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#5 京大について

11月16日。今日は、【京大】について書こうと思う。

実はわたくし、京大生である。現在就職活動に励んでいるが、ESの大学欄には当然「京都大学」と書く。けれども毎回、その次に必ず「出身大学」を聞かれる。学部を卒業した大学はどこですかと。院から京大に入ったので、その前にいた大学を聞かれるという話。

以前、某東大の准教授で、「中国人は採用しない」と発言して炎上した人がいた。この准教授、東大の大学院を修了しているが、東大の学部には編入で入学したとのこと。つまり、学部入試では通っていないということである。↓の文春の記事が、そのあたりを取り上げている。タイトルの通り、学歴ロンダリングへの差別が、彼の炎上の元凶にあるのではないかという論調。

まあ当准教授が実際に学歴コンプを抱えていたかはさておき。
この記事の4ページ目では、「東大の教養課程(1年時の授業)を受けていない輩は、真の東大生に非ず」といった見解が取り上げられている(かなり意訳しました)。今日取り上げたいのはこの話題である。

僕も京都大学に在籍してもう8ヶ月目になるけれど、なかなか自身が「京大生」であるという実感が持てず、京大生と名乗ることには、まだだいぶ違和感がある。というのも、やはり自分が学部入試を経験していないこと(かつ、一般的な京大生ライフを送っていない)と、このコロナの影響であまり大学に行けていないということがある。前者のほうがどちらかというと大きいかな。なんとなく、自分より周りは優秀な人間だというコンプレックスが無きにしもあらず。

一応、自分は日本で2番目の学府に所属しているんだよなあという気持ちと、いやでも自分は本当に京大生と言えるのか?という葛藤のようなものが、入学してからずっと渦巻いている。どうなんでしょうね、実際のところ。

某東大の某准教授は「東大卒」を名乗っていたら、「あんた生え抜きの東大生じゃないじゃん」と批判されたようである。僕も、自分が京大生を名乗っていいのか、迷うところがある。まあそんな迷うほどの問題でもないとは思うけれど。
一応今は、学部は某大学卒、院から京大と、ちょっと卑下しながら答えています。今日はそんな話。