「良いモノ作ってれば勝手に見つかるなんてのは幻想なので僕らは『創っておしまい』とはいかない」と思った話
ニコニコ動画におけるボカロ・歌ってみた系のムーブメントに浸っていたのはもう7,8年ほど前のことになる。
あの頃クリエイターとして活動していた人はだいたい大学生くらいで、僕も例外ではなかった。同世代が集まってクソ安居酒屋でアホみたいに飲んだりもしていて、友達の友達は友達みたいな謎の空気感は大学のインカレサークルにも近しかったような気がする。
基本的にボカロPや歌い手というのは承認欲求の化け物で、そういう人たちが安酒をバカバカ飲むとどうしても愚痴みたいな話題が出てくるものだ。
曰く、「あの曲がランキング入りしてるのにこっちが評価されないのはおかしい」
曰く、「音楽で勝負しろよ漫画と合わせるとかずるいだろ」
曰く、「あのピックアッパーはわかってない。俺の曲を入れるべき」
当時の僕はあくまで映像作成担当者。脇役であり"当事者"ではなかった。なので、「みんなタイヘンダナァ」と思いながらその話を聞き、ビールを飲み、日本酒を飲み、ウィスキーを飲み、酔いつぶれていたのを覚えている……いや、記憶はない。飲みすぎで。
とはいえ今、僕はnoteで小説を連載していて、上述するところの"当事者"になった。最近身の回りでちらほらと、当時と似たような話題が聞こえてきたりもするので、なんかの参考になれば良いなと思って自分の考えをまとめようと思う。
ニコニコって厳しかったよね
当時を思い返すに、ニコニコ動画というプラットフォームは作り手にとって相当厳しいところだったと思う(今はどう? 最近観てないのでワカランのだ)
例えば、再生数やマイリスト数、そしてランキングという形で作品の人気が可視化されること。これは自作だけでなく他人の作品の人気も可視化されてしまうというところに追加ダメージポイントがあったりもする。
例えば、ポジティブな反応だけでなくネガティブな反応も容易に付けられる、コメント機能。他のプラットフォーム、それこそnoteにもコメント機能はあるけれど、ページ下部にあるnoteと違ってニコニコの場合は自分の作品と一緒に視界に流れ込んでくるという点で被弾確率と威力がハチャメチャに高い。
思い返せば思い返すほど、創作における虚無の暗黒がとても発生しやすい環境だったと思う。
僕は、創作活動(特に趣味の創作)において最も必要なものは作品への肯定感、ひいては自己肯定感だと思っている。自分なりの最高傑作ができたとか、仲間内の評価が良いとか、それだけで良いはずなんだよ。本来は。
なのに、そういったポジティブ要素がたくさんあるにも関わらず、「悪いコメントがついた」とか、「再生数が伸びなかった」とかで”ミソがつく”。それが原因で創作活動のモチベが消滅して引退した人を、僕はたくさん知っている。
自己肯定感ってのはとても脆いもので、ニコニコ動画の場合はそれを簡単に(時には悪意を以て)消し飛ばしてしまえるデザインだった。そういう意味で、とても厳しい環境だったと思う。
「見つかる」ための戦い
そんな厳しい環境の中で、ボカロPの皆さんはとにかく「見つかる」ために様々な策を弄し、ニコニコ動画という戦場を駆け巡っていた。
ターゲットを広げるために、曲調を変えた人がいたり。
逆にディープに絞って突き抜けた人がいたり。
メディアミックスで名を馳せた人がいたり。
他にも「最初の5秒が勝負」「音圧マシマシ」「めちゃくちゃ動くアニメ」「クソウマ演奏」などなど手を替え品を替え様々な手段を駆使し、宣伝し、栄誉を勝ち取る。そんな戦が繰り広げられていた。
策が奏功した人もいれば、失敗した人もいる。なんなら大炎上した人もいる。ただ、成功失敗に関わらず、彼らは皆口を揃えてこう言うのだ。
「良い曲作ってれば勝手に見つかるなんてのは幻想」
そりゃ勿論、2ヶ月前に投稿した曲がジャスティン・ビーバーに見つかって激バズなんてこともある世の中だから、100%ないとは言えない。ただそんな幸運に恵まれるのはごく僅かだし、ましてやジャスティン・ビーバーに「なんでもっと早く見つけなかったんだ」とか文句を言うのはお門違いだ。
良い文章書いてれば勝手に見つかるなんてのは幻想
ニコニコ動画の戦士たちの言葉を、僕の主戦場であるnoteに置き換えてみるとこうなる。
勿論、そんな世の中になってくれれば良いと思うし、noteの理念的にもそれが最高なのだけど、残念ながら現実はまだそうはなっていない。
だから僕らは考えなきゃならない。どうやったら目標を達成できるのか。そもそもその目標ってなんなのか。それは自分の性分にあった目標なのか。etc,etc.
そうして定めた目標に対し、僕らはカイゼンを続けなきゃならない。手を替え品を替え、試行錯誤して、宣伝して、反応を見て、作り続けなきゃならない。
クリエイターとして「何者か」になりたいのなら必ず通る道を、僕らは今歩いている。だから、上述のような幻想はさっさと捨てなきゃならない。
とはいえ、救いはある。noteはニコニコ動画と比べるとめちゃくちゃクリエイターに優しいということだ。ただこの優しさの性質を見間違うと大変なことになるので注意が必要だ。
noteの優しさってなんだ?
僕らがやるべきことは、noteの長所である「優しさ」を活かしつつ、ニコニコ動画の先人がやっていたようにトライアンドエラーを繰り返すことだ。じゃその優しさってなんだろうか?
僕の考えるところでは、ニコニコ動画と比べたnoteの長所(=優しさポイント)は大きく二つある。「創作活動を続けやすい環境にあること」と「投げ銭や有料記事といった風土が根付いていること」だ。具体的には以下二点。
1、創作活動を続けやすい環境にあること
スキ数は一般に公開されているものの、記事のview数なんかは本人にしか見えない。ランキングもない。コメントで中傷してくる奴も少なく、上述したようなミソが付きづらいところはとても良い。
さらに、好意的なリアクションはソッコーで伝わってくるのも良いところだと思う。スキがついたり、誰かが引用して話題になってたら教えてくれたりするととてもウレシイ(だからこそスキスパムにはキレる)
他にも、連続更新の「すごい!」はモチベに直結しているし、エディタの清潔感も良い。こういう環境の良さは、継続的なトライアンドエラーのためには大切なところだ。
2、投げ銭や有料記事といった風土が根付いていること
これは時代のおかげもある。マネタイズしやすさというのはそのまま継続しやすさを意味している。たまに100円もらえてオススメとかつくだけでその日の晩酌を豪華にするくらい嬉しい(※赤字である)。
このあたりの長所のおかげで、noteは創作活動を続けるという点においてはとても良い環境となっている。
僕はnoteユーザーが言う「noteは良いところ」「noteは優しい」ってのはそういう話だと思っている。「口を開けていれば餌が飛び込んでくる」ってことでは断じてない。餌を取りにいくのは自分の仕事だ。
こうした「優しさ」に甘えつつ、定めた目標に向かってトライアンドエラーを繰り返すのが良いんじゃないかなと思っている。
目標立案とトライアンドエラー
さて、この目標とトライアンドエラーにも色々とやりようがある。
◆目標について
noteの場合、ニコニコ動画みたいに「殿堂入り」とか「ランキング*位」という定量目標は、その仕組み上立てることができない。なので、まず自分の記事のView数だとかスキ数だとかを焦点に当てるのが楽だとは思う。
「キリが良いからこの数字」とか、憧れの人がいるならその人の総合View数を目指す、とかでも良い。そうやってできた目標に達するために、どういう発信をすれば良いのかを考えて行くのが良いだろう。
ここで注意すべきは「この目標にはできるだけ定量的な値を使おう」というところだ。例えば「編集部のオススメに載る」とか「**さんのピックアップに載る」とか「たくさんほめてもらう」とかは定量的でない。
特に前者二つは自分のアンコントローラブルなところで目標達成ができなくなる上に、基準がわからないので迷子になりやすい。敢えてやるなら止めはしないが、相応の覚悟が必要になるのでオススメはしない。
◆トライアンドエラーについて
投稿作品の種類によって少し異なると思っている。
コラムやエッセイ、短編小説など、1〜2記事で完結するコンテンツの場合、トライアンドエラーの対象は「宣伝」と「内容」の二つとなる。とにかくたくさん作っていろんなパターンで感触を見極めていくものだ。
一方、連載小説の場合は「宣伝」が主になるだろう。これは反響に応じて長編作品の内容(プロット)を曲げるのはよくないと古事記にも書いてある。
◆「宣伝」のトライアンドエラー
コツとしては、「note内の交流や滞留に固執しないこと」が一番だと思う。勿論note内の交流も大事だけれど、パイが大きいのは間違いなくnote外だ。そのあたりはこのあたりにまとまっている。
なお、長編小説の場合は宣伝してもview数はなかなか伸びない傾向にあるという肌感覚がある。まぁいきなり第3話とか第5話から読み始める人はいないので、どうしても尻下がりになってしまいがちなんだよね。
宣伝の一環として再放送などをやると割とマシになる(なった)。他にもメディアへの露出のさせ方の検討や、長編ならではの強み(設定の深さ、ストック量など)を武器に人々の注意を呼び込むのが第一歩だ。
また、並行していくつかの連載をやってみたり、短編などを発信していくことも効果的だと先人も言っている。短編小説をきっかけに自分のメインコンテンツに引き込むイメージ。
◆「内容」のトライアンドエラー
特にコラム・エッセイに関していうと、「時価が高いか、もしくは普遍的価値のある情報を持った記事を書くこと」が大事だと思っている。
情報の価値とは時価である。例えば僕のグラブル記事、「ネブカドネザルの属性に悩む話」などはいい例だろう。
ネブカドネザルとは武器の名前で、記事を書いた当時は「暇な奴が趣味で作る武器」程度のポジションだった。なので記事自体のview数は200程度で打ち止めだった。が……
……それから3ヶ月ほど経ったある日、新ジョブの習得にそのネブカドネザルが必要となった。その瞬間、この記事の価値は爆上がりした。記事のview数はその日のうちに10倍近くまで膨れ上がり(時価の高い情報)、半年ほど経つ今でも月々に結構な数のviewがついている(普遍的価値を持つ情報)
勿論、これは短編小説などでも言える。フォロワーの小説家諸氏は時事ネタを使って超面白いパルプを書いていたり、タピオカブームの中でスイーツの妖精が戦うパルプを書いていたりする。
コラムとかエッセイほど影響は受けないにせよ、世の中の流行りとかによる価値変動に乗ってみるとなにか変化があるかもしれない(僕はその辺あんまし試せてない)
noteとの距離感の話
さて、脱線しつつ色々と書いてきたがそろそろまとめよう。
以上の経験や思想から、僕はnoteを連載基盤 兼 作品ポートフォリオであると考えている。
この発想はボカロPにとってのニコニコ動画に近しいものだが、「プラットフォーム上でのデカい花火(殿堂入りとか)を求めない」という意味では少し意味合いが異なる。
noteで作品を公開し、ファンを増やし、好意的な反応を食べながら連載を続ける。そうして出来上がった作品たちをもとに、ゆくゆくは外に進出したり、イベントなどで書籍にして頒布したりする(特に外に進出するにあたってはポートフォリオとしてのnoteが活躍することになる)。
宣伝とかはnoteでもやるけれど、それ以上にTwitterやリアルイベントでの宣伝が必須だと思っている。noteである程度連載が溜まったら、まとめ版を他の小説プラットフォームに投げつけることも考えている。
またnote内での宣伝にしても、「小説」タグだけじゃなく他に飛び出して自分をそして自作を認知してもらうことが大事だとも思っています。
なお、あくまでも「連載基盤 兼 作品ポートフォリオ」なので、ここでバズとかマネタイズができなくても泣かない(※できるならそれに越したことはない)。
現時点では定量的な目標として、各作品ごとに「第*話まで書く」「そこで*スキつくようにする」という数値を定めている。設定値はあまり高くないが、油断せずやっていこうと思う。
いじょうだ
先駆者ぽい目線から色々言ったけれど、上述の通り"当事者"になったのはここ1年ほどの話だ。しばらくすると言ってることが違うかもしれない。その時はすまない。
最後になるが、ニコニコ動画も悪いだけの場所ではないことだけは申し添えておきたい。
例えばマイリスト。これは気に入った作品を登録するときの話ではなく、自分の作品をまとめるときの話。あのユーザインターフェイスはとても良かった。自作品を一覧化できるのは当然として、トップに説明文を入れられる、動画ごとに説明文を入れられる、簡単に並び替えができる。連続再生機能もわかりやすかった。noteさんは見習ってほしい。あと閲覧履歴にもとづくおすすめは最悪だからやめたほうがいい。
あと、他の人の動画の再生数が見えることとかランキング機能とかってのも、時と場合によっては長所だったりもするんですよね。例えば殿堂入りとかのムーブメントはそのあたりの情報がなければ起こらないわけで。殿堂入りの栄誉を勝ち取るためにたくさんのボカロPが知恵を絞ったことは間違いないのです。noteは仕組み上そういうムーブメントは起こりづらいので、同じノリで付き合ってると難しいなと思う時があります。あと閲覧履歴にもとづくおすすめは最悪だからやめたほうがいい。
じゃあ僕はポケモンに戻るね!
快適な環境で良い創作ライフを! ちゃお!
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