見出し画像

『新型コロナと向き合う』(横倉義武・岩波新書)

2020年半ばまで日本医師会の会長をしていた人が、2020年からのコロナ禍における医療活動の実情を明らかにした新書である。発行は2021年10月。ニュースの表には現れてこない政府と医師会との関係ややりとりも随所で描かれており、貴重な記録となっていると見受けられる。
 
そして特に「かかりつけ医」という立場から、最後は今後の医療との関わりとして、「かかりつけ医」の重要さを力説するものとなっている。
 
医療従事者や保健関係は、これ以上ないというほど献身的に対処したし、また本書が発行された後も、し続けている。そして本書を見る限り、医師会からの提言や要請に対して、政府もできる限りの応答をしているように見受けられる。事実そうなのだろうと思う。行政も、手を拱いていたわけではない。ただ、近年経験したことがない事態であっただけに、確かに結果的にうまくいかないこともあった。しかし、そのうまくいかなかったことをことさらに取り上げて、政府は何もしていない、などとマスコミが叩くとすれば、全く言論に値しない恥ずかしいことだと私も思う。ワイドショーが騒ぐ裏側で、どんなに苦労して、祈るように走り回っていたかを知ると、表面的なことで知ったかぶりをしていた私たち、そしてテレビに出てくる有名人というのが、実に恥ずかしくなってくる。
 
本書はそうした批判をしようとする姿勢は微塵も見せない。この困難の中で何を考えどう動いたか、それをずっと綴ってあるのを見ると、本当に頭が下がる。とにかくまずは、感染症の存在が明らかになってから半年間のドキュメントから始まる。緊張感漂う記述だが、医師会も国も、初期のときから全力で立ち向かっていたことが分かる。
 
こうしたレポートを見せて戴くと、コロナ禍になって初めてばたばたと動き始めていた訳ではないことを知る。ひとつに重要だったのは、東日本大震災であったようだ。ここで災害救助に動くための手段が講じられた。そのための法律が定められた。それがあってこそ、災害としてのコロナ禍において、とりあえず動く態勢ができていたことになる。ふだんから、疫病に対する手は、やはり打たれていたのである。一般市民が、それを深刻に考える機会を完全に失っていただけのことなのだ。
 
2021年9月まで、不安な様相を目にしながら、本書の執筆はいったん切り上げて、上梓することとなっている。この先の事実を記録するのは、私たちである。
 
最終章で、サブタイトルにも付けられていた「かかりつけ医」の提言がなされる。頁数からすると25頁ほどでしかないが、筆者がかねてから構想していたことや、呼びかけていた「かかりつけ医」の制度とその効用について、熱く語られる。それは、やはり医師であった筆者の父親の姿から始まるものであった。終戦の前年に生まれた筆者が、戦後私財を擲ち医療のために献身的に働き尽くしていた父親の姿を鑑としていることがよく伝わってくる。国も動けなかった。人々は金も満足にもっていなかった。しかし衛生概念の普及という教育的な配慮も含めて、よくぞ働けたというほど、父親は医師として見事な働きをしていたというのだ。いま著者は、福岡県のみやま市で、ヨコクラ病院の理事長を務めている。父親も福岡で医師として働いており、著者の出身は福岡市である。私も福岡の者として、この地でこうした働きがなされていたことを誇らしく思う。それは、勲章がどうだということとは別に、素朴に思う。
 
と、持ち上げすぎたかもしれないが、それくらい私が、政治の背後の動きについて、実は知らないし、知ろうともしていなかったことの反省をこめての感想である。現実にコロナ対策がうまくいったのか、それでよかったのか、その検証はこれから先に必要となるだろう。またこれまででも、現場と司令部との間で考えのズレがあったことも推測される。本書が現場の考え方と合うのかどうか、それも分からないため、検証は幅広く行われるべきであろう。実際この対策そのものが、継続中なのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?