何故アイドル部のサイドチェストはFAVRICのオーディエンスを沸かせたのか

 テレビアニメ『ダンベル何キロ持てる?』のブームにより、VTuber界隈でもOPテーマである『お願いマッスル』の歌ってみた動画が流行った。単純に曲自体の人気が高いということもあったが、歌部分と合いの手部分をそれぞれ別のVTuberが担当することで事実上のコラボ動画になることも人気の秘訣だったのだろう。

 とりわけホロライブ組による動画は完成度も高かった。17人で合唱という規模は収録もさることながら、一部2DのVTuberも混じっているとは言え、多数の3Dモデルを動作させるというところから言って編集も大変だったに違いない。

 だが、今回取り上げるのは、VR時代の本格ファッション&ライブイベントと称されたFAVRICというイベントで、どっとライブが運営しているVTuberグループ・アイドル部のうち7人が『お願いマッスル』を歌ったことである。一部リスナーの推察通り、ここには多くの意味合いが込められていたものだと考えられる。

 無個性から個性への変貌

 まずこれから語ることが全くの妄想ではないことをご理解していただくためには、上記のFAVRIC運営によるツイートをご覧いただく必要がある。上記のツイートからはアイドル部が身に纏っていたのは「個性と無個性のデュアリティ」というコンセプトの「アイドル研修用ジャージ」であるということが分かる。

 しかし、ジャージというのはスポーツやトレーニングをする際などに身に着ける一般的なトレーニングウェアであり、ファッションの世界からは程遠い存在のように思われる。実際アイドル部7人の衣装を初めて目にしたユーザーたちはファッションと言うにはあまりにも地味なものだと感じたはずだ。

 だが、『お願いマッスル』を歌っている際にアイドル部7人がサイドチェストをするとその衣装ははじけ、普段身に着けているアイドル衣装が露わになるという演出がなされると、この衣装のコンセプトがユーザーにも理解されていった。(補足をすると、サイドチェストにより衣装がはじけるという表現は『ダンベル何キロ持てる?』のOPアニメや本編でも行われているものである)

 つまりこれは統一された地味なジャージ姿から個性的なアイドル衣装へと変貌を遂げるという演出であり、映像の背景もそれに合わせて一層華やかなものへと変化した。理屈の上では意味が分からなくても、アイドル部メンバーの成長を表現していることが見た目の印象でユーザーに伝わっただろう。

 さて、ここまではFAVRICのパンフレットでも「個性が発現する」という表現がなされていることからも、説明不要な事実であると思われる。本記事ではもう少し掘り下げて考えてみたい。

 そもそもアイドル部メンバーは、アイドル部として活動する以前の自分に自信がない者が多い。しかし、ファンからしてみれば何を馬鹿なと思いそうなほど、現在のアイドル部メンバーは非常に個性豊かな面々であり、創作作品よりも創作らしいという評価をされることさえある。どうやら過去の自分に対する自己評価の低さが理解できないファンも多いようだ。

 とは言え、彼女たちの自己評価はまったくの的外れなものではないと思う。正確に言えば、彼女たちは自分の個性を発現する機会を十分に得られなかった者たちであるというのが個人的な印象である。

 FAVRICに出演した7人に関して言えば、花京院ちえりともこ田めめめは個人勢VTuberとして活動していたものの大きく目立つようなことはなかったし、北上双葉や木曽あずきは積極的な自己表現が苦手なタイプのように見受けられる。
 金剛いろは、ヤマトイオリは常に明るく友達も多そうな印象があるが、ある種の天才であることを見抜いていた者が周囲にどれほどいたものだろうか。牛巻りこはプログラマーとして電脳アルバイトをする以外に、多くの人の目に触れる場で何かを表現することがなかったのではないか。
 これらの推察に根拠はそれほどないが、少なくとも彼女たちの多くがアイドル部に入って良かったと語っていることは事実である。言ってしまえば、彼女たちは無個性な日常を送っていたのである。それがアイドル部として活動することで個性を発現したのだ。それを表現することこそがアイドル研修用ジャージのコンセプトであった。

 こう考えると、アイドル部7人による『お願いマッスル』の前に、電脳少女シロの『ダンスロボットダンス』、電脳少女シロ×アイドル部の『ダダダダ天使』という演目が披露された展開にも意味があったかのように思われる。
  たったひとりだったシロのもとへアイドル部7人が集合したのち、『お願いマッスル』ではシロのもとを離れてアイドル部のみでの演目を披露するというストーリー仕立てになっていた、というのは考え過ぎだろうか。偶然の一致かもしれないが、シロとアイドル部が所属するどっとライブの活動の歴史を感じさせる展開であった。

 ピンキーポップヘップバーンという過去を肯定する者

 ところで、ここでいきなりちゃぶ台返しをするが、アイドル部に所属する以前の彼女たちは本当に無個性だったのだろうか。本人たちにとっては無個性な日常だったかもしれないが、本当は個性ある日常だったのではないだろうか。この推察を肯定する存在がピンキーポップヘップバーンである。

 ピンキーは今回のイベントの『お願いマッスル』ではアイドル部7人に混じり、合いの手を入れていた。その後、ピンキーはめめめとふたりきりになる。その際に、めめめは一度ははじけ飛ばしたはずのアイドル研修用ジャージを身に着け、一見すると無個性な自分へと姿を戻していた。
 だが、ピンキーはそんなめめめを目にしたうえで「デビューした頃から、めめめのことが好きだった」と語り始めるのである。これには「過去のめめめは現在のめめめの前座ではない。あなたは前からずっと個性的で魅力的な存在だった」という想いが込められているのではないだろうか。

 実際、ピンキーがめめめの熱心なファンであることは有名で、アイドル部としてのデビュー当時よりも前の、個人勢だった頃のめめめの動画まで探し出して「ガチ恋勢」になったのだという旨のツイートをピンキー自ら行っている。

 めめめの過去を知る者がめめめの過去を肯定するという演出を行うためには、ピンキーという存在が適任であった。合いの手を入れるが如く応援をし続けてきたピンキーがめめめと初めての対面をし、過去と現在のめめめをすべて肯定することで、「個性と無個性のデュアリティ」というコンセプトは完成したのである。

 もちろん過去をひっくるめて肯定するべき存在なのはめめめだけではない。そもそもアイドル研修用ジャージという衣装は一見すると無個性のように見えるが、スカートの丈の長さなどのデザインがそれぞれ異なるという個性がある。特にジャージの下に見えるめめめのおしゃれな靴下はとてもではないが、個性を隠し切れてなどいない。全員が元々それぞれに個性的であった。ピンキーなど一部の者は、その魅力的な個性に過去の時点で気付いていたのである。

 ファッションとは一体なんなのか

 それにしてもファッションショーでありながら、用意された衣装を脱ぎ捨て、元々の衣装で歌って踊るというのはなんとも大胆な表現だ。一歩間違えれば企画の趣旨を無視していると批判されていたことだろう。

 いや、それ以前に『お願いマッスル』という選曲自体も大胆だ。この曲ではボディビルコンテストで用いられるような掛け声が合いの手になっているが、衣装によって自分を表現するファッションショーと筋肉美のみで自分を表現するボディビルコンテストというのはある種対極の存在であるとも言える。

 加えて言えば一般に電波曲として認識されている『お願いマッスル』にここまでのメッセージを込めるということ自体が常軌を逸している。しかし、筋肉道を極めようとトレーニングをする姿と、アイドルになろうとトレーニングをする姿はそれほど遠い世界のものではないと思われ、見事にはまっていた。

 そして、こうした大胆な表現が許されるのがファッションの世界でもあるのだろう。世界的なファッションイベントであるパリ・コレクションでも奇抜な衣装を身に纏うモデルの姿がたびたび話題になっているし、着ることが表現として許されるならば脱ぐことも表現として許されるべきなのだろう。ファッションの世界には疎いが、今回のイベントはファッションとVRの融合という意味でも新たな可能性を感じさせるものであった。

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