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『男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け』:1976、日本

 平和な海水浴場を一瞬にして地獄に変えた憎い人食いザメを退治するため、車船長は海に出た。港を出て既に1週間が経過したが、サメの姿は見当たらない。ついに燃料も尽き、飲み水と食料も無くなった。
 そんな中、船に人食いザメが近付き、車船長の妹・さくらが犠牲になった。怒りに燃えた船長は、人食いザメの食い付いた竿を必死に引っ張る。だが、人食いザメが大口を開けて襲い掛かり、船長は絶叫する。それは全て、漁港で釣りをしながら転寝していた寅さんの見ている夢だった。

 満男が小学校の入学式を迎え、とらやではおいちゃんとおばちゃんが食事の準備をして帰りを待っている。そこへタコ社長が来て、お祝いの品物を渡した。
 旅から戻った寅さんは、入学式帰りの母子を見て、満男が小学1年生だと気付いた。とらやに入った彼は、おいちゃんに「祝儀袋があったら一枚出してくんねえか。満男に入学祝、ちょっと包んでやろうと思って」と言う。おばちゃんは感激し、「ちゃんと覚えてくれてたんだねえ」と目を潤ませた。

 さくらが満男を連れてとらやに戻って来たが、その表情は沈んでいる。彼女は悔し涙を浮かべながら、事情を説明する。入学式の後、教室で担任教師が生徒たちの名前を呼び上げた。
 満男の順番になった時、教師が顔を見て「あら、君、寅さんの甥御さんね」と言うと、保護者も子供たちも笑ったのだという。寅さんが激怒していると、タコ社長は「笑われる方が悪いよな」と言い出す。2人が喧嘩を始めようとするので、さくらたちが慌てて止める。

 おいちゃんは寅さんから「おめえも悔しかねえか」と問われると、「しかしな、落ち着いて考えてみろ、みんなが笑うってことはだよ、今までお前が笑われるようなことをしてきたからなんだ。だから悪いのはお前だ」と口にする。
 「オレが何したって言うんだよ。オレが何悪いことしたって言うんだよ」と寅さんは声を荒らげ、なだめようとするさくらにまで「てめえがメソメソ泣きながら帰ってくるから、こういうことになるんだよ」と八つ当たりする。彼は「どっか行って飲んでやらあ」と言い、とらやを出て行った。

 その夜、寅さんは上野の飲み屋からとらやに電話を掛け、さくらに「これから汽車に乗るんだよ。それでね、鞄忘れて来ちゃったんだよ。お前、源公に言ってな、駅まで届けるようにそう言ってくれよ」と頼む。さくらは車家の面々が後悔していることを語り、帰って来るよう説得した。
 すると寅さんは、「お前がそんなに言うんだったら、もういっぺん帰るか」と上機嫌になった。電話を切った彼が酒を注文した時、客の池ノ内青観が店を出て行こうとする。店員に支払いを求められた彼は、偉そうな態度で「僕は本郷の池ノ内だ。明日、家の者を寄越す」と言う。「ウチは現金払いなんだよ」と告げられた青観は、悪びれずに「金は持たん」と口にした。

 寅さんは警察を呼ぼうとする店員をなだめ、青観の代金も支払ってやった。深夜、寅さんは青観を連れてとらやに戻った。彼はおばちゃんに、「このジジイ、無一文で泊まる所無いからね。今晩家に泊めてやってくれや」と告げた。
 泥酔している2人を見て、おいちゃんとおばちゃんは困惑する。寅さんが部屋に上がり、青観は倒れ込んだ。おいちゃんたちは仕方なく、青観を2階へ泊めることにした。

 翌日、青観は昼を過ぎるまで起きて来なかった。おばちゃんが行くと、青観は「何の工場だか知らんが、朝からうるさくてかなわんな」と文句を言う。おばちゃんが「朝のご飯、作っといてあげるから」と告げると。彼は「その前に茶を貰いたい。梅干を添えてな。それから風呂だ」と横柄な態度を取る。
 そこが葛飾柴又の帝釈天の参道だと知った青観は「じゃあ鰻が美味い所だ。夕食は鰻がいいな」と言い出し、おいちゃんが腹に据えかねて説教した。青観は礼を言わずに、とらやを去った。

 夜の7時を過ぎて、酔っ払った青観がとらやに戻って来た。彼はおばちゃんに「夕飯は要らんよ。鰻食ってきたから」と言い、階段を上がった。そこへ魚甚の店員が来て、「今のおじさんの勘定お願いしたいんですが」と述べた。
 おいちゃんが激怒すると、寅さんが「今日のとこはオレが代わって払っておくからさ」となだめる。だが、600円と思っていた代金が6千円と聞かされ、彼は目を丸くした。

 翌朝、寅さんは青観の部屋に行き、「遠慮ってもんがあるだろう。宿屋じゃないんだから」と諌める。「なんだ、ここ宿屋じゃないのか」という青観の言葉で、彼がとらやを旅館と勘違いしいたことが判明した。
 青観は「こりゃ何とかしなくちゃ。こうしよう、紙と筆、持って来てくれ。色紙があったら、なおその方が都合がいい」と寅さんに言う。青観は満男の落書き帳を渡され、そこに宝珠を描いた。

 青観は寅さんに、「これを神田の大雅堂って古本屋に持ってってくれないか。そこに目玉のギョロギョロっとした海坊主みたいなオヤジがいるから、そいつに渡して、幾らか融通願いたいと言ってくれりゃいい」と語る。寅さんは「タカリじゃないんだから」と嫌がるが、青観に「無駄足はさせない」と言われ、渋々ながら承諾する。
 迷いながらも大雅堂に赴いた寅さんは、店の主人に絵を見せる。すると主人は青観のサインを鑑定師に確認させ、焦った様子で「これ売るんだね?幾ら?」と尋ねる。寅さんは600円のつもりで手を出すが、主人は6万円の領収書を書こうとする。寅さんが「6万円?」と仰天すると、彼は「気に入らないか?じゃあ、もう一本色付けよう」と言う。その絵と引き換えに、寅さんは7万円を受け取った。

 とらやに戻った寅さんは、絵が7万円で売れたことをさくらに話す。最初は信じなかったさくらだが、泊まっていた老人が有名な画家の池ノ内青観だと知り、納得した。
 寅さんは調子に乗って、「明日からな、家中揃って面白楽しくホカホカ暮らすんだよ。蒲焼だろうと天ぷらだろうと食いたいもん、どんどん食っちゃうんだ。それでもし金が無くなったら、2階のジジイの尻引っぱたいて、ちょろちょろと描かせりゃ7万円だよ」と語る。だが、青観が帰ったと知り、寅さんはおばちゃんに「なんで帰したんだよ」と怒鳴った。

 夜、とらやの面々とタコ社長が青観について話していると、満男が「お母さん、描いてもらったの」と一枚の絵をさくらに見せる。それは青観の描いた絵だった。「ちょっと見せて」とタコ社長が絵を手にすると、すぐに寅さんが奪おうとする。
 2人が争ったせいで、絵は破れてしまった。寅さんがタコ社長を罵り、2人は喧嘩になった。おいちゃんたちに責められた寅さんは、「この家で揉め事がある時は、いつでも悪いのはこのオレだよ」と言い、鞄を手にしてとらやを出て行った。

 さくらは7万円を返すため、青観の屋敷を訪れた。応対に出た夫人は、青観が仕事で播州の龍野へ出掛けていることを告げた。龍野で観光課長の案内を受けていた青観は、バイに来た寅さんと遭遇する。課長は「およろしければご一緒にどうぞ」と言い、寅さんは彼らの車に同乗した。
 市役所で市長の挨拶を受けた青観は、寅さんのことを「こちら、車寅次郎君です」と紹介する。市長は完全に誤解してしまい、「これはこれは。車先生でいらっしゃいますか」と丁寧に挨拶した。

 市長たちは寅さんと青観を梅玉旅館に案内し、宴会を開いて接待する。青観は龍野市政25周年記念文化事業への協力を承諾し、その地を訪れていた。青観は「途中に失敬するから、後は適当にやっといてくれ」と寅さんに言う。
 市長が長話を続け、退屈になった寅さんは里芋を畳に転がしてしまう。寅さんは回収しようとするが、さらに向こうまで転がってしまう。そんな様子を見て、宴会場に呼ばれていた芸者のぼたんは笑い出した。宴会を通じて、寅さんとぼたんは仲良くなった。

 翌朝、寅さんの部屋に観光課長と係長が来て、「昨日お話致しましたように、今日は市内の名所を見て頂くことになっておりますが」と言う。寅さんは「大先生に行ってもらえよ」と断ろうとするが、課長は「大先生はお体の具合が悪いから車先生に行ってもらえと、こうおっしゃるものですから」と告げる。
 寅さんは半ば強引に車へ乗せられ、市内見物に連れて行かれた。3人が店で昼食を取っていると、ぼたんが入って来た。寅さんは「こっち来て食え」と誘い、夜6時に旅館で宴会を開く約束をした。

 青観は初恋相手である志乃の家を訪れた。志乃は穏やかな微笑を浮かべ、彼を招き入れた。一方、寅さんと観光課長と係長は、ぼたんを座敷に呼んで宴会を開く。
 ぼたんは寅さんが明日には帰ると知り、「やめとき、市役所の車でさ、みんなで湯郷温泉行こうな」と誘う。寅さんは「行こ行こ」と軽く言うが、ぼたんは「口先ばっかし」と告げる。他の芸者たちが座敷へ戻って来て、課長が三味線に合わせて歌を披露した。

 志乃と話していた青観は、「僕は、貴方の人生に責任がある」と告げて詫びる。「僕は後悔しているんだ」と彼が言うと、志乃は「仮にですよ、貴方がもう一つの生き方をなすっとったら、ちっとも後悔しなかったと言い切れますか」と問い掛ける。
 志乃が「私、この頃良くこう思うの。人生に後悔は付き物なんじゃないかしらって。ああすりゃ良かったなあという後悔と、もう1つは、どうしてあんなことしてしまったんだろうという後悔」と語る中、青観は何も言えずにいた。

 翌朝、寅さんが旅館を出発しようとしていると、ぼたんが駆け付けた。寅さんは彼女から土産を貰い、青観の待つ車に乗り込んだ。寅さんの「いずれその内、所帯持とうな」という言葉に、ぼたんは笑いながら「嘘でも嬉しいわあ。当てにせんと待っとっからねえ」と告げた。
 車が走り出す中、青観は志乃が見送りに出ているのに気付いた。青観は彼女に視線を向け、小さく頭を下げた。車が通過した後も、志乃はずっと見送っていた。

 とらやに戻った寅さんが一日中ボンヤリしているので、さくらは御前様に「兄の話を聞くと、龍野の旅館では毎日素晴らしいご馳走が出て、毎晩芸者さんが来てたらしいんです。ひょっとしたら、その芸者さんの誰かを好きになったんじゃないかって」と不安を漏らす。
 寅さんはおばちゃんが好物のおからを出しても、「おからってのはウサギの餌じゃなかったの?」と嫌味っぽく言う。寅さんが龍野の思い出を語っていると、ぼたんがとらやにやって来た。

 寅さんはぼたんの来訪を喜び、「ところで何だ、今日は」と尋ねる。ぼたんが「ご挨拶やわあ。私と所帯持つって約束したやないの」と口にすると、寅さんは軽い調子で「そうか、コロッと忘れてた」と返す。お互いに冗談だったが、それを聞いていたタコ社長は本気にして印刷工場へ舞い戻った。話を聞いた工員たちがとらやへ来て「おめでとうございます」と祝うので、寅さんは苛立った。
 その夜、誤解も解けて、ぼたんはとらやの面々と会話を交わす。ぼたんは妹と弟の3人で暮らしていること、中学の時に両親が死んで芸者になったことを話す。タコ社長が「工員たちと宴会やってんだけどさ、ちょっと顔出してくんねえかな」と頼むと、ぼたんは快く了解した。彼女は寅さんを誘い、工場へ出向いた。

 翌日、外出していたぼたんがとらやに戻り、さくらは「どうしたの?疲れたような顔して」と尋ねる。「一日中、あっちゃこっちゃ歩き回って」と言う彼女に、寅さんは「どこ行ってたの?」と訊く。
 ぼたんが「お金のこと」と口にすると、寅さんは「困ってんだったら早く言えよ。幾らだ」と告げるが、「200万円」という言葉に困惑する。さくらの「そんなに借りてどうするの?」という質問に、ぼたんは「借りるんやないの、人に貸したん」と述べた。

 ぼたんは「2年程前にな、ええ儲け話がある言うて、お客さんに言われて、つい貸してしもたら、それっきりになってしもて。その人が東京にいるいうことが分かって、少しでも返してもらおう思て、やって来たんや」と明かす。
 ぼたんは金を貸した鬼頭の家に電話を掛け、「今日、上野の店行ったんよ。そしたらゴルフに行ってなさるとかで。明日ね、どないしてもお会いしたいんやけど」などと話す。だが、鬼頭は適当な嘘をつき、電話を切ってしまった。

 ぼたんは寅さんたちに、「幽霊会社作って、大勢の人からお金集めて、その会社倒産させて、ドロンしたわけ。会社が潰れて貧乏してるんなら仕方が無いって思ってたけど、全然そうやないの。今日行ったとこかて上野の大きいキャバレーやし、その他にもバーとか中華料理店持ってて、そいでいて会社が潰れたから一文無しや言うの。そんなアホな話ってある?そんなことで泣き寝入りできると思う?」と語った。
 ぼたんは無理に笑顔を取り繕って「ごめんなさい。寅さん、気分変えてパッと飲もか」と言い、着替えのために2階へ上がる。

 寅さんが鬼頭の所へ殴り込もうとするので、博が制止する。「敵は相当したたかですよ。引っぱたいたりしたら、相手の思うツボですよ」と博が言うと、寅さんは「じゃあ警察へ突き出そうじゃねえか。法の裁きで裁いてもらうんだよ」と口にする。
 「いや、その法律ってヤツがクセモンなんでね」とタコ社長が告げても、寅さんは「てめえら、何ガタガタ言ってやんだ、ぼたんが可哀想だと思わねえのか」と言って出掛けようとする。

 おいちゃんが「銭金のことだ、ここは一つ、そういうことに良く慣れてる誰かに頼んで。そうだ、社長に頼もう」と言い出し、タコ社長は承諾する。寅さんはおいちゃんに「社長じゃどうにもならなくなった時に、いよいよお前が出て行くと、これでどうだい?」と提案され、タコ社長に「明日の晩方までにな、200万円耳揃えて持って来いよ。もし持って来なかったら、タダじゃ済まさねえねえぞ」と告げた。
 ぼたんが下りて来たので、寅さんは「あの金の話だけど」と切り出そうとする。ぼたんが「今夜はその話やめ。パッとしよ」と明るく口にするので、寅さんはタコ社長に「あの労働者みんな連れて来い。全部でパーッと飲もう」と述べた。

 翌日、ぼたんとタコ社長は鬼頭の住む赤坂の高級マンションへ赴いた。ぼたんが管理人に鬼頭のことを尋ねると、30分前に外出したという。タコ社長は鬼頭夫人との面会を求めるが、ぼたんが名前を告げると、管理人は「ああ、駄目です。おいでになってもお通ししないように言われてますから」と冷たく述べた。
 ぼたんとタコ社長は鬼頭が営む天津飯店へ行き、彼を待ち受けた。鬼頭は債券の返金を要求されても、平然とした態度で「この会社は潰れた。店は弟のだし、家は家内の物だ。私の物なんか何も無い」とうそぶいた。ぼたんか「裁判所に訴えたる」と告げても、彼は余裕で「どうぞ、どうぞ」と言い放った…。

 原作 監督は山田洋次、脚本は山田洋次&朝間義隆、製作は名島徹、企画は高島幸夫&小林俊一、撮影は高羽哲夫、美術は出川三男、録音は中村寛、照明は青木好文、編集は石井巌、音楽は山本直純、主題歌『男はつらいよ』は渥美清。

 出演は渥美清、倍賞千恵子、太地喜和子、宇野重吉、笠智衆、岡田嘉子、下条正巳、三崎千恵子、前田吟、寺尾聰、佐野浅夫、大滝秀治、太宰久雄、佐藤蛾次郎、中村はやと、桜井センリ、久米明、東郷晴子、西川ひかる、笠井一彦、岡本茉利、佐山俊二、加島潤、城戸卓、長谷川英敏、木村賢治、羽生昭彦、江藤孝、原大介、高木信夫、土田桂司、谷よしの、光映子ら。

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 “男はつらいよ”シリーズの第17作。寅さん役の渥美清、さくら役の倍賞千恵子、おいちゃん役の下条正巳、博役の前田吟、おばちゃん役の三崎千恵子、御前様役の笠智衆、タコ社長役の太宰久雄、源公役の佐藤蛾次郎、満男役の中村はやとはレギュラー陣。夢のシーンのレギュラーだった吉田義夫が、この作品には登場しない。
 今回のマドンナはぼたん役の太地喜和子。青観を宇野重吉、志乃を岡田嘉子、鬼頭を佐野浅夫、大雅堂の主人を大滝秀治、観光課長を桜井センリが演じている。観光係長を寺尾聰が演じており、宇野重吉と親子共演している。アンクレジットだが、志乃の家で働くお手伝いさんを、第7作のマドンナだった榊原るみが演じている。

 青観は飲み屋で横柄な態度を取り、料金を支払わずに立ち去ろうとする。とらやに泊めてもらっても、やはり偉そうな態度を取る。後に宿屋と勘違いしていたことが判明するが、そこが仮に宿屋だったとしても、タダで宿泊したり飯を食ったりしちゃダメだろ。宿屋だと思っていたのなら、宿賃は払えよ。
 それに、外で食べて来た鰻の代金を宿屋に払わせようってのもダメだろ。とらやが宿屋じゃないことを知って「こりゃ失礼したなあ」と言っているけど、そこが宿屋だったとしても、青観の態度や行動は失礼だぞ。

 青観を「一般常識が欠如した天才芸術家」というキャラ造形にしているんだろうってことは分かるんだけど、それにしたって行動が失礼すぎるぞ。その後に描かれる志乃とのドラマや、終盤のシーンでは青観の印象がいいだけに、序盤の不愉快さは何とかならんかったのかと。
 わざと序盤で不愉快な奴に見せておいて、後で挽回させるという狙いがあったとしても、あまにりも失礼すぎて、最初に感じたマイナスを打ち消し切れないんだよなあ。

 今回のマドンナであるぼたんは、寅さんが一目惚れする他のマドンナとはタイプが大きく異なっている。清楚な感じは無いし、おとなしいタイプでもないし、知的でもないし、純朴という雰囲気も皆無だ。寅さんが「自分とは住んでいる世界が違う」と感じるような女ではない。
 だから寅さんは自分を飾ることなく、ありのままの姿で彼女に接している。ぼたんは寅さんが評するように「キップのいい女」であり、どことなくリリーと同じような匂いを持っている。

 しかし、ぼたんにはリリーと大きく異なる部分がある。リリーが本気で寅さんと結婚したいと思うのに対して、ぼたんは微塵も考えていない。リリーは寅さんと結婚できると思っているので、そういう話になった時に、本気で答えを出す。
 しかし、ぼたんは寅さんが「口先ばっかし」の人間だと分かっているので、「いずれその内、所帯持とうな」と言われても、軽く受け流す。彼女は寅さんに好意を抱くけれど、本気で一緒になりたいと望んだりはしない。

 ドサ周りの歌手であるリリーは、テキヤの寅さんとは「似たような境遇、似たような商売」という部分でシンパシーを感じる間柄だった。だが、帰る場所が欲しい、落ち着く場所が欲しいという気持ちが強すぎたせいか、寅さんに対して「結婚の意思がある男」という幻想を抱いてしまった。
 それに対して、ぼたんの場合は、芸者という職業柄、色んな男を相手にしている。その経験から、寅さんが本気で結婚を考えるような男でないことを分かっているのだ。だから、寅さんとリリーの関係には切なさが付きまとうが、寅さんとぼたんの関係は晴れやかで明るい。絶対に変な問題が起きないから、カラッとしている。

 今回は寅さんとぼたんの関係よりも、青観と志乃の関係の方が、恋愛劇としての密度は濃い。志乃を演じている岡田嘉子は波乱万丈の人生を歩んだ人で、共演者の愛人になったり、男優と駆け落ちして日活を解雇されたり、妻のいる共産主義者の演出家と恋に落ちてソ連へ亡命したり、スパイとして拷問を受けたり、収容所で10年近くも幽閉されたりしている。
 その人生を重ねると、志乃の「この頃良くこう思うの。人生に後悔は付き物なんじゃないかしらって。ああすりゃ良かったなあという後悔と、もう1つは、どうしてあんなことしてしまったんだろうという後悔」という言葉は、とても重い。

 このシリーズは(といか基本的にシリーズ物というのは全てそうだが)、良くも悪くもマンネリズムが持ち味だ。作品ごとにガラリと作風や内容を変えていたら、ファンが離れてしまう。シリーズのファンというのは、「いつものアレ」という定番、パターンを求めている。
 その一方で、あまりにも同じことばかりを繰り返していたら、それはそれで飽きられてしまう恐れがある。その辺りの微妙なさじ加減というのは、なかなか難しいものがある。

 今回は、マンネリズムを打ち破るような展開が色々と用意されている。まず冒頭の夢のシーンからして、もちろん喜劇テイストではあるが、『ジョーズ』的なホラー風味が盛り込まれている。
 源公は人食いサメに下半身に食い千切られて血まみれの無残な死体となっており、正気を失ったさくらもサメに襲われて両脚だけが寅さんの手元に残る。なかなかのホラーである。また、夢のシーンに続くオープニング・クレジットでは、いつもなら主題歌の1番と2番が歌われるが、今回は1番と3番だ。

 序盤、旅先からとらやに戻って来た寅さんは、おいちゃんたちと些細なことで言い争いになる。いつもなら、それをきっかけにして寅さんが旅に出るのがパターンだ。
 今回も寅さんはとらやを出て行くものの、旅には出ないで飲みに行く。さくらに説得された寅さんは戻って来て、しばらくは柴又周辺でのエピソードが描かれる。そこで寅さんは青観と出会い、旅先で再会してのエピソードに繋がっていくという構成になっている。

 今回の作品で最もマンネリズムから脱却しているのは、寅さんがマドンナに振られないという部分だ。これはシリーズで唯一のことだ。そもそも本気で恋していないので、失恋しないのは当然っちゃあ当然だが、ぼたんとの関係は最後まで切れない。
 いつもなら、マドンナとの関係に決着が付き、寅さんが旅に出て終幕へ向かう。しかし今回は、寅さんが終盤になってぼたんの元を訪れており、彼女と一緒にいる中で終幕を迎えている。寅さんとぼたんの関係は、終盤に入っても、極端に近付いてもいないし、離れてもいないのだ。

 もう1つ、マンネリズムから脱却している部分がある。このシリーズで唯一、根っからの悪人が登場するのだ。そして、そんな悪人の鬼頭に対し、寅さんは本気で激昂する。
 とらやのシーンで寅さんがおいちゃんやタコ社長に腹を立てるシーンは何度もあるが、それとは全く質が違う。下手すりゃ鬼頭を殺してしまうんじゃないかと思うぐらいの怒りを、寅さんが見せる。しかし結局、寅さんは何も出来ない。無力さを露呈するだけだ。ほたんの金は最後まで戻らず、鬼頭が悪事の報いを受けることは無い。

 カタルシスということを考えれば、「鬼頭が天罰を食らい、ぼたんは無事に金を取り戻す」という筋書きになった方がいい。しかし、それをやると、『男はつらいよ』シリーズのテイストからは大きく外れてしまう。
 そこが難しいところなのだが、しかし本作品は、鬼頭が何も罰を受けず、ぼたんに金は戻らないのに、モヤモヤしたモノが後に残らない。その理由は、別の部分で「人の情け」が描かれ、それによって、ぼたんの心は救われ、寅さんの気持ちは晴れやかになるからだ。

 ぼたんの心を救うのは、寅さんが本気で怒ってくれたことだ。そんなに長い付き合いでも深い関係でもないのに、自分のために親身になってくれ、本気で激怒するほど真剣に考えてくれる。そんな男がいることに、ぼたんは感激するのだ。
 一方、寅さんの気持ちを晴れやかにするのは、青観の行為だ。寅さんは、ぼたんに200万円を工面してやろうと考え、青観に絵を描いてほしいと依頼する。青観は「僕が絵を描くということは、こりゃ僕の仕事なんだ。金を稼ぐためのもんじゃない」と拒否する。寅さんは激怒し、その場を去る。この段階で、そこからの展開は予想が付くだろうが、その通りになる。でも、そこの予定調和は、歓迎すべき予定調和だ。

 大半の人間が予想した通り、寅さんの頼みを断った青観だが、結局はぼたんのために絵を描いてやる。後に寅さんがぼたんの元を訪れた時、青観から送られてきた絵があるのを目にするのだ。
 そもそも青観は、とらやに宿泊した詫びとして絵を描き、神田の古書店で金と交換させているしね。それに、あれだけ豪華な邸宅に住んでいて、「金を稼ぐためのもんじゃない」と言われてもね。「だったら、そんな屋敷に住んで贅沢な暮らしをしているのを全て放棄しなさいよ」と言いたくなる。
 何はともあれ、青観がぼたんのために絵を描いてくれたと知り、寅さんの気持ちも晴れる。主人公とマドンナの溜飲が下がっているので、こっちもモヤモヤが残らない。ぼたんが絵を売って金に換えていないのも、いいよね。

(観賞日:2013年6月23日)

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