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週刊新潮の言論テロふたたび

週刊新潮は同業他社と比べて訴えられることがダントツに多く、しかもほぼ全敗。負けても売上さえ伸びればいい、訴訟はコストと考えている週刊誌のようだ。そんな週刊新潮に松本サリン報道をはじめ薬害エイズ報道での名誉棄損訴訟など数えきれない前科があるのは、ある意味で必然といえるのかもしれない。

1996年には衝撃のデマ報道で世間を騒がせている。朝日にサンゴあり、週刊新潮に信平(のぶひら)事件ありと言われた狂言事件がそれだ。これは元創価学会幹部の女性が三度にわたって池田大作名誉会長にレイプされたというもので、後にゼロからのデッチ上げだったことが判明している。

歴史は繰り返す。そして週刊新潮は学習しない。'96の信平狂言事件から25年の後、週刊新潮は再び猿芝居にステージを提供することとなった。2017年、まるで焼き直しのようなシェラトン事件の幕が上がったのである。信平狂言事件を調べてみると、動機、背景から事の展開に至るまで何もかもがシェラトン事件とそっくりで驚きを禁じ得ない。まるでデジャブだ!

信平狂言事件の詳細については山本栄一著『言論のテロリズム』、丸山実・坂口義弘著『週刊新潮の知られざる内幕』ほか、複数の書籍で詳解されている。

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■ 事件の概要

事の発端は、かつて創価学会の幹部だった北海道の女性が「池田大作名誉会長から強姦された」と、レイプ被害を訴える告発手記を『週刊新潮』に発表したことに始まる。容疑は最終的に、まったく何もない白紙の状態から捏造されたものと判明しており、蓋を開ければ自らの不祥事ゆえに創価を除名になった女性(とその夫)による低俗な逆恨みに過ぎなかった。ところが、週刊新潮はレイプ事件をでっち上げ、利害が一致する複数の反創価勢力が野合して、週刊誌報道~政治家が国会で質疑~記者会見~民事訴訟と、新潮記者のお膳立ての下に進行した。週刊新潮は総計35回にわたって誌上でデマを発信し続けてバッシングの笛を吹き続けたものの、夫妻は裁判で惨敗、最終的に天下の一大誤報として報道・出版業界を震撼させ、同社の経営までも揺るがすこととなった。

■ 事の顛末

信平醇浩・信子夫妻はともに創価学会の要職に就いていたが、夫妻は規約を破って複数の同僚学会員から借金の名目で金銭を騙しとっており、その額は判明しているだけで計8名、総額8千万円近くにのぼる。創価学会本部は規約違反を理由に役職の辞任を求めたが夫妻は拒否。学会本部に抗議の電話をしたり、逆に学会を脅すなど抵抗したものの、最終的に夫婦ともに脱会となった。彼らはこれを根に持ったのだった。落ち度がバレた側が、敵意を共有する者たちを糾合して、逆に真実の側を死にものぐるいで悪者に仕立てるやり方はよくある手口である。

1996年2月15日、信子は『週刊新潮』で、「沈黙を破った北海道元婦人部幹部『私は池田大作にレイプされた』」という見出しの手記を公表し、「1973年・1983年・1991年の三度にわたって池田に強姦され、傷害を負った」、「1992年5月10日の手紙で強姦について池田に抗議したのが役職解任の真の理由」などと述べた。(創価学会による被害の)被害者の会も機関紙でほぼ同様の手記を掲載し、学会と敵対関係にある日蓮正宗妙観講も機関紙に予告記事を掲載。一斉に創価包囲網が敷かれた。

政治家もこの動きに便乗する。時は小沢一郎率いる新進党が公明党の合流を得て大躍進中。95年の参院選比例区で同党は1,250万の得票で自民を抑えて比例第一党に踊り出た。翌96年に予定されていた衆院選では新進党が第一党になる見込みまで浮上しており自民を戦々恐々とさせていた。信平の手記をベースにした記事は都合4回も自民の機関紙に掲載された。

同年2月19日、新潮報道の4日後という異例のスピードで自民党の深谷代議士が委員会で本件に触れたほか、続く2度の国会質問には白川勝彦と原田昇左右(自民)の両大物代議士がそれぞれデマを基に質問に立っている。共産党もまた反自民票が新進党に流れる状況を苦慮しており、かねてからの創価敵視に拍車をかける情況にあった。

事態は新潮記事→記者会見→民事訴訟と続くこととなるが、女性と訴訟代理人は、同年2月23日、まずは新宿ワシントンホテルで会見を開いて女の涙で同情を集め、会見のもようはテレビ・全国紙で報道される。二度目は提訴直後の6月24日FCCJ(日本外国特派員協会)にて。「訴訟は夫婦と弁護士だけで決めた」「政治家とはつながりがない」「借金未返済はでっち上げ」などと述べている。新潮の刷り込みもあり、この頃の世間は狂言をすっかり真に受けていた。

同年6月5日、夫妻は池田に対して損害賠償7,469万円の支払いを求めて東京地方裁判所に提訴する。

事件のフィクサーであった山崎正友なる人物は元弁護士(後に資格剥奪)で、週刊新潮の松田宏編集長(当時)と20年来の知己で昵懇であった。山崎は別の事件で懲役3年を食らった元信者であり、これまた創価学会に根強い怨恨を持つ者だったが、その原因もまた自身の横領と恐喝によるもので逆恨みの極致といえよう。山崎は日ごろから盛んに脱税の裏話など学会の醜聞を周囲に吹聴していたが、「脱税が本当なら国税庁はなぜ摘発しない?」と問い返された際には、「それは小沢一郎が揉み消したからだ」と答えていたという。

告白された3つの事件のうち92年分については公訴時効が経過していなかったため、刑事告発しない理由についての再三の質問があったが、夫妻から具体的な回答はなかった。

'98年5月26日、判決は信平側の全面敗訴であった。一連の騒動には判決確定後に自民党の橋本龍太郎総理が直接電話で創価学会に謝罪するという後日談までついている。(それでも信平夫婦はその後も自民党と橋本総理を訴えるという異常なしぶとさを見せている)

■ 判決

7,469万円の損害賠償を求めた信平夫婦のこけおどし提訴は目論見が見破られ、一連の謀略が法廷で断罪された。一切が事実無根であったことが証明されたのである。こうして週刊新潮をコアとする謀略の一切は灰燼に帰した。

'98年5月東京地裁、翌年7月に東京高裁が、時効が明白な信子の訴え全てと夫・醇浩の訴えの一部に対して敗訴の判決を言い渡した。これと分離されて残った醇浩の訴えについても'00年5月に東京地裁が「訴権の濫用」として却下した。日本裁判史上でわずか十数例しかない画期的な判決といわれており、司法界でも注目を集めたそうだ。それほど悪質性が高い不当訴訟だったということだ。

■ おそまつな創作

この狂言には前例となる事件が存在しており・いきなり背後からのしかかられた・足を掛けられ押し倒された・二階から駆け下りて女子トイレに逃げ込み・付着したものを何度も拭いた等々・・・ディテールの設定が先行事例をことごとく真似たもので、前例についても被害者が実名で告発を行っていたことが後日判明する。

<昭和58年の事件>
・事件現場となったプレハブ建築物が当時、存在しなかったと検証で判明
・事件があったとされた日時・場所が不合理に変遷した
・提訴から3年8か月も経過した時点で突然、原告が「事件は3回ではなく4回だった」と言い出し、訴えの基本的骨格にかかわる部分を変更したが、理由は不合理で信用性を欠いていた
・被告側の反論が提示されるたびに原告の主張がクルクルと変遷した
・被害があったとされる直後に撮影された写真で、原告は屈託なく笑って映っており被害があったことが疑わしい

<平成3年の事件>
・主張が不合理に変遷
・事件があったと主張する時間に、原告は現場にいなかったことが判明
・”事件現場”には人通りがあり、事件が発生するような場所ではなかった
・直後に撮られた写真では、これまたにこやかに笑っていた

■ シェラトン事件との類似点

実名+顔出しで性被害を告発--これには複数の前例があったことが分かるが、狂言事件は数々の点でシェラトン事件と酷似している。後者が一審で勝訴したことを除けば事件はうり二つなのだ。

・話はデッチ上げで巧妙に仕掛けられた策謀であったこと
・原告の動機は(自らの落ち度による)逆恨み
・訴訟をイヤガラセと騒ぎに利用
・細部までそっくりな先行事例の存在
・週刊新潮が深く関与
・まずは記事と記者会見でぶち上げて宣伝戦をスタート
・FCCJでも会見
・敵対勢力に訴訟で脅しをかける行為
・政治がらみの背景
・不透明な「権力者が揉み消した」という作話
・一味の一人が新潮報道の直前に情報をリーク・・・等々

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小沢さんは西松建設以上の言いがかりに怒ってもいいだろう。シェラトン事件の場合は手記が複数外国語に翻訳されて出版されており、話が海外にまで波及した。被害が国内に留まらない点で事態はより深刻だろう。

■ 新潮社の役割

週刊新潮は本件を35回にわたって報道したが、最初期の取材の録音が残っており、『言論のテロリズム』にはテープ起こしが一部紹介されている。信子の証言はしどろもどろで、新潮社が同席させた弁護士も「とても話にならない」と匙を投げている始末。それでも手記は仕立て上げられ、記者会見も開かれ、担当記者は「民事で行きましょう!」と訴訟の段取りまで手引した。記者がウソ話と分かってやっていたのはほぼ間違いないだろう。なにより、詳細を調べる前から、すでに記事のタイトルは決まっていたというのだから呆れて物が言えないが、これは同誌の通常のやり方らしい。

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編集部は、タイトルのほか取材前からページ数(6ページ)まで決めていたという。その後も延々と同ネタを引っ張った週刊新潮は、この事件に深く関わる・・・どころか、当初より首謀者夫婦と結託して策謀を牽引し、事実無根の作話を何の検証もなくスキャンダラスに騒ぎ立てて売上を積み上げた。しかしこれは、20世紀最後の大誤報として出版業界の汚点となったのである。

■ 感想

ここまで読まれた方は具体的に比較するまでもなく、シェラトン事件との類似性に驚かれたに違いない。このことは既に90年代に、シェラトン事件のひな型が完璧に出来上がっていたことを意味している。訴訟の狙いは「騒ぎ立てること」にあり、支離滅裂であろうが何であろうが騒ぎ続けることで、当事者の逆恨みの昏い衝動は満たされ、雑誌は売れ続けて政治家は政敵を弱らせることができた。だが幸いにも司法の目は節穴ではなく、当時の地裁裁判長は存在しない給水タンクを事実認定するタイプではなかったのである。

「訴権の濫用」につき、今後は頻発が予測されるスラップ訴訟に備えて、事前にスクリーニングできるよう、米国加州に倣って司法は早急にガイドラインを設けるべきである。

■ 補記

週刊新潮の販売部数は'86当時は60万部以上だった。'95年には落ちても55万部。現在は24万部(2018年ABC調べ)と雑誌の存続が危ぶまれる状況にある。文春砲に押される新潮は、週刊文春の後塵を拝しつつ出版不況の中でも目に見えて危機的状況にあるといえよう。業界では誤報1発で10万部落ちるといわれるから、伊藤裁判控訴審の結果次第では消滅するかもしれない。ぜひとも潰れてどうぞ、だ。

なお、週刊新潮の35回に及ぶデマの狂騒には系列の『FOCUS』も写真報道で参加しているが、この頃のFOCUSには清水潔氏が在籍していた。清水氏がFOCUSから日テレに移籍したのは裁判が結審した後、同誌廃刊後の2001年のことである。

清水さん、あなたは信平狂言事件の一部始終を間近で目撃していましたね?