カラカラ

隣の家の庭にたくさんの風車がある。
その多くはペットボトルなどのお手製で、不思議なことにみんな好き勝手な方を向いて回っている。
ある日訪ねて来た友人が「この音、気にならない?」と少し眉間に皺を寄せて言った。
「この音。カラカラ鳴ってるやつ」
「あぁ、隣の風車の音。別に気にならない」
そう。多分いきなりあの数の風車が回り出していたら気になったかもしれない。
最初はひとつ。それが二つ三つと増えていき、その度に密かに数を数えていた。
今は23個ある。通りから見えないものもあるかもしれない。
カラカラ音を立てるのは全てではない。ある程度数が増えてからわかったことだった。
風車は壊れると新しいものに変わる。
最近だと二週間前に幾つかの風車が代替わりをした。中には木べらで作られたものもあった。
「今となっては聞こえない日があると今日は無風か…と寂しく思うよ」
「夜もずっと聞こえているんだろう?」
「風のある日はね。風の強さや向きによっては回らない風車もあるからね。全部がなるのは今日みたいにある程度風が強い日だけだね」
「ふうん」
でも友人が気にしたのはその最初だけだった。
友人は共にレポートを仕上げ、僕が作ったカレーで夕飯を食べて帰っていった。
友人が帰る頃は風がだいぶ止んでいた。

祖父母の家に下宿を決めて大学を受験したけれども、大学に入る前に祖父が死んだ。それを機に祖母も入院したが、構わないから越しておいでと言われて、祖父母の家に移った。それから2ヶ月後、祖母が亡くなった。
祖父が生前残していた遺言書によって、その家は僕のものになっていた。祖父母にとって僕は唯一の孫だった。
祖父母には子どもがふたり。僕の父とその弟である時雨さん。時雨さんはほとんど海外にいて、数年に一度日本に戻ってくる。その際はこの祖父母の家に帰ってくるのだが、祖母のお葬式以来会っていない。
「こう続けて帰ってくると、しばらく戻って来れないかもしれない」
祖母の葬式のあと、兄である僕の父に話していた。
時雨さんはおそらくだけど結婚していない。
僕の母親は兄弟姉妹も多く親戚も多い。父の方は祖母には兄姉がいたようだがみんな鬼籍に入っていた。祖父はその年代にしたら珍しくひとりっ子だったようで、祖父母の葬式は何故か母の一番上のお姉さんが仕切っていた。
父も時雨さんもぽつんとしていた。
そしてそれぞれの葬式が終わるまでふたりはこの家にいた。母や母の兄弟姉妹は葬儀会社で用意したホテルに泊まっていた。僕も、父たちと一緒にこの家にいた。
その時はまだ隣には風車はなかった。
「タカナシさんは今は誰がいるんだろう」
時雨さんが言っていた。
タカナシさんがお隣の名前だというのを知るのはそれから少しあとだった。
祖父の葬式のあと、父と時雨さんが「タカナシさん、お葬式に来てくれてありがたい」と話していた。
僕はどの人がタカナシさんかわからなかった。
その後祖母のお葬式の時も、父と時雨さんが「タカナシさん、お葬式に来てくれてありがたい」と言っていた。
僕はその時はすでにこの家に越して来ていたが、タカナシさんに会ったことがなかった。
越して来た際一度隣に挨拶に行っていたが、留守番だという女性がいただけだった。
僕はそのことを父と時雨さんに伝えると「お礼も兼ねて今から行こうか?」という話になり、三人で隣の家に向かった。
夕暮れ時だった。
父が呼び鈴を鳴らす。
すると何故か庭の方から男の人がひとり現れた。
父たちよりも年上で祖父母よりも若いとしかいえない。葬式に来ていた人の中にいたかどうか思い出そうとしてもわからない。
「おぉ、秋雨ちゃん、時雨ちゃん」
少し掠れた声だった。
「わざわざお葬式に来ていただいてありがとうございます」
父がそう言って頭を下げた。時雨さんもそれに倣って頭を下げ、僕も慌てて頭を下げた。
「いやいや、もうずっとお隣だもの。当然だよ」
タカナシさんは言った。
「もうすっかりこの辺も昔からの人はいなくてね。天野さんもなくなったらもうすっかり誰も居なくなるよ。時雨ちゃんはまだ日本に帰ってくる気はないのかい?」
タカナシさんはいろいろ事情に詳しいようだ、と思った。
「えぇ、まだ」
時雨さんが苦笑いを浮かべる。
おそらく当分は戻る気がないのだろう。
「代わりにというか、しばらく息子が隣にいますから、何かあったら使ってやってください」
父が僕を前に押しやるようにして言った。
「秋雨ちゃんの息子かい?」
「恵雨といいます。そこの大学に入ったんです」
夕陽の中で影になっている大学の建物を指差した。
そう。祖父母の家のすぐそばに僕の通う大学があった。実家からだとバスを使うと乗り継がなくてはならないし、自転車でも少し不便だった。
「おばあちゃんとか楽しみにしてたんだろう?残念だったね」
タカナシさんは言った。
「恵雨くんもなんかあったらいつでも来なさい。お隣同士だ…と言いたいが、自分もここには週末しかいないんだ。来年にはすっかりこっちに戻って来るつもりだけど」
「お仕事、辞められるんですか?」
父が訊ねる。
「まぁ、まだ早いと言う人もいるけど、会社勤めはもういいかな?ってね」
タカナシさんが答えた。
翌年、タカナシさんの家に人の出入りが増えた。
タカナシさんが戻って来たのもあったけれでも相次いで三人が越して来た。
その度にわざわざ僕に挨拶に来てくれた。
タカナシさんのお孫さんで現代アート作家の生成悠希さん。僕より少し年上だった。続いて生成さんのパートナーの悠木真中さん。そして自称タカナシさんの恋人だという戸成公佳さん。自称というのはタカナシさんが否定したからだ。
悠木さんも戸成さんも生成さんと同じくらいの歳だった。
そして戸成さんが越して来てから風車を庭で見かけるようになった。
だからてっきり戸成さんが作っていると思っている。
少しずつ増えていく風車に戸惑いつつもその変化を楽しんでいた。
タカナシさんの家はもともと塀で囲まれていて、僕の住む家の2階からでないと庭にある風車は見えない。それも家の影になっている部分はわからなかった。
ベランダで洗濯物を干しながら風車の数をチェックする。
今まであったものが別の風車になっているのもベランダからだとよくわかる。
タカナシさんは時々庭に置かれた木箱の上に座布団を置いて風車が回っているのをぼんやり見ている。
僕に気がついて手を振ってくれる時もある。
それは不思議な光景だった。
「風車、きれいですね」
「ありがとう」
タカナシさんはそう言って手を振った。
お互い、必要以上に干渉することはなかった。
時々、回覧板を持ってタカナシさんの家に行くと惣菜のお裾分けをもらう。それらの惣菜はみんなタカナシさんが作っているらしい。
何かの時に話をするが、誰も相手のことを聞き出そうとすることはなかった。みんなたまたまの流れで自分のことを話した分しかお互いのことは知らなかった。
玄関からは風車は3個しか見えない。
だから、玄関に来る人にはあまり気にならないものなのかもしれない。
ただ、風のある日に訪れると、見た目以上に何かの回るカラカラという音が響く。その音の正体を知る僕がわざわざ風車について訊ねることもなく、そういう日は「今日は風が強いですね」と言うだけだった。
タカナシさんだったり、他の人だったり、回覧板を受け取った人は決まって「洗濯物、飛ばされないようにね」と僕に言う。
多くは語らなくても、みんなわかっているような、何も知らないような不思議な関係だった。
たまに来る父には隣の風車を教えた。風車が15個ぐらいの時だった。
二階のベランダから隣の庭を見た父が「凄いね。ユーキくんの作品?」と言った。そういうパターンもあるな、と僕は思った。
父が来る日は決まって風があまり吹いていない。
父は隣の風車たちが忙しく回っているのをまだ見たことはない。
それでも父はこっそりと二階から風車を見ているらしい。
「また増えたね」
そう言って驚いていたこともあった。

カラカラ、カラカラ。
ベッドに入った頃、風がまた少し強くなった。
風の音に混じって、風車が回っている音がした。
暗い部屋の中でかすかに耳に届く音に僕はそっと耳を澄ます。
カラカラ、カラカラ。
何故かその音で安心する。
何故安心するのかは僕にもわからなかった。