前から売れ行きがよく、出版社側はそれはそれはご機嫌だった。自分では初の長編だった。今までは中短編ばかりで本は3冊しか出ていない。最初の2冊を担当していたベテランの大塚さんが出世なさって、新しくネットだけの文芸誌をスタートさせた。そこで連載したのが今の長編だった。1年半の連載の間、新しい担当者さんとは実際に会ったのは授賞式を入れて3度だけだった。最初の挨拶と、KURUMIさんに会いに行った時と授賞式。大塚さんとはあらゆる意味で正反対。新人で小山さんという若い女性だったがKURUMIさんの件に関しては本当に感謝している。
手紙には「受賞おめでとう」から始まり、ぬいぐるみは私をイメージした物だとあった。
「ワラビー?」
カンガルーの小さいモノぐらいの認識しかない。淡いブラウンとさまざまなギンガムチェックのパッチワークのボディにつぶらな黒い瞳が愛らしいぬいぐるみが果たして自分に似ているのかはわからないが、とても嬉しかった。
KURUMIさんと直接には1度しか会っていない。
KURUMIさんはとある地方都市に住んでいて、自分の住んでいるところからだと新幹線やら何やら乗り継がなくてはならなくて、そう簡単には会いに行けない。
担当者とのやり取りもほとんどリモートでのやり取りで味気なさを感じているのに、KURUMIさんと直接会えなくてもいろいろと話ができる今の世の中でよかったと思ってしまう自分の矛盾に笑ってしまうこともある。
「その子が抱えているのはアロマティカスという観葉植物。私の部屋にいる子のお裾分け。根が出ているので、もう少し根が増えたら器を替えてあげてください」
とあった。
「水栽培で十分元気でいてくれます。心配だったら鉢に植えても大丈夫。虫除けにもなるいい子です」
お祝いの言葉よりもアロマティカスの説明の方が長い手紙だった。
確かにワラビーが抱えているのは細い筒状のガラスだった。
水が中に入っている。
丸い、少し厚みのある葉に近づくとミントのような香りがした。
これから根が出るものではなく既に根が出ているものを選んでくれたKURUMIさんにリモートの打ち合わせの中で切り花が苦手な話をしたことがあっただろうか?
「花束は可愛いけど、もらってもあとは捨てられるだけなので長く付き合えそうなこの子にしました」
手紙を読んで「あ!」と声が出た。
KURUMIさんも切り花が苦手なのかもしれない。そしてKURUMIさんの言葉の方が切り花に対して優しい感じがして嬉しくなった。
飾りながらも「死体だ」なんて言う母とは全く違う。
「KURUMIさんがお母さんだったらよかったのに」
15歳しか離れていないKURUMIさんには失礼だと思ったけど本気でそう思った。

家に帰って、ぬいぐるみごとアロマティカスをテーブルの上に置いた。
このままではダメだ。
花瓶を買いに行こう。
どうせなら根の成長も見えるガラスの花瓶にしよう。
私は生まれて初めて花瓶を買いに行こうとしている。
それがこんなにも楽しい気分にさせてくれるとは想像できないことだった。