#80 「読んでくれている人がいる」と信じて書き続ける
家族のためだから、料理をがんばれる。自分のためだけだったら、そんなにがんばれない。
自分のためだけだったら、ほんとに簡単なものでいい。
オートミール梅干し納豆ご飯だけでもいい。
でも、食べてくれる家族がいるから。
家族に喜んでほしいから
「おいしい」「おいしい」と言って食べてほしいから、
私は今日も腕をふるう。
昨日の夕食は、夫は当直でいなかったので、
子どもが喜ぶものをつくろうと思った。
冷凍してあった合いびき肉とトマト缶があったので、
トマト煮込みハンバーグをつくった。(もちろんホットクックで)
食が細く食べムラのある3歳の次女も
「おいしいね~」と言って、ハンバーグをちゃんと1個食べきってくれた。
食べ盛りの5歳の長女は、おかわりまでしてくれた。
とても嬉しかった。
作ってよかったと思った。
でも、昨日は毎日noteのエンジンがかからず、つぶやきしかできなかった。
noteを読んでくれている人は目の前にいない
なぜ、毎日noteのエンジンはかかりにくいのか。
今日の昼頃、当直明けの夫が帰ってきた。
夫が帰ってこれず一人で食べる昼食なら
昨夜の残りものだけですませようとしていた。
でも、疲れて帰ってきた夫の顔を見たら、
「おいしいものを作ってあげたい」と思った。
昼食作りのエンジンが自然にかかった。
このとき、気がついた。
料理なら、食べてくれる人が目の前にいる。
お腹をすかせて私のつくる料理を待っている人が目の前にいる。
でも、noteを読んでくれている人は目の前にいない。
noteを読んでくれる人の顔は見えない。
だから、noteのエンジンがかかりにくいんだ。
でも、たしかに読んでくれている人はいる
インプットばかりの自分を変えたくて始めた毎日note。
「やらない理由はない」というくらい
続ける価値を感じている。
一人でも二人でも
自分のnoteを毎日楽しみに読んでくれている人がいる
という実感をもつことができたら、もっと力が湧くんだろうな。
そんなことを思っていたら、「発信への勇気」をいただいた素敵なnoteに私が書いたコメントに対して、小澤仁美さんが返事をくれていた。
こんなことを言われたのが初めてだったから目を疑ってしまった。
私は小澤仁美さんのnoteが大好きで読むのを楽しみにしている。
私がそのことを伝えたから、私にも言ってくれたのだと思う。
それでも嬉しかった。すごく嬉しかった。
「読んでくれている人がいる」と信じて書き続けたい
「どうせ誰も読んでいない」から、
書きたいことをどんどん書けるという考え方もある。
でも、私の場合は、料理と同じで
「つくったものを味わってくれる人がいる」と思った方が力が湧いてくる。
だから、一人でも二人でも「読んでくれている人がいる」と信じて
その人の心に伝わるように書き続けたいと思う。
読んで下さるあなたがいるから、今日もnoteが書けています。 またお時間のあるときに見に来てくださると嬉しいです。