前回の中学時代から引き続き、今回は高校時代です。
よろしければお付き合いください。

高校時代

高校は八千代市にある千葉英和高校に行きます。
キリスト教の学校で、チャペルがあって礼拝の時間や聖書の授業もある学校です。(千葉の奥にある学校にしては若干オシャレな雰囲気)
が、クリスチャンの生徒は僕を含めて殆どいませんでした。

画像1

普通科の他に英語科と特進クラスがあって、僕は入学試験の成績が上位の方で「特進クラス」を進められますが、ここは大学受験命のようなクラスで毎日8時間授業を3年間続け、部活動の参加ができないという、僕からみたら地獄のクラスだし、何よりバスケをやると決めていたので、秒で断って普通科に進みます。

僕が1年生の時の男子バスケ部は、3年生がおらず、2年生が7人いるだけのチームでした。
2年生たちは1年生の時から先輩がいなくて、とても鍛え上げられてきた人たちです。
バスケの練習というのは、とにかく走るメニューが多くてとてもハードで、人数が多くなれば、自分の順番が回ってくるまでに若干インターバルが伸びるので、少しだけ楽になります。
人数が少くなくても内容やセット数は変わらないので、少なければ少ないほどきつくなるんですよ。
だから、2年生の先輩たちは下級生の部員獲得に必死で、見学や仮入部で練習に参加させてもらうと、僕みたいな初心者でも超ウエルカムで、
「ジャンプ力凄いねー!」
とか
「足速いねー!」
とか
「来年にはエースになれるよ!」
とか。笑
とにかく褒めまくってその気にさせてくるんですね!
僕も僕で、そんなわかりやすいヨイショに気を良くして、そのまま入部します。笑
そんな先輩たちの強いクロージング力で、僕ら1年生は4月に30人くらい入部しましたが、想像以上に練習がきつくて、5月には6人になっていました。。
結局僕らの学年は3年生で引退するまでその6人でした。

自宅から高校までは1時間半くらいかかるので、始発の電車に乗って朝練に行き、授業中に睡眠をとって、午後の4時半から7時くらいまでのハードな練習に備えるという日々。
授業は1時間目から4時間目まで寝続けて、昼食の時間にクラスの友達に起こされるという睡眠サイクル。笑
入学時にトップクラスだった僕の成績順位は、1年間で550位くらいまで急降下します。(学年600人中)

バスケ部の練習は毎日ハードでしたが、とくに夏合宿は地獄でした。
朝練2時間、午前練3時間、午後練3時間、夜練3時間。
1日11時間くらい練習します。
ダッシュとかフットワーク系の練習は女バスも一緒にやるんですけど、しんどすぎて泣きながら走っている子もいました。
さらに僕らの時代のきつかったのは、練習中に水が飲めなかったことですね。
今そんなことしたら大問題になってしまいますが、この頃は多くの部活が、練習中は水を飲んではいけないという伝統がありました。
当然、足が痙攣する人とか、鼻血を出す人が続出します。。
とにかく水分が欲しいんですけど、体育館に死角はないし、隠れて飲むこともできないから、タオルを予め濡らしておいて、顔の汗を拭くふりをして、タオルの水分をすするなんてことをしていました。笑
よく誰も倒れずにやっていたと思います。

そんなバスケ三昧の日々を送っていたの高校2年のある日、大学バスケのリーグ戦を観に行く機会があり、トップレベルの大学生の試合に感激したのですが、その中でも日体大が断トツに強くてぶっちぎっていました。
自分がやっている同じバスケとは思えないほどの次元の違いを見せつけられて、衝撃を受けました。
僕は高校からバスケを始めたものの、一生懸命練習して2年生の途中からはレギュラーにもなっていたし、そこそこやれるつもりでいたのですが、全国区の高校でもないし、上には上がいるということを思い知らされました。
ただ、その時の日体大の印象が強烈すぎて、「オレもチャンピオンチームでプレーしてみたい!」なんて無謀にも思ってしまうわけです。
それで、大学は日体大に行くということを、すでに高2の秋に決めていました。
そんなわけで、高校の思い出はほぼバスケで埋め尽くされているのですが、
今の体力や身体能力の礎は、この高校時代に作られたことは間違いありません。

余談ですが、人気バスケ漫画の「スラムダンク」は、僕が高校1年生の時に、少年ジャンプで連載が始まりました。
つまり僕は、主人公の桜木花道や流川楓とリアル同い年だったんです!
僕は高校からバスケを始めて、最初は身体能力だけでやっていたところもあり、流川的なキャラになりたいと思っていた桜木タイプでした。笑

画像2

僕は高校卒業後、1年浪人してから大学へ進学するのですが、次回はそのあたりを振り返ってみたいと思います。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?