道徳でない、やすらかな徳

シムラという名前が、人を笑わせてくれる人に固有の名前だと少年時代から思っていました。
物心ついてから、初めて、テレビの中から、お笑いというものを意識した根っこにある原体験が志村さんであるのは間違いなく、唯一の人です。

もちろん加藤茶さんとのコンビで認知しているのだけど、だいじょうぶだあだよなあ…と思って調べてみたら。

僕の生まれたのが1986年。
あの伝説的・神話として知っている全員集合が終わったのが85年で、翌年にTBSで加トちゃんケンちゃんが始まって、そのまた翌年にフジテレビで『志村けんのだいじょうぶだぁ』が放送開始になっている。

未就学児時代の記憶なので、この二番組が別のものだとはたった今まで気が付かなかったのですが、毎週家のテレビから流れる志村けんがどれだけ強烈な笑いのインパクトを持っていたか。子供心に残っているのは、志村けんの笑いのみです。

バカ殿も86年にスタートとのことなので、自分と同い年。追いかけるように観ていました。

異形のキャラクターに扮したコントの数々、そしてフレーズ。
どれもが代表作になるくらいに飛びぬけていて、意味を超えた経験として残り続けます。
運動神経と音楽的センスが抜群にあって、あれだけのキャラとギャグを成されたのは間違いないです。
誰よりも動けたコメディアンに違いなく。

そこへリズムとメロディを呼び込む天賦の才が加わって。

最初はグー、を考案したこと。リズムをつくることが、そのまま大きな意味での習慣になってしまう。はじめにグーを出して調子を整えることは、最も身近な枕詞となりました。

東村山音頭を発展的に継承したところの過剰とも思えるエンターテイメント性。
これは志村さん人気の起爆剤になったもので、こんな爆弾を作り出せるコメディアンがいるかどうか。

『七つの子』の替え歌は、元の唄を知らなかったくらいで「カラスの勝手でしょ~」という歌詞だと本当に思っていた。メロディと言葉に関する感性がよっぽど鋭くないとこれはできないです。

変なおじさん。あの状況とキャラクターに沖縄民謡『ハイサイおじさん』を純粋に音楽的な部分で接木してあの異様なダンス空間を仕上げました。

そして、いいよなおじさん。このおじさんの「いいよな」は、フレーズとしていちばん好きです。志村さんのもとでしか再現されえない音を伴っていて、どう考えても好き嫌いあるし、このたまらなさが説明を超えて、ただ示されるコントとなっています。

身体性を存分に発揮しながらも、舞台からテレビに入り喜劇がその歴史で獲得してきた表現方法(映像技術等)を身体に取り入れて、さらに大きな身体性を獲得して、一時代の身体になった。それをみんなが観てきた。


死亡説がたびたび出るなど都市伝説的な面や、スキャンダラスな面など。これらコントの外部は、かつらを外したところのあの禿頭の無規定性に吸い込まれていきます。
素顔で番組に出演するときの照れがそこに乗っかって、またコントへと向かっていくことを誰もが信じているように。新しいコントの再び生まれることを。

未来に生まれるはずの喜劇にも、その光は届きます。

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