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ド・ブルケール家の人々

 拙ブログ『TATÉ-MONO』の建築紹介記事として載せるためド・ブルケール邸という建物について調べていたら、建物自体もさることながらこの邸宅の所有者、ド・ブルケール家の人々の来歴も非常に面白かったので、以下にメモすることにした(注1)。

 ド・ブルケール邸はオクターヴ・ヴァン・レイセルベルヘとアンリ・ヴァン・デ・ヴェルデというアール・ヌーヴォー建築の名手が設計した邸宅で、1898年造。ベルギーのブリュッセルにある。施主はフロランス・ド・ブルケールという夫人。ド・ブルケール家はフランドル地方の名家で代々おおむね、リベラル、無神論、フリーメイソンを奉じていたとのこと。フロランス夫人は、フランスの地理学者にして無政府主義の大立者、エリゼ・ルクリュ(1830-1905)の愛人かつ庇護者で、ルクリュは最期、フロランス夫人の腕のなかで息を引き取ったのだとか。ほんまかいな。なお、フロランスにヴァン・デ・ヴェルデを紹介したのはルクリュであると言われている。19世紀末のフランスでは無政府主義テロと文学的前衛(象徴主義)との共鳴という現象が見られたけれど(注2)、もっと一般的な視野で、無政府主義者と前衛芸術家(ここではアール・ヌーヴォー)との接近の一例を、ヴァン・デ・ヴェルデとルクリュの交流に見出したくもなる。
 1895年にフロランス夫人はブリュッセルでエコール・デ・プティット・ゼチュードという私塾を設け、1898年、ヴァン・レイセルベルヘとヴァン・デ・ヴェルデに設計させた邸宅の1階部分をその私塾の教室にあて、息子のレオンに教育をほどこす。そこで教鞭をとったのは上述のエリゼ・ルクリュの他に、現実主義の画家アルフレッド・バスティアン、のちに反順応主義文学結社(「レ・ピーコック」)を創設する女流詩人マリ・クロッセ、社会主義ジャーナリストにして第二次大戦後ベルギーの第34代総理大臣になったカミーユ・ユイスマンスなど。フロランス夫人、振り切っている。全力投球の左派系教育である。すごい濃いい人々が、このお屋敷の1階に、かつて集っていたのだと知ると感慨深い。

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 それで、そんな(良くも?悪くも?)偏りまくった教育を受けて育ったレオン少年はその後どうなったかが非常に気になった。そこで彼についてざっと検索してみたら、まとまった記述はオランダ語ウィキペディアくらいしか見つからなかった。機械翻訳の仏訳文、英訳文で読んでみると、レオンの経歴もなかなか面白い。結果、ド・ブルケール邸の建築紹介記事作成そっちのけになってしまった。
 以下のレオンの伝記的事実の記述は大部分、ウィキペディアの情報による。1885年生まれのレオン・ド・ブルケールは、母の私塾で教育を受けてからブリュッセル、リエージュ、ヘントの大学で応用科学、工学を学び優秀な成績を収める。左派系のイデオロギーとは見事に何の関係もない進路を選択するという・・・。1905年には、レオンは軽飛行機操縦士としてのキャリアを開始し、1908年と1909年のゴードン・ベネット・カップの気球レースで3位、4位になるなど操縦士としても優秀な成績を収める。レオンはさらに1910年には複葉機の製造に成功し、パイロット養成学校や航空機製造工場を経営するようにもなる。ド・ブルケール製複葉機はオランダ軍に供給され、第一次大戦で使用されたのだとか。レオン自身も第一次大戦に従軍志願しパイロットとして戦地に赴き、ベルギー空軍少尉となる。また、叔父のルイ・ド・ブルケール(1870-1951)はレオンのもとで航空術を習得し、そのおかげで同じくベルギー空軍で役職を得て、軍曹になったという。
 ここでルイの経歴についても触れておくと、彼は戦前からベルギー労働者党幹部として社会主義的政治活動を展開しており、第一次大戦後は国際連盟の軍縮会議の議長を務めたりベルギー議会で上院議員となるなど政治、外交分野で活躍した。またルイは教育者として、14-18歳の若者たちに、ブルジョワの平準的教育とは異なる、技術者・現場監督育成のための教育を施す産業従事者教育機関を1899年に開設してもいる。この職業訓練学校の設立にはウィリアム・モリスの思想が影響を与えているらしいけれど(注3)、ルイの義母に当たるフロランスの私塾設立も多分に影響を与えたのではないかという気もする。息子のレオンは飛行機乗りになって実業経営者にもなったけれど、甥のルイが左派の精神を継承したという格好だろうか。

 第一次大戦後のレオンの経歴は、ごくあっさりとしか書かれていない。自分のエンジニア系事務所を持ったほか、お肉のスライサーや秤などを手掛けるベルケル社と事業協力もしたらしい。飛行機からお肉へ。たしかに飛行機のプロペラ製造技術なんかはスライサーに応用できるかもしれない。レオンは1944年に死去し、ブリュッセルのサン=ジル地区の墓地に葬られた。享年58歳。


(注1)ド・ブルケール家の記述に関しては以下の伝記を参照した。Pierre Van Dendungen et Ginette Kurgan, « Notice sur Louis de Brouckère », dans Annuaire 2006, Académie royale de Belgique, pp. 41-73. 〔雑誌タイトルは斜字にできなかったので太字強調。〕
 また、ド・ブルケール邸設計者や邸に関する記述はブリュッセル首都圏地域が運営するサイト、『建築遺産データベース』の « Hôtel de Brouckère » の記事を参照した。
(注2)この主題を扱ったすぐれた論文として、たとえば以下の2つがある。川瀬武夫、「マラルメとアナーキズム」、『ユリイカ』9月臨時増刊号〔「総特集ステファヌ・マラルメ」〕、青土社、1986年、128‐153頁。山田広昭、「フェリックス・フェネオン――あるアナキスト批評家の軌跡」、『〈前衛〉とは何か?〈後衛〉と何か? 文学史の虚構と近代性の時間』、塚本昌則、鈴木雅雄編、平凡社、2010年、395-422頁。
(注3)Pierre Van Dendungen et Ginette Kurgan, art. cit., p. 50.


ド・ブルケール邸に関する拙ブログ記事は以下からどうぞ。

オクターヴ・ヴァン・レイセルベルヘの他の建築作品も紹介しているのでよかったらどうぞ。ヴァン・レイセルベルヘは非常に多彩な建築家なのでどの建物も個性的で魅力的です。


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ありがとうございます!
元パリ住民、現・神奈川県民の30代男子。建築の勉強はしたことがない門外漢ですが建築・橋梁を見て回るのが好き。 見学した建物の記録はブログ https://tate-mono.blogspot.com/ にて整理中。このノートでは建築見学日記をものすごく主観的に綴ってゆきたいです。