ノンタバコミュニケーション
長々と打ち合わせをしてる間に、外はざぁざぁと音がするほどの大雨になっていた。昼過ぎから不安定だったけれど、いよいよ機嫌を損ねたらしい。
「……なかなか降ってますね」
「うーわ、マジかよ」
ビルの出口。僕の言葉に応えたのは、山本部長──僕の上司だ。その隣には先輩の大崎さんもいて、「わー。傘ないんだよなぁ」とぼやいている。
二人は愛煙家だ。打ち合わせを終え、すっかりニコチン切れを起こしている彼らは、屋外……大雨の向こうに見える、簡素な喫煙所に視線を注いでいる。山本さんがわざとらしく目を凝らし、傍らの大崎さんに言葉を投げた。
「……走って、5秒ってところか」
「っすねー」
喫煙所まで、屋根はない。二人は傘を持っていないようで、あそこまで濡れて行くハメになる。
ちなみに僕は、別にタバコを吸いにきたわけではない。どうせタバコを吸ったら解散になるし、荷物をまとめて一緒に出てきただけだ。……とはいえ。
「……マジで行くんですか? なかなか降ってますけど」
本心からの問いかけに、山本さんは「いやー、」とハゲ頭を掻いてから言葉を続けた。
「いけるっしょ」
「いけるいける」
「はあ」
二人はなかなか爽やかな笑顔で言い合っている。そんなにも吸いたいものなのか、タバコ。
間の抜けた声をあげる僕の肩をポンと叩き、山本さんはびっと敬礼とともに僕に声を投げた。
「じゃ、悪い田村。ちょっと待っててくれ」
「あ、はい、ごゆっくりー」
僕が応えると同時に、山本さんと大崎さんが駆け出す。先に声を上げたのは大崎さんだった。
「っうわ冷たっ、結構きつい!」
「足を止めるな大崎ーっ! 行け行け行け!」
ぎゃーぎゃー言いながら、二人は喫煙所に駆けていった。
腕時計を見る。18時30分。3時間近く打ち合わせしていたことになる。
打ち合わせのお相手は、大学教授だった。今日はその先生の研究室まで足を運んでの打ち合わせで、山本さんたちが駆け込んだのも大学院の喫煙所だ。
……しばらくは暇だし、メールチェックでもしとこうかな。そう思い、僕がスマホを取り出したとき──後ろから、女性の声。
「あらぁ。降ってきたねぇ」
声の主は、初石さん。隣の部の女部長だ。僕に並んで空を見上げる彼女に、僕は軽く会釈する。
「……あ。お疲れ様です」
「おつかれぇ」
初石さんは応えながら、ひらひらと手を振った。バリバリのキャリアウーマンである。絵に描いたような“強い女性”という感じで、今日の会議でも教授さんや他メンバーの提案をばっさばさと切って捨てていた。正直めっちゃ怖かった。
僕のそんな想いなど露知らず、初石さんは「いやー、大学だー!」と明るい声を上げた。
「キャンパスなんて久々だなぁ」
「あはは、僕もです」
初石さんの言葉に相槌を打つ。彼女はしばし、今僕らの出てきたビル──4号棟らしい──を見上げてなにやら考えていたが、不意に視線をこちらに向けた。
「そういえば田村って、院卒だったよね? なんの研究してたの?」
「んぇ」
不意の質問に思わず変な声が出る。隣の部のペーペーのことなんてよく覚えてるな。……とりあえず、えっと。
「あ、えっと、画像処理やってました」
「あら、処理? 私もやってたよ。分野は?」
「え、マジすか。僕は拡張現実……VRとかARとかやってました」
「おお。新しいね」
そう言って初石さんはンフフ、と笑った。羨んでいるようでもあり、侮っているようでもあり、懐かしんでるようでもある、不思議な笑い声だった。
そんな初石さんに「当時の流行りでしたからねー」と返して、僕は言葉を続ける。
「あとは、隣の席のやつが符号化の研究してたんで、その辺の話もぼんやりわかる感じですね」
「ああ、だから今回のプロジェクト」
「です。山本さんが覚えてたみたいで」
当の山本さんは今、屋外喫煙所で談笑しているのが見えた。「やまもっちゃん、そゆとこ記憶力いいんだよねー」と笑う初石さんは、これまでの印象ほど怖くないような気がした。
「初石さんは?」
「んー?」
「研究です。画像処理の」
「ああ。なんか3Dモデルを作るとかそういう系だったねー。もう用語も忘れちゃったけど」
何年前にその研究をしていたのか、という質問は、口に出さずにおいた。
「VRの研究?」と、初石さんは再び僕の研究に話を戻す。
「いや、僕はリアル側で……あれです、プロジェクションマッピング的な。まぁ初期も初期だったんで、ショボかったですけどね」
「あー」
口を開けた初石さんは、少しだけなにかを考える素振りを見せて。
「新しいね」
そう言ってまた、ンフフと笑う。僕も「そうですかね」と笑って、ふたりの間に沈黙が落ちた。
あたりはどんどん暗くなっていく。雨は先ほどから勢いを落とすことなく振り続けていて、たまに吹く強めの風に煽られて僕のメガネを濡らす。
「……ん?」
そんな短い沈黙を破ったのは、初石さんだった。
「あれ? 大崎ってタバコ吸ってたっけ?」
「え……ああ、」
問いかけてきた初石さんは、喫煙所のほうを眺めている。当の大崎さんは今、山本さんとともに二本目のタバコに火をつけたところだ。……いや、二本吸うのか。どんだけ我慢してたんだ。
「1年前くらいからだったと思います。吸いはじめたの」
「マジ? このご時世に? 物好きだねぇ」
「タバコ、値上がりしてますもんねー」
「それもあるしさ、ほら、禁煙ムードじゃん今?」
「あー。世間が」
相槌を打ちつつ、大崎さんの話を思い返す。
「……なんか、“今こそ、タバコミュニケーションが大事!”とか言ってましたね」
「マジか。令和に」
「です。まぁ、山本さんは喜んでましたね」
「あはは、そういう意味だと成功してんじゃん、タバコミュニケーション」
「あー、たしかに」
喫煙所で楽しげに会話をする二人を眺めつつ、僕は相槌をひとつ。初石さんは引き続き、こちらに水を向けてくる。
「田村は?」
「え?」
「タバコ」
「あー……」
初石さんに視線を移せば、そこにはにやにやという擬音がふさわしい笑みがある。……今なら多少ぶっちゃけても許される気がする。
「……その、やりたくないことは、やらずに済むなら、やりたくないなと」
「あはは。素直かよ。タバコ、苦手?」
「……一度、居酒屋で勧められて吸ったことはあるんですが」
「うん」
「まぁ、それっきりですね。めちゃくちゃ咽せて……クラクラして」
僕の言葉に、初石さんが「あー」と笑う。
「結構キツいやつだったんじゃない? 居酒屋の爺さんとかでしょ?」
「かもですね。……まぁ、そういうわけで、」
僕はそこで言葉を切って、喫煙所を一瞥。まだ戻ってこなさそうだ。再び初石さんに視線を戻すと、彼女は変わらぬ笑みで僕を見ていた。
「山本さんを喜ばせるためにタバコを始めるってのは、ちょっと無理っすね」
「今吸ってみたら意外と良いかもしんないよー?」
「んー、かもしれないとは思うんですけど」
初石さんの声音は、決して強引に勧めるものではない。むしろ、僕が断ることをわかった上で言ってきている雰囲気がある。……なので、僕も遠慮せず言うことにした。
「……なんか、格好悪いなって思っちゃって」
「大崎が?」
「や……そこまでは思ってないですけど」
急にブッコまれてたじろぐ僕をみて、初石さんがニヤついている。
「ただ、“仲間に入れてもらう”ために、やりたくないとか、興味がないことをやる……っていうのが、どうにも合わなくて」
「おー」
そうして、初石さんはンフフと笑った。
さっきと同じ、羨んでいるようでもあり、侮っているようでもあり、懐かしんでるようでもある、不思議な笑い声だった。
「現代っこって感じだね」
さっきからなんとなく思ってたけど。
多分この「ンフフ」は、内容をあまり理解していないときのやつだ。
「そうですかね。……でも、ほら」
だから僕はとりあえず、冗談の方に舵を切ることにした。
「新しいでしょう?」
「言うねぇ」
初石さんはケラケラ笑う。そしてほぼ同時に、喫煙所の扉が開いた。
「……お。吸い終わったみたいね」
「ほんとだ、出てきますね」
山本さん達が出てきて、僕らの会話は打ち切られる。二人して全力で走ってくるのを見ながら、僕は今の会話を反芻する。
「ふぃーついた! お待たせしました!」
「初石さんお疲れ様です!」
「はーいお疲れぇ」
現代っ子だのゆとり世代だの、言われる時は大体否定的な意味合いだ。なので多分、初石さん的には納得はしていないんだと思う。……個人的には、世代どうのは関係ないと思うんだけど。
「っつーかアンタたち傘は」
「誰ひとり持ってないっす」
「マジィ?」
とはいえ、もうちょっと上手く言えたかな、とか。言いすぎたかな、とか。色々と省みるところがないわけではない。
「山本さん、とりあえずコンビニ行きません? 構内のやつ」
「あー。そこまでは濡れていくか……」
「アタシ折り畳みならあるけど」
それにしても、僕の考えに否定的ということは、初石さん的には吸いたくもないタバコを吸う方が良いってことなんだろうか。……令和に?
「田村持ってたりしない?」
「え」
不意に話を振られて、僕は正気に戻る。えっとなんだっけ、折り畳み傘?
「あ、僕も持ってます」
「おい!?」
そこで声を上げたのは山本さんだった。
「田村、傘持ってたの!? 最初から貸してよぉ」
「あ、すんません……」
確かに、すっかり忘れてた。貸せばよかった。
「とりあえずじゃあ、田村くんの傘には自分入りますわ」
「じゃー初石姐さん、俺傘持つんで傘入れてください!」
大崎さんが僕の横に立ち、山本さんと初石さんが並んで、僕らは雨の中へと歩み出す。
ばらばらという雨の音。あたりの湿気が、いまいち釈然としない心中を移しているようで、僕は小さくため息をついた。
(了)
本作は2017年に途中まで書いた「非喫煙者の縄張りで」をベースに、白蔵主さん主催のコンテスト #風景画杯 参加用に修正と加筆を行なったものでしたが、思うところあり締め切り当日に取り下げた作品となります。
仕事の日常風景におけるノンフィクションな出来事を3つくらい合体させて、フィクションにしました。登場人物は実在の人物とは異なります。
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