40歳からの独立 -人材派遣会社をクビになり、映像クリエイターとして独立して4年-No.2 会社を辞める前に準備したこと…



こんにちは。山本 輔です。
前回からあっという間に3ヶ月が経ってしまいました。ところどころで「Note期待してます」という言葉を伝え聞き、その度に軽やかなプレッシャーを感じたり、喜びを感じたりしていました。同時に、読んでくださっている方々へ僕が何を提供できているのか…わずかながら不安も感じつつ、今回の内容をしたためています。

さて、前回テーマにした「会社を辞める前に準備したこと」
時系列的には、決断したきっかけから書かないといけないのでしょうが、それはまた次回に取っておいて。

辞めよう、と思った後、僕は何をしたのか。
当然、僕だって人間です(最近そう思われてないことが多いけど)。将来や明日の生活に不安を感じることだってあります。会社を辞めるにあたっては、当然「食べていけるかな」とか「将来どうしよう」とか、人並みに不安を感じていました。

転職であれば、もちろんキャリアアップのために、次のステップが見つかって、不安がなくなってから実行するものでしょうし、独立も、本来なら「次の展望」が見えてから行うものでしょう。いや、それが望ましい。独立を希望される方には「ちょっと待って。ちゃんと将来の展望を考えようか」と人並みなアドバイスを送りたくなるのです。

でも、僕はそうじゃなかった。
やんごとない事情で、辞めざるを得なくなり、40歳を超えて満足のいく転職もできる可能性も少ない中、その中でどうやって食べていこうか、と考えたときに。

退職を考え始めたのは2013年の12月。
実際に退職届を出したのは2014年の8月でした。

その間、逡巡もありました。でも、いわゆる「起業準備」や「転職活動」と呼ばれるような活動をしながら業務をしていたわけでもありません。会社の仕事に集中していたのも、また事実です。

ただ、退職する道を考えた際に「本当に僕が出せる価値は何なのだろうか。世間から認められる役割は何なのだろうか」という時点から、ちゃんと考え直さなきゃいけないな、と思ったのです。転職するか、独立するか、ということよりも前に。

一人の社会人として、僕が社会に何を行えて、そのお役に見合ったをオヒネリもらうことができるのか。それが解らないのであれば、何も進まないな、と。

社会に対して僕は何をできるのか。何をしたら喜んでもらえるのか。それは、自分自身では決められない。
それは、社会に教えてもらうしかないよな…というのが結論でして。

僕は、休日を使って、他の方々からの依頼ごとを引き受け始めました。
副業ではありません。お金をもらわないことを、たくさんやり始めたのです。

撮影現場に行く。結婚式のお祝い映像を作る。友達の編集現場にお邪魔する。Webサイト制作を引き受ける。チラシやパンフレットの制作を引き受ける。。。

今思うと、映像とデジタルクリエイティブばかりですが、僕が選んだわけじゃありません。飲み会の席や友人とのやり取りの中で「あ、手伝うよ」とか「その日空いてるから、手伝っていいかな」といろいろ声をかけてみて、任せてくれたことが「映像とデジタルクリエイティブ」だったのです。

まず、これが第一ステップ。
お金をもらわなくても、任せてもらえるものは、何なのか。
そもそも、無給でも任せてもらえないものは、「お前はその分野では役に立たない」と言われているのです。現に、会計帳簿付けの手伝いは、声をかけても「あ、いや、いいです」と言われましたし、建築現場はお声かけてもまったく相手にされませんでした。もっと細かいことでは、BBQで「あ、僕が肉焼くよ」と言ったら「いいから輔さんは座って食べててもらえますか」とさえも言われた。これもまあ、一つの「自分に任せてもらえること、任せてもらえないこと」の見極めでした。

まず「無償でも引き受けさせてもらえるものが何なのか」の確認作業を行ったのです。

その上で第二ステップ。
「納品して喜んでもらって、さらに再度お願いしてもらえるものは何なのか」

ここです。

僕はここで自分が「世の中から認められている役割は何なのか」を見極めていきました。

タダ働きなら何だってさせてもらえるじゃないか、と思いきや、当然迷惑をかけてたら任せてくれないのです。何度でも声がかかることがあれば、それは何か役に立っている、ということなのです。そしてまた、社会にニーズがあって市場がある分野だということなのです。

市場と言っても、世界規模のブームの話じゃない。あくまで、自分の身の回りで「自分が役に立てるけど、人が足りない世界がどこなのか」という意味での、とても小さい市場です。でも、それで十分なのです。


同時に、これを進める中で「苦手なこと」「疲れること」も自分の中で見極め「もう、やりたくないな」と思うことも、手放していきました。もちろん、そんなわがままは言ってられないのですけどね。

でも、それを繰り返していくと、やりたいことばかりになりました。日々は充実してきました。疲れも感じませんでした。
これを半年繰り返すと、フィルターを超えて残るものが見極められていくのです。何度も声がかかるもの。喜んでもらえるもの。そして僕が疲れにくいもの。

この時点で自分が知ったこと。
僕の特化物は「映像編集」なんだと焦点が絞れてきたのです。
そう、これも大事なこと。僕は動画ブームに乗ったわけでもなく、自分で「映像屋になりたい!」と言ったわけでもない。あくまで、周囲の声に従っていたら、ここにたどり着いただけなのです。


そしてその時に勤めていた会社でも。お礼の気持ちも込めながら。
「この僕のニーズは今の会社でも評価されるものなのだろうか。評価されるものなら、これまでの御礼も込めて、プレゼントしていきたい」と自分の勤めている会社のプロフィール映像とWebサイトを(一応承認のもと)作ってみました。まあでも、会社の本業とはちょっと違うので、夜中に自分のマシンでね。(そもそも会社に映像編集用マシンもWebソフトも存在しない)
それがこちらです。
https://www.career-bank.co.jp/tli/

Webのデザインは若干変わりましたが、内容や文章は僕が書いたまま、今も使っていただいています。映像も、7年前のものですが、今でも残っています。今でも使われているということは、喜んでいただけたのかな、と。

当時、喜んでくださったみなさんの表情含め、「ああ、僕にはこの道なら、生きていけるんじゃないか」という思いがどんどん膨らんでいきました。

会社を辞める前に準備をしたこと。それは
「自分自身が社会の役に立って、疲れなくて、喜んでもらえること」探し、でした。それを、社会にジャッジしてもらおう、と。

この活動を6〜8ヶ月続けてみて、僕自身のポートフォリオも増やしていきました。

この頃は不思議と疲れなかったなぁ…仕事も何もかも充実してました。まあ、自分自身のスキルをどんどん見つけていくことが嬉しかったんでしょうね。

それを元に、じゃあ、退職だ!独立だ!と言いたいところですが、その一歩は、やっぱり怖いのです。じゃあ、それだけのことが分かった上で、最後の踏ん切りになったのは何なのか。独立当初はどんな生活になったのか。それをまた次回お話ししたいと思います。

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ビデオグラファー(映像作家) / 動画職人。映像・動画制作事務所「彌榮制作」代表。 動画とモーショングラフィックスの学校「BYND」テクニカルマスター。 作家もクリエイターも名乗るのは畏れ多かったけど、これ以外に分かり易い名称が無い。神出鬼没の変態紳士。人を愛するろくでなし。
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