【振付師】マイケル・ジャクソンや少年隊を手掛けた伝説のコレオグラファー
休日の学生に許された怠惰な贅沢、それは何でしょう?
それは二度寝に違いありませんね。
七時に荒れ狂う目覚ましを倒した後、目を覚ましたのは十二時。
radiko開き、NHK-FMから流れてきたのは、
少年隊「君だけに」
少年隊は1981年に結成されたジャニーズのアイドルグループ。
左から、
現在は舞台演出や脚本家として活躍する“ニッキ”こと錦織一清
「渡る世間は鬼ばかり」の本間英作役“カッちゃん”こと植草克秀
「刑事7人」の主演やMJファンとして有名な“ヒガシ”こと東山紀之
錦織と植草は、9月20日にジャニーズ事務所を退所すると発表し話題になった。
そんな少年隊の絶対的な強みはダンスである。
そのダンスの秘訣はここにある。
彼らはデビュー前より、マイケル・ジャクソンの「スリラー」や「今夜はビート・イット」を担当した振付師から、1日8時間のレッスンを受けていたのだ。
また、「ダイアモンド・アイズ」「ONE STEP BEYOND」の振り付けを担当したのも彼である。
誰もが知るジャニーズのレジェンド、少年隊の踊りを磨き上げた伝説の振付師について述べていく。
伝説の振付師 マイケル・ピーターソンとは?
彼はアフリカ系アメリカ人の父とユダヤ人の母の間に、
1948年にニューヨークのブルックリンで生まれた。
1994年にロサンゼルスで46歳という若さで亡くなられた。
そんな彼のキャリアを辿っていこう。
60-70年代 下積み時代
ダンサーのタリー・ビーティー、アルビン・エイリー、バーニス・ジョンソン、フレッドベンジャミンなどと共演し、モダン・ダンスの振付師兼ダンサーとして活躍。
1975年 堂々の初キャリア
Disco時代の名曲として知られるドナ・サマーの"愛の誘惑"(Love To Love You Baby)において、セクシーかつ幻想的な魅力が漏れ出すエキセントリックな振り付けを手掛けたことにより、彼のキャリアはスタートする。
1979年 初のブロードウェイの振付担当
グレゴリー・ハインズ主演のブロードウェイミュージカル"Comin' Uptown"のステージダンスを担当。
1981年 トニー賞を受賞
ブロードウェイミュージカル"Dream Girls"で、演出のマイケル・ベネットと共に振り付けを担当。この公演でトニー賞を受賞する。
ステージバージョン。上記の少年隊のパフォーマンスと重なるところも多く興味深い。
1982年 今夜はビート・イット
ボブ・ジラルディが監督したマイケル・ジャクソンの"Beat It"において、振付を担当。しただけでなく、ダンサーとして出演。
白いスカジャンに、80sの象徴ティアドロップ型のグラサンをかけたストリート・ギャング団の片方のボス役。
3:00頃で彼のキレの良いダイナミックな踊りがみられます。
同年 スリラー
ジョン・ランディスが監督したマイケル・ジャクソンの"Thliller"の振付を担当。誰もが知るあのゾンビダンスを手掛けたのも彼。
Beat Itのショートフィルムは、
対立する2つのストリート・ギャング団の抗争をマイケルがダンスで仲介するという構成になっている。
右手にいるのはご存知ピーターソンだが、左手にいるの人物もMJとピーターに深く関わりのある人物なのだ。
彼はヴィンセント・パターソンといい、当時はピーターのアシスタントを務めていた。スリラーでもゾンビ役で踊っている。
後に、ゼロ・グラビティで有名な"Smooth Criminal"やホーム・アローンのマコーレ・カルキンの出演やモーフィング映像が話題になった"Black or White"などで振付師を担当することになるが、
それはまた別のお話。
1984年
元コモドアーズのライオネル・リッチーがジェイムズ・アンソニー・カーマイケルと作曲した"Hello"(ハロー / 出会いの扉)のMVの振付を担当。ダンス教師役として出演も。
1985年
ブロードウェイミュージカル"Leader of the Pack"で、キャリア初となる監督を任された。
1986年
少年隊のミュージカル”PLAYZONE”シリーズの第1回上演に際して、振付師に招かれた。
他にも、
ダイアナ・ロス、ビリー・ジョエル、Earth Wind & FireなどのPVの振り付け、ツアー監督を担当していた。
(ニュース番組での特集がYoutubeに残っていました。英語が聞き取れる方は是非。)
彼のルーツはモダン・ダンスにあり?
優れたリズム感、フットワークの軽さ、キレ、ステップ、タイミングを自在に操る力、瞬発力そして何より力強い。
彼のことを調べてて一番気になったのは、彼のダンスのルーツ。
しかし踊りを始めたキッカケなど彼の過去が見つからなかった。
ので分かる範囲内で考察をしていこうと思う。
キッカケ
彼が生まれたのはミュージカルの本場、ニューヨークの郊外ブルックリン。様々な文化、民族、人種が集う場所でユダヤ文化の中心地でもある。この場所で育つうえで、ミュージカルのなかでも、特に自由な形式で表現するダンスに興味を持ち、習得。
中でも、バレエ特有の型やトウシューズを排除し、自由な表現を追求したモダンダンスに惹かれていったのか。
クラシックバレエからモダンへの展開
第一人者 イサドラ・ダンカンの踊り
レオタードを纏い、女性の艶めかさを全面に体現。するだけでなく情熱や闘志を感じさせるキレのある動き。
この緩急がなんともいえない。
ふと思ったのだが、上記のドナ・サマーの"愛の誘惑"との親和性を感じる。
モダンダンスからコンテンポラリーダンスへ
バレエのスタイルから発展したモダン(近代)ダンス。そこから派生したのがコンテンポラリー(現代)ダンスである。基本的な概念はモダンダンスと同じで、「自由な表現」「型がない」「己の身体での表現」という点を踏襲しつつ「変化と混乱に満ちた60年代」という新たな時代背景の表現に移りかわぅたものです。
よりダイナミックでメリハリのある表現となり、変化の時代のためかスピーディな構成となっていますね。(Gleeのダンスを思い出す)
個人的に、マイケルのPVの振付との親和性を感じます。
まとめ
ピーターソンがモダンダンスのしごとをしていたのは60年代。
ちょうどこの60sからモダンダンスはコンテンポラリーダンスへと派生した。その流れの第一線に、彼はいた。
・ジャニーズNo.1のダンスの実力を持つと評される少年隊の裏には彼がいた。
・数々のブロードウェイ・ミュージカルの振付を手掛け、アメリカの演劇界で最も権威のあるトミー賞を受賞した。
・ダンスの神様 Michael Jacksonのダンスの振付を担当していた。
・それは誰もが知る"Thliller"と"Beat It"
・弟子のヴィンセントはゼロ・グラビティを開発
あとがき
ご覧いただきありがとうございました。
初投稿だったので要領も悪く一晩中かかってしまいました...。
マイケル・ジャクソンが個人的に大好きで、今後もプロデューサーのクインシーや振付のヴィンセント、日本人ダンサー ケント・モリ、エンジニアのブルーススウェーデンなど周辺人物を書いていこうと思っています。
コメントなどで、アドバイスや感想いただけると幸いです。
ではまた。
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