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見えるという当たり前は決して当たり前ではない

私の視力の話をさせてください。
大人になるまで視力2.0で見えないという感覚を知らずにいた
夜、散々読書をしても視力が落ちることはなく
不自由を感じることは無かった

仕事柄、PCを一日中眺めるようになって急に視野が狭くなり
眼科でみてもらうと老眼と言われた
その時まだ30代半ばである
眼鏡を作りに店に行くと
店員にそんなはずないでしょーと笑われたが
検査をすると真面目な顔で老眼ですねとひるがえされた

そこからメガネが手放せなくなった

仕事用に老眼鏡を作り快適に数年使っていると
今度は目の前に小さな虫が飛ぶようになった飛蚊症だ
虫は時に小さな糸ゴミのようにゆっくり流れていき
時には、本当の黒い虫が目の前を何度もよぎっていくように見えた
虫達とも仲良くなると次にPCの文字が歪んできた
目を凝らしても一部分の画面が湾曲して困った乱視になった
夜、月を見上げると必ず二重に見えるのはつまらないなと思った

眼底出血の後、ひどく目がかすむようになった
どうも視力欠損も表れ、片目をつむり腕を伸ばして親指立て動かすと
指先が消えて見えない場所を発見した
ただし両眼で見ると互いに欠損を補って気にならないらしい

ある時、仕事中に目の前に光の屈折のような明るい物体が表れ
30分くらい目が見えなくなった
閃輝暗点(センキアンテン)という症状らしく
脳の誤作動のようなもの?らしい

私はもともと人の顔を覚えるのが苦手で
なぜかいつも人の顔に無意識にモザイクをかけている(事に最近気づいた)
ピントを合わせない術を身につけているようだ
たぶん、目をこれ以上酷使しないための防衛本能だ

そうやって自分が見たいのものだけ見て
見たく無いものは見ないように生活していると
果たしてこの見えてる世界も本当の世界なのかと疑問に思う
閃輝暗点のように脳が勝手にキラキラとした物体を見せてくるだから

見えるという当たり前は決して当たり前では無いなと…
3本目のメガネをかけこのnoteの記事を書いている

そろそろ目を休めようと思う…おやすみなさい…


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