「やっぱり人生っていうのは『密度』だと思う」
「細く長い人生より、太く短い人生がいい」という人がいる。
人生には密度が決まっていて、それを薄っぺらく伸ばすのか、ぐっと凝縮するのかという考えから来てるんだろう。
もし総量が決まっているのであれば、私も「太く短い人生」を選ぶかな。
たまに「長く生きたくない。短くがいい。」という人もいる。
でも、私はできることなら「太く長く」がいい。
寝たきりで長く生きることとか、お金の心配があるけど、もし健康で経済的に余裕を持って長生きできるなら、その方がいいな。
親しい人に「短い人生がいい」とか「短く生きるつもりだ」と言われると、とても悲しくなるし、悲しすぎて「なにカッコつけてるの?」と怒りが湧いてくることだってある。
周りの人のことを思いやってないとか、私の存在がどうでもいいと言われてる気になるのかな。
小学生の頃、親に「どんなに冗談でも、死ねっていう言葉だけは使うな」と言われたことがとても印象に残っていて、それは忠実に守っているし、今では自分でも「死」を冗談で扱っちゃいけないという価値観になっている。
だから、「自分は早く死ぬんだ」というのは、冗談でも抵抗感が強い。
「死」について話すことがタブーというわけではなく、それを軽く扱うのがあまり好きではないという意味だ。
ただ、私の周りの人だと、「太く短い人生がいい」って言っている人って、自由にやりたいことをやってる人が多いのも事実。
そこを考えると、何をするにも石橋を叩きすぎて渡る前に疲れてしまう私は反省すべきことがたくさんある。
もっといろんなことに挑戦した方がいいし、逃げない方がいい。
密度で言うと、低い。
経験値が低い。
小さなことでいうと、行ったことない店に一人で入るのをためらう。
出張先でお昼を外で食べないといけない時、事前にオシャレなカフェを探して出かけるものの、いざ現地に着くと、怖気づいてファミレスに行ってしまうことがある。
休みの日も、カフェ巡りをしたいと思うものの、やっぱり入れずにコンビニで適当に何か買って家に帰ってくることもある。
何を緊張しているのか、誰の目線を気にしているのか、自意識過剰で自分でもおかしいとは分かってるんだけど。
新しいことを経験することから逃げていると、トラブルにも対応できなくなる。
トラブルに直面すると、その時は嫌な思いをすることも多いけど、次に似たようなトラブルが起こった時に対処しやすくなる。
逃げてばかりじゃダメ。
いろんなことを経験して、密度の濃い時間を積み重ねて、密度の濃い人生にしたい。
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