補遺2:WIRED連載『新しい社会契約(あるいはそれに代わる何か)』第2回

雑誌『WIRED』Vol.36(2020年3月13日発売)掲載の『新しい社会契約(あるいはそれに代わる何か)』第2回「「あそび」とルールメイキング」の補遺です。紙面の都合上、掲載できなかった脚注、参照文献等をここで扱わせていただきます。


注1)

YCAMによる「コロガル公園」における遊びと自治は、いわゆる「冒険遊び場」と呼ばれるタイプの公園で培われてきた手法のアップデートであると捉えられる。1979年にできた世田谷区の羽根木公園内にある子どものための遊び場「プレーパーク」は、国内で初めての常設の冒険遊び場だと言われている。「自分の責任で自由に遊ぶ」を標語に掲げ、火をおこし、屋台を建て、水や土で遊ぶ子ども達の冒険遊び場は、遊びと自治について考えるうえで、示唆に富む。

注2)

「遊び」とゲーム理論という切り口もある。フリードリヒ・ハイエクが遺著となった『致命的な思い上がり』のなかの「補遺E 遊戯、ルールの学校」という章で、ハイエクの自生的秩序の概念理解にあたって、ホイジンガから多くを学ぶべきだとしていると指摘している点は興味深い。そのうえで、ホイジンガの遊戯論を通じて、ハイエクの思想、市場のゲーム性、遊戯性を考察したものとして、小島秀信『市場社会と遊戯論─ホイジンガの社会哲学を中心としてー』。

注3)

ゲームスタディーズについて、参照したのは以下の文献である。

・イェスパー・ユール『ハーフリアル』(松永伸司訳)
・ミゲル・シカール『プレイ・マターズ 遊び心の哲学』(松永伸司訳)
・ケイティ・サレン、エリック・ジマーマン『ルールズ・オブ・デザイン ゲームデザインの基礎』(山本貴光訳)
・松井広志・井口貴紀・大石真澄・秦美香子編『多元化するゲーム文化と社会』
・松永伸司『ビデオゲームの美学』
・『ゲンロン8』(特集:ゲームの時代)
・中沢 新一、遠藤 雅伸、中川 大地『ゲームする人類―新しいゲーム学の射程』

また、2019年7月5日、下北沢B&Bで行われた「プレイマターズ」出版イベントでも多くの示唆をいただいた。

注4)

ミゲル・シカールはゲームスタディーズの代表的な論者であると同時に、そのなかでは「ゲーム」よりも「遊び」や「遊び心」の方を重視する。特に彼の『プレイマターズ』はその趣向が全面に出た著作と言える。

注5)

スケートボーダー、トレーサー(パルクールのプレイヤー)のカウンター的なまなざし、姿勢、都市における異化効果については、ベリンダ・ウィートン『サーフィン・スケートボード・パルクール ライフスタイルスポーツの文化と政治』、イアン・ボーデン『スケートボーディング、空間、都市―身体と建築』を参照した。

注6)

人々が行動することによって楽しさを発見する空間としての「原っぱ」と、人々の楽しみ方があらかじめ与えられている空間としての「遊園地」の対比は、無論、建築家青木淳による「原っぱ」論を参照している(青木淳『原っぱと遊園地』)。松永伸司もミゲール・シカールと青木の原っぱ論の類似性を指摘している(http://www.kaminotane.com/2019/07/22/6084/)。なお、青木による原っぱ論については、槇文彦/真壁智治編著『アナザーユートピア』収録の「原っぱの行方」も参照されたい。ここで青木は、「遊園地」の再評価?と、「遊園地」的なものから逸脱していったところに「原っぱ」があるのではないか、と論を進めている。

注7)

本論とは無関係であるが、『グランド・セフト・オート』については、筆者がゲーム実況に参加した動画が存在している。

注8)

『シムシティ』や『シヴィライゼーション』等のシュミレーションゲームは、都市や文明を題材にしているがゆえ、社会契約のモデルとしてイメージしやすい。なお、マルチプレイヤーモードが導入された最新版の『シムシティ(2013)』のクリエイティブ・ディレクター、オーシャン・クィグリーに、『シムシティ』シリーズの生みの親ウィル・ライトがインタビューした動画では、クィグリーが『シムシティ(2013)』において、いかにトップダウンではなくボトムアップ型のシュミレーションゲームを志向したか、その思想・技術等について語られており、必見である。

注9)

ゲームにおけるプレイヤーの互恵的な連帯については、ここで主に想定していたのは、『フォートナイト』、『コールオブデューティ』、『マインクラフト』等における、ビデオゲームのマルチ協力プレイ(COOP)である。ただ、このような連帯は、アナログゲームにおける協力型ゲーム(プレイヤー間で順位を競うのではなく、プレイヤー全員で情報やリソースを共有しながら進行し、最終的に全員が勝つ、もしくは全員が負けるというゲームで、参加するプレイヤー間で勝敗や順位を競う競争型ゲームと対比される)にも見られる。ボードゲームの『パンデミック』や『リアル脱出ゲーム』などのアナログゲームを想定するとわかりやすい。なお、筆者が関わった学習カードゲーム「知財でポン!」も協力型のアナログゲームである。

注10)

筆者が「ボトムアップ型のルールメイキング」ではなく、「リゾーム型のルールメイキング」という言葉を好むのは、生成的なイメージを重視しているからであるが、本質的には違いはない。

注11)

ゲーム空間・環境のアーキテクチャは、現実世界よりも硬直的かつ重層的であると評価することができる。なお、「STEAM」のコミュニティ化については、今井晋『ゲームの時代 10の論点』(「ゲンロン10」収録)を参照した。

注12)

本稿が重視するミゲル・シカールの「あそび」の流用性(と創造性)と、ケイティ・サレン、エリック・ジマーマンが言うところの「変形的遊び(transformative play)」、ジャック・デリダが言うところの「生成的なかき混ぜ」の関係について、アレクサンダー・ギャロウェイ『ゲーム的行為、四つのモメント』(松永伸司訳)を参照。


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