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『ゴッド・アンド・モンスター』:1998、アメリカ&イギリス

 トレーラーハウスで暮らす青年のクレイトン・ブーンは車で出発し、ある家に到着する。彼が庭師としての仕事を始める様子を、家主である老齢のジェームズ・ホエールが屋内からじっと見つめる。
 メイドのハンナは映画プロデューサーのデヴィッド・ルイスから、住み込みの看護婦を雇うよう促される。ハンナは「厄介事の種です。貴方がまた、この家に」と要請するが、それは無理だと断られる。デヴィッドは眠れなくて困っているというジェームズに、処方された催眠剤を服用するよう助言する。

 仕事で多忙なデヴィッドが去った後、またジェームズはクレイトンを眺める。ハンナに彼のことを尋ねたジェームズは、自分の入院中に雇ったことを聞かされる。ジェームズはクレイトンに話し掛け、元海兵隊員だと知る。
 アトリエに入ったジェームズは、少年時代のことを思い出す。エドムンド・ケイという学生が取材に来る時間になったため、ジェームズは服を着替えて待ち受ける。やって来たケイは「憧れの監督さんだ」と興奮し、『フランケンシュタイン』と『フランケンシュタインの花嫁』の大ファンであることをアピールする。

 ケイはインタビューを開始し、生い立ちから知りたいと告げる。話し始めたジェームズは、教師の父から「シャキっとしろ。同性愛だと思われるぞ」と注意された少年時代の出来事を思い出す。
 彼が『暁の総攻撃』を撮ってハリウッドに進出したことを語ると、ケイは恐怖映画の話を聞きたがる。「君の興味は私ではなく、私の恐怖映画だけか」とジェームズが訊くと、彼は「監督は恐怖映画で記憶されてる」と告げる。するとジェームズは、「質問ばかりで退屈だ。もっと面白くしよう」と口にした。

 ジェームズが「正直に答えるから、君は質問するごとに衣類を脱ぐんだ」と提案すると、ケイは「噂は本当かな?引退を強いられた理由は、性的スキャンダル?」と尋ねる。ケイが要求に応じて靴と靴下を脱ぐと、ジェームズは「同性愛は問題外」と答える。
 彼はケイに服を脱がせて、ジョージ・キューカーが同性愛者で淫らなパーティーを開いていたことを暴露した。ケイがズボンを脱ぐと、彼は恐怖映画に関する質問にも答える。しかし途中で脳卒中の発作が起きたため、彼はアトリエで休んだ。

 病院で診察を受けたジェームズは、死ぬまで症状の悪化が続くことを知る。次の日、ジェームズはクレイトンをお茶に誘い、アトリエへ招待する。彼は自分の素性を知らないクレイトンに、『フランケンシュタイン』シリーズの最初の2本を撮った監督であることを話した。
 不安を抱くハンナを追い払ったジェームズは、紅茶を飲むクレイトンをじっと見つめる。彼は鼻や頭部の形を褒めて、クレイトンにモデルの仕事を依頼する。裸は嫌だと言うクレイトンに、ジェームズは「君の体に興味は無い。ここで名言しておく」と告げた。ジェームズの性癖を知らないクレイトンは、軽い気持ちで承諾した。

 翌日、クレイトンがアトリエへ行くと、ジェームズは白い服が邪魔だから脱いでほしいと言う。クレイトンが「描くのは顔でしょ」と言うと、ジェームズは決まりが悪ければ、これを肩に掛ければいい」と布を差し出す。クレイトンが仕方なく服を脱ぐと、ジェームズは絵を描き始めた。
 ジェームズはクレイトンに、自身の過去を語る。彼の故郷であるダドレーは、貧しい町だった。両親は多くの英国人と同様に階級意識が強かったが、ジェームズは違っていた。14歳で学校を中退させられた彼は、工場で働いた。「憎しみだけが魂の糧となった」と話したジェームズは、憎しみの対象である父親の幻覚を見た。

 夜、クレイトンは恋人のベティーが働く酒場で、友人のハリーやドワイトに絵のモデルをしていることを自慢する。ベティーが「貴方を狙ってるホモ老人だわ」と言うと、クレイトンは「ゲスの勘繰りはやめろ」と告げる。
 彼と仲間たちは、『フランケンシュタインの花嫁』をテレビで観賞した。ベティーたちは滑稽だと馬鹿にするが、クレイトンは真剣に観賞した。ジェームズもハンナと一緒に、その映画を見ていた。映画か終わると、ジェームズは撮影現場のことを思い出した。

 クレイトンはベティーから、別れ話を切り出された。「貴方は結婚の対象外。体の大きな子供よ。10年後に何をしてるの?まだ芝刈り?」と言われ、クレイトンは憤慨した。
 眠りに就いたジェームズは、クレイトンに脳の移植手術を受ける悪夢で目を覚ました。午後から庭師の仕事へ出掛けたハンナはクレイトンに、「ご主人様は、いずれ地獄の炎で責められます。肉欲の罪は重い。恥ずかしくて言えないような行為を。男性を相手にしているんです」と語った。

 ジェームズが同性愛者だと知ったクレイトンは、困惑しながら彼の元へ行く。ジェームズはマーガレット王女から届いた招待状を見て、キューカー邸でパーティーがあることを知った。
 彼は「キューカーめ、王室の後ろ盾を得る気だ」と怒りを示し、「こういう世界と縁を切った。無視してきたんだ」と言う。クレイトンが『フランケンシュタインの花嫁』を見たことを話すと、ジェームズは「あの映画は死に関するコメディーなんだ」と述べた。

 「朝鮮戦争で敵を殺したかね?」と問われたクレイトンは、すぐに話題を変えようとした。結婚の経験について質問されたジェームズは、数年間はデヴィッドと一緒に暮らしていたことを話す。
 同性愛者であることを明かした彼に、クレイトンは「俺はホモじゃない」と告げる。ジェームズが「君は好みじゃない」と言うと、クレイトンは安堵した。アトリエでクレイトンの絵を描き始めたジェームズは、また昔のことを語り出した。

 『ショウ・ボート』を作って大当たりしたジェームズは、次に戦争を告発する『帰路』を手掛けた。名作になるはずだったが、会社が勝手に編集して駄作にした。興行的に失敗した責任を全て負わされ、第一線から外されたので引退したと彼は話す。
 「未練は?」と訊かれたジェームズは、「確かに魅力的な仕事だ。友人と働き、人を楽しませる。未練は感じるよ。だが、自由を選んだ。汚い業界に嫌気も差していた」と答えた。

 ジェームズはクレイトンに、若い男たちを家に呼んで享楽的な生活を送っていたことを語る。若い男が裸になった時のことを彼が嬉しそうに話していると、クレイトンは苛立って「変態話はやめてくれ。モデルはもう御免だ」とアトリエを出て行った。
 ジェームズは裸の男たちをはべらせていた時の幻覚を見て、頬を緩ませた。次の日、ジェームズの家を訪れたクレイトンは、もう卑猥な話はしないことを条件に、モデルを務めることにした。

 ジェームズは「戦場にも同性愛者はいるぞ」と言い、自身が第一次大戦で従軍していたことを話す。彼は大学を出たばかりのレナード・バーネットに愛を感じた時のことを喋っている内に、自然と涙が出て来た。
 ジェームズは「昔を思い出させないでほしい。君と会う前は思い出さなかった」と憤慨し、「どうせ見下してるんだろ。何故ここにいる?狙いは何だ?」とクレイトンに詰め寄った。クレイトンが困惑していると、我に返ったジェームズは、水を飲んで自身を落ち着かせる。

 ジェームズが「王女のパーティーに、一緒に来てくれ」と誘うと、クレイトンは承諾した。クレイトンを伴ってキューカー邸を訪れたジェームズは、ニューヨークで仕事をしているはずのデヴィッドと遭遇した。デヴィッドと話したジェームズは、招待状の送り主が彼ではないことを知った。
 彼が休憩しているとケイが現れ、自分が招待状を送ったことを明かす。彼はキューカーの取材をしたことがきっかけで、私設秘書の助手になったのだと言う。彼は興奮した様子で「貴方の映画のファンだから、怪物たちも招きました」と告げ、エルザ・ランチェスターとボリス・カーロフを連れて来る…。

 脚本&監督はビル・コンドン、原作はクリストファー・ブラム、製作はポール・コリクマン&グレッグ・フィーンバーグ&マーク・R・ハリス、製作総指揮はクライヴ・バーカー&スティーヴン・P・ジャーチョウ&デヴィッド・フォレスト&ボー・ロジャース、共同製作総指揮はヴァロリー・マサラス&サム・アーヴィン&スペンサー・プロファー、撮影はスティーヴン・M・カーツ、美術はリチャード・シャーマン、編集はヴァージニア・カッツ、衣装はブルース・フィンレイソン、音楽はカーター・バーウェル。

 出演はイアン・マッケラン、ブレンダン・フレイザー、リン・レッドグレーヴ、ロリータ・ダヴィドヴィッチ、デヴィッド・デュークス、ケヴィン・J・オコナー、マーク・キーリー、ジャック・プロトニック、ロザリンド・エアーズ、ジャック・ベッツ、マット・マッケンジー、トッド・バブコック、コーネリア・ヘイズ・オハーリヒー、ブランドン・クレイラ、パメラ・セーラム、マイケル・オヘイガン、デヴィッド・ミルバーン、アミール・アブレラ、マーロン・ブラッキア、ジェシー・H・ロング、オーウェン・マスターソン他。

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 クリストファー・ブラムの小説『Father of Frankenstein』を基にした作品。1957年に入水自殺した映画監督のジェームズ・ホエールを題材にしている。脚本&監督は『地獄のシスター』『キャンディマン2』のビル・コンドン。ビデオ化された際は『ゴッド and モンスター』という表記だった。
 ジェームズをイアン・マッケラン、クレイトンをレンダン・フレイザー、ハンナをリン・レッドグレーヴ、ベティーをロリータ・ダヴィドヴィッチ、デヴィッドをデヴィッド・デュークス、ハリーをケヴィン・J・オコナー、ドワイトをマーク・キーリー、ケイをジャック・プロトニックが演じている。

 脚本&監督のビル・コンドンがゲイで、製作総指揮のクライヴ・バーカーもゲイ。主演のイアン・マッケランもゲイで、彼が演じた主人公のジェームズ・ホエールがゲイ。まさにゲイの、ゲイによる、ゲイのためのゲイ映画である。
 「ジョージ・キューカーがゲイだった」という事実を暴露していることもあり、資金集めには随分と苦労したらしい。しかし厳しい製作環境の中、かなりの低予算で完成に至った作品は高い評価を受け、アカデミー賞の脚色賞、ゴールデン・グローブ賞の助演女優賞、インディペンデント・スピリット賞の作品賞&主演男優賞&助演女優賞など数多くの映画賞を受賞した。

 ジェームズはハンナが「取材なんて何年ぶりかしら」と張り切っていると、「学生が質問に来るだけだ」とそっけなく告げる。ケイが到着した時も、「来客のことを忘れ掛けていた」と言う。しかし、パリッとした服装に着替えて、ちゃんと準備を整えて待っている。
 実際はハンナと同様に、久しぶりの取材を喜んでいる。それが恐怖映画に関する取材であろうと、とにかく「自分に関心を持つ人が訪問する」ということだけで、ジェームズは嬉しいのだ。彼は人付き合いを避けているように見えて、どこかで繋がりたいと思っている。

 ジェームズはケイが恐怖映画のことを話題にすると、最初は笑顔で対応している。しかし彼が恐怖映画の話を急かすと、不満そうな態度を見せる。ところがケイが服を脱ぐゲームに応じると、『フランケンシュタイン』に関する質問にも丁寧に答えている。
 彼は決して、自身の恐怖映画を嫌っているわけではない。クレイトンには自ら、『フランケンシュタイン』シリーズの最初の2本を撮ったことを話している。しかし「恐怖映画の監督ではない」という自負もあるので、そこばかりに焦点を当てられると不快感を抱いてしまうのだ。

 ジェームズは映画業界から引退したことについて、「友人と働き、人を楽しませる。未練は感じるよ。だが、自由を選んだ。汚い業界に嫌気も差していた」と話す。そして享楽的な生活について、楽しそうに語り出す。
 しかし本当は、かなりの未練があるのだろう。だから今でも自分の作品を観賞するし、撮影した当時のことを思い浮かべるのだ。もちろん、享楽的な生活は楽しかっただろう。しかし、映画業界で得た充実感や幸福感は、それとは全く別の物だ。どれだけ多くの男たちを裸にしてはべらせても、決して得られない喜びだ。

 ジェームズはデヴィッドから催眠剤を服用するよう促され、「君の前でボーッとしたくない。入院中は会えなかったから」と言う。彼はデヴィッドの前では紳士的に振る舞っているが、実際には寂しさを抱いている。ジェームズはクレイトンに初めて話し掛ける時も、やはり紳士的な態度を取る。
 しかし発する言葉には、「プールで泳いでもいい。裸でも構わない」というエロい欲望も含まれている。ケイの取材を受ける時には、もっと露骨な形で性的欲求を示し、服を脱がせている。表面的には落ち着いた振る舞いを見せるが、ゲイとしての欲求は今にも溢れ出しそうになっている。

 ジェームズはクレイトンに、モデルの仕事を依頼する。「君の体に興味は無い」と断言するが、もちろん真っ赤な嘘だ。むしろジェームズは、クレイトンの体にしか興味が無い。
 だから、いざ絵を描くことになると、いきなり「白い服が邪魔だから」という強引な理由で上半身を裸にさせる。彼は同性愛者であることを認めた時、クレイトンに「好みじゃない」と告げる。だが、それも真っ赤な嘘だ。本当はゲイとしての欲求だけで、彼と会っている。

 ジェームズは「積極的に人付き合いをしていないが、どこかで人との触れ合いを求めている」「自身の恐怖映画に愛着はあるが、それだけで評価されることへの抵抗がある」「ゲイとしての欲求は強いが、クールに装っている」「映画業界に未練はあるが、自由を選んだことには満足しているように振る舞う」ということだけではなく、それとは全く異なる類の二面性を持っている。
 それが「神」と「怪物」だ。ジェームズは『フランケンシュタイン』と『フランケンシュタインの花嫁』において、そこに登場する怪物に生命を吹き込んだ創造主である。つまり、そこでの彼は、ある種の「神」だった。

 しかしテレビで『フランケンシュタインの花嫁』を観賞した夜、ジェームズは自分がクレイトンに脳の移植手術を受ける悪夢を見る。その夢は、まるで『フランケンシュタイン』で博士が怪物を誕生させたと時と同じ内容だった。つまり悪夢の中で、ジェームズは「怪物」として扱われていたのだ。
 それは彼の不安や恐怖が生み出した悪夢だ。脳卒中で懐古の幻覚に見舞われる中で、ジェームズは「自分が正気を失ってしまうのではないか」という恐れを抱く。それは、「自分が自分ではなくなるのではないか」という不安だ。

 ジェームズにとって、自分が自分でなくなること、正気を保てなくなることは、すなわち「怪物」になってしまうということだ。かつては「神」であった自分が、その神によって生み出された「怪物」になってしまうことは、とても耐え難い。
 彼は自分がスケッチさえマトモに描けず、才能を全て失ってしまったことを自覚する。だから彼は終盤、クレイトンを挑発し、自分を殺すよう促す。彼は自分が「神」となり、「怪物」としてのクレイトンに殺してもらうことを望むのだ。

 だが、クレイトンはジェームズを殺すことが出来ない。それは「俺は怪物じゃない」という反発ではなく、「人を殺すことへの恐怖」の強さが何よりも大きい。
 もちろん大抵の人にとって、殺人は恐ろしい。しかしクレイトンの場合、「父を喜ばせるために同じ海兵隊員を志願したのに、盲腸を患って実戦経験が無いまま帰国したせいで嘲笑された」という心の傷がある。そのせいで、彼は他の人とと異なる意味で、殺人への怯えがある。
 泣きじゃくるクレイトンを見て我に返ったジェームズは、プールに入って自害する。「素晴らしい人生」として生涯を終え、正気を保ったまま、戦場で死んだバーネットの元へ行くことを選択するのだ。

(観賞日:2017年1月25日)

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