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『惣十郎浮世始末』 木内昇

     

ひとり遅れの読書みち     第39回

     北町奉行所定町廻同心の服部惣十郎は、浅草で起きた薬種問屋の火事を取り調べる。不審な点が幾つか見つかったからだ。配下の者に次々と指揮を出しながら、火付けの実行犯を捕らえた。だが、謎は残る。惣十郎は地道な捜索を続ける中で、驚愕の真実にたどり着く。それは、正しさとは何か、正義とは何かを自問させるものだった。
     物語のクライマックスは、まさに手に汗握る展開を示し、ページを繰るのがもどかしくなる。作者の力量がうかがえる。

     惣十郎は「人を憎むな」との母の教えを守って、人を捕らえるよりも人に罪を犯させないようにと、日頃から熱心に市中を見回る。犯人を捕らえても、できるだけ重い罪にならないように取り計らっている。捕らえた者を強引に重罪に仕立てて成績をあげ出世を目指す同心が多い中で、やや異色の存在だった。
     時は天保12年頃。老中水野忠邦が進める改革の嵐が吹き荒れていた。倹約や風俗統制など厳しい政策が打ち出されている。不都合な書物を取り締まり、出版物は全て幕府が検閲する。蘭学者への締め付けも厳しくなっていた。
     
     蘭方医と漢方医との対立が強まっているときだけに、薬種問屋の火事は、双方の争いが原因ではないかとの見立ても。火事で焼け出された二つの死体のうち、ひとつは縄で縛りあげられ、もうひとつは身元がわからないほど黒焦げになっていた。惣十郎馴染みの町医者梨春が検視したところによると、黒焦げの人物は問屋の主人ではなく、医術の心得のある者との疑いが出てきた。医術の関係先をしらみつぶしに探る。難航する捜索を続けて一年余り。事態は意外な方向に展開する。そして惣十郎も驚く衝撃的な事実が明らかになった。

          主な登場人物には、惣十郎のほかに母や女中、岡っ引きなど、それぞれ語るべきストーリーを抱え描写が細やか、物語に厚みを与えている。町医者梨春もその一人で、米沢出身。漢方医学と蘭方医学の双方の長所を取り入れて治療にあたる。貧しい者からは金を受け取らない。小児医療の翻訳を刊行しようと奔走中だ。
     火付け犯人の捜索だけではなく、物語には、疾病の恐怖とその拡大、ニセ祈祷師の暗躍、親の介護、老人の認知症など今日的な問題も取り込まれており、江戸時代の話ながらより身近に感じられるつくりになっている。謎解き、人情、意外性などが絡み合って、面白く読ませる捕物帖だ。

(メモ)
惣十郎浮世始末
作者  木内昇
発行 中央公論新社
2024年6月10日 初版発行

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