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遺されたものたち(カムパネルラ2)

25歳の夏だった。
大学卒業後、文字と声だけのやり取りをしていた友人に暑中見舞いを送って10日後、手紙が届いた。
彼と同じ苗字だったが見知らぬ名前だった。
手紙には彼の死が綴られていた。書いたのは彼の伯父だった。
書きかけの彼の手紙が同封されていた。
急な病で余命わずかとあった。もう一度会いたいとあったが手紙は完結しないまま終わっていた。
「もしも、時間があったら一度こちらに来ていただけないでしょうか」
そう書かれていた。
会社の夏休み。どこにも行くつもりはなかった。文学賞作の単行本化にあたっての書き下ろし執筆にあてようと思っていたが、彼の伯父に会いに行くことにした。
5月の終わりにとある文学賞の新人賞と審査員特別賞を取った。
大学時代の彼をモデルにした話だった。
その話を書く時も、そして受賞した時も彼に連絡を入れた。
いや、受賞した時は彼の方から連絡があった。
それから3ヶ月も経っていない。

彼の伯父…N氏が駅で出迎えてくれた。
僕の顔は彼のスマホの中にあった写真をいつも見せていたからすぐにわかったという。
そこは海のない町だった。
N氏が運転する車で着いたところは灰色の大きな建物だった。
「Museum of Mementos」
プレートにはそうあった。
誰かの何かの記念館なのだろう。そういえば彼が大学卒業前に「伯父の博物館を手伝う」と言っていたのを思い出した。
N氏は駐車場に車を停めると、そのまま建物の裏口の扉を開けた。
「どうぞこちらに」
中は暖かいようなひんやりしているような不思議な感じだった。
中も外壁と同じ色で覆われていた。廊下を少し歩き、壁と同じ色のドアを開けた。
「ほぅ」
思わず声が出たで。
広い部屋だった。高い場所に窓がある。そこから光が差し込んでいる。
建物に入った時に感じた不思議な感触を一段と強く感じた。
例えるなら、水の中にいるような、そんな気がした。
自分たちの足音しかしない。
広いフロアのあちこちにガラスケースに収められていろんなものが展示してある。
絵だったり、古びた野球のグローブとバットとボールだったり、編みかけの何かだったり、手帳だったり。それぞれの物はそれらの持ち主らしい人の写真とプレートと共にケースに収められている。プレートには名前。その下に(19××ー20××)というような数字があり、その下にその人のこと、その物ことがSNSの短い文章のように書かれている。
「今はもうここにはいない人の博物館です」
N氏は言う。
「お墓や仏壇などの宗教的なものとは一切関係なく、その人を思い出したり、全く知らない人がその人のことを知るためにここにこれらはあるんです」
一定の期間、ここに展示され、あとは地下の収納庫に収められる。収納庫に収められた後も見ることは可能なのだそうだ。
収納物は生前本人が前以て収めたり、遺言書などにあったものを遺族が届けたり様々だが、収める意思があるという契約は本人とのみ取り交わされるとのことだった。
「あ」
彼の写真があった。
誰かの頭を押さえつけて後ろから身を乗り出して笑顔で写っている。同じ写真を持っている。押さえつけられているのは僕だ。3年の時のゼミの集まりでの一枚だ。
「この写真がいいと言ってね。君と一緒に写っているけど、君の顔はわからないだろう、って」
彼の名前の下に(1996-2021)とあった。
そこにあるのは分厚く膨れ上がったノートが数冊と僕が使い勝手がいいと薦めたシャープペンシルだった。
「君と一緒に調べた様々なことの資料だね」
プレートには「大学時代に学んだこと」と書かれてあった。他に彼の出身地と好きな作家の名前、そして、「水川栞の作品をもっと読みたかった」と書いてあった。水川栞は僕のペンネームだ。
N氏は僕が暫くそれを見ているのを、そばでじっと見ていた。
「君に渡すように頼まれていたものがあってね」
そう言うとN氏は入って来た方とは違う別のドアの方に向かって歩き出した。
やはり壁の色と同じドアは音も立てずに開いた。
「どうぞ、こちらに」
博物館自体は今日は休みなのだという。
暗い廊下だった。足元に照明があるだけだった。
行き止まりにぼんやりと小さな灯りが見えた。
N氏はその灯りのあるあたりに触れる。
行き止まりの壁が横に動いた。そこもまたドアだった。
そのドアを潜るマンションの玄関のような空間だった。
「ここからは自宅になります」
N氏が言った。
靴を脱ぎ中に入る。
そこで先ほどまで感じていた水の中にいるような感覚がふっと消えた。
今に通され、ソファに腰を下ろした。
N氏は一旦席を外した。
大きな窓があり、夏の花と空が見える。
そうだ。今は夏だ。
しばらくしてN氏がアイスティを持って現れた。
「わざわざ来てもらってありがとう。忙しかったでしょう?」
「え、あ、大丈夫です」
そういえば僕はお悔やみの挨拶もしていないことを思い出した。
「君から葉書が来て助かった。助かったというのはおかしいかな?」
自分の分のアイスティ置くとN氏は僕の向いのソファに座った。
彼の伯父ということはそれなりの年齢なのだろうけれども、随分若く感じる。そして顔立ちというか雰囲気がとても彼に似ていた。
「本当はもっと早くに連絡したかったんだけど、連絡先はみんなスマホやパソコンの中で、アレがいないから開くこともできずに難儀したよ」
僕はあぁともうんともつかぬ微妙な声を出した。
「いつも君の話を聞いていたよ。春に君が文学賞を取った時は本当に喜んでいた」
そうだ。文字でのやり取りが多かったけど、あの時はいきなり電話がかかってきたのを覚えている。
「まぁ、そのあとすぐに病気がわかったんだけどね。君の受賞作はきちんと読めていたようだよ」
脳腫瘍とのことだった。
N氏と一緒にここに住んでいて、視力が急に落ち病院へ行ってわかったとのことだった。あっという間に目が見えなくなり、2ヶ月後に彼は死んだ。
「ひどく特殊なケースだったらしい。腫瘍のある場所が面倒なのと、あとはやはり若さだよね。進行が速かったんだ」
アイスティーを飲みながらN氏は言う。
「目がほとんど見えなくなった時に、アレは覚悟を決めたらしい。博物館に収めるものを用意した。そして、君に手紙も書いたけれども、書き終える前に見えなくなったんだ」
N氏よりも少し神経質そうな彼の表情を思い出す。
彼の体は死後、検体として提供されたとのことだった。彼の体のないままの形だけの葬式が行われ、いつか検体としての役目を終えたあとに埋葬が行われるのだという。彼の体は今もなお大学病院に保存されている。
なんともいえない気持ちだった。
「これを君にと」
彼が大学時代に使っていたコットンの少しくたびれたトートバッグをテーブルに置いた。
中には文庫本サイズのノートと「銀河鉄道の夜」の文庫本が入っていた。
「ノートは君がネタに困った時に参考にしてほしい、と言ってたよ」
少しだけ笑顔になってN氏が言った。
ノートを捲ると、箇条書きで彼が思い付いたネタが書かれてある。
表紙裏に「水川の栞」とあった。そうだ、僕が大きなのノートの間に小さなノートを挟めるのが癖で、いつか指摘された時に「小さいのは栞代わりだよ」と答えた。本当は栞ではなかったけれど、説明が面倒だっただけだった。「水川」は本名だがペンネームの「栞」はその後彼がそのことをやたらと茶化すことからつけた名前だった。
そしてもうひとつ「銀河鉄道の夜」は第一稿から第四稿までが載っているもので、卒論の資料として使っていたものだった。中に赤と青の色鉛筆で彼の書き込んだ文字がたくさんあった。
「君に本当に会いたがっていたよ。でも君の単行本が出るまで待つ約束だったんだろう?受賞作が雑誌に載った時に、本になるには少しページが足りないだろうなぁ」とぼやいていたよ」
冬には単行本になるはずだった。
お互いの目標をひとつクリアしたらもう一度ふたりで会おうと決めていた。
彼の目標は司法書士だった。
伯父さんの博物館を手伝うという彼が「保険だよ」と言って資格試験の話をしたのは卒業間際のことだった。
「ここは私の父、彼にとっては祖父が始めたものなのです。亡くなる時に閉めてもいいと。でもその時にここにあるものたちのことを考えたら苦しくなって自分が継いだ。アレもここを守りたいと言っていたのに。まさか先に、こんなに早くにいなくなるとは」
僕もそうだ。こんなに早く彼と別れることになろうとは思っていなかった。あの時、なぜか彼と一緒に列車に乗って旅をすることはないのではないか? そう思っていた自分の予想がこんな形で当たってしまったことが悔しかった。
「あの…」
少しだけ目を赤くしたN氏に言う。
「僕がここを手伝うのはダメですか?」
N氏は驚いた顔をした。
「ここに何かを残していった人たちのことを、彼のことを僕は書きたいんです。書かせてください」
そうだった。そもそも僕が小説を書き始めたのは彼に読んでもらいたかったからだ。
高校の頃に書いていた話を彼がとても気に入ってくれて、「続きはないのか? 他の話はないのか? 」と言うので、しばらく書いていなかった小説を書き始めたのは大学2年の秋だった。
「水川の話をもっと読みたい」そういう彼に乗せられて、僕はいつしか職業作家を目指すようになっていた。でもそれはかつての夢でもあった。
「ここで彼の残したものを、彼が残したかったものを守りたいです」
N氏は「ありがとう」と言った。
「多分アレは、本当は君とここにいたかったんだろうな。君にここでここの話を書いてもらいたかったんだろう。そういう話をしていたことがある。君なら、この残されたものたちにある物語をうまく形にしてくれるだろう、と」
そんな事を言っていたのか。頬が熱くなるのを自覚した。
「君が良ければいつでもここに来てくれて構わない。ここには私しかいないから」
N氏は言った。
僕はもっと彼と話がしたかった。
ここに来たら、彼が僕に話したかったことが聞こえるようなそんな気がした。

駅までN氏に送られた。
帰る前にもう一度博物館の中に展示されているものたちを見せてもらった。
メガネだったり、期限の過ぎた免許証だったり、おもちゃだったり、アルバムだったり。いろんなものが持ち主の写真と共に収められている。
「あぁ見えて、誰も来ない日というのはないんですよ」
車の中でN氏が言った。
任意で書かれる入館の記録には、誰の知り合いなのか書く欄があった。
身内の場合、地下にしまう際に連絡を入れるとのことだった。
「冬に本が出ます。そうしたら、こちらに越して来てもいいでしょうか?」
「本当に?」
本当は今このまま残ってもよかった。でも、「本が出るまで」という彼との約束もだし、今の会社もきちんとした形で辞める必要もある。
「じゃあ、待ってます。いつでも準備ができたら連絡をください。アレが使っていた部屋の他にも部屋はまだあるから」
「よろしくお願いします」
「ありがとう」とN氏は言った。
「でも、考えが変わってもいいのだからね」
そう言ったN氏の顔はとても彼に似ていた。

冬の日。
僕の初めての本はそこそこの売れ行きだった。
執筆依頼も来ている。僕は会社を辞めた。
そして僕は彼の残したノートと「銀河鉄道の夜」だけを持って海のない街の駅に降り立つ。
N氏が僕を見つけて手を挙げている。
冬の空気はあの日の博物館の中の空気に少しだけ似ているような気がした。

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続いている風はないかもしれません