仕事に拘りを行き渡らせる

気づけば、社会人になり丸二年が経過した。過去を振り返る中で、全てを血肉としていくことの重要性と、その難しさを感じたので、自身が社会人として一番最初に学んだことの備忘として、noteを書こうとおもう。

自分にとって一番最初の仕事は、インタビューの質問リストの作成であった。そのプロジェクトにおいては特に重要度が高いインタビューではなかったこともあって、インタビューの設計を丸々任された。

たかだか1時間程度の、しかも特に重要度の高くないインタビューにもかかわらず、数日の準備期間を充ててもらい、質問リストを作成した。

当初、1日もあれば大枠は定まり、上司のフィードバックを2回程度貰えば完成すると高をくくっていた。しかし、悉くアウトプットにダメ出しを受け続け、2-3日たっても質問リストは白紙。1時間のインタビューも作れないのかと、自信を喪失し、今後社会人として通用するのかという強烈な不安に襲われたのを覚えている。当時の自分には”たかがインタビュー”なんて思えるはずもなく、まるで将来を占う大一番化のような強いプレッシャーに襲われていた。

更に問題なことには、フィードバック内容を、自分は正直殆ど理解ができていなかった(おそらく上司はあえて抽象的なフィードバックをするにとどめていた)。”解像度が低い”と言われても、どこの部分を指しているのか、どう直せばいいのかは全く方針が分からなかった。

ただ、最初の仕事で踏ん張らないわけにはいかないと、たった1時間のインタビューを金曜夜から日曜の朝にかけて、ぶっつづけで作り込んだ(睡眠はとったが)。とんでもないコスパの悪さだった(そのようなコスパの悪い時間の使い方を許してくれた上司には感謝しかない)。プレッシャーと闘いながら、近所のカフェでうなりながらwordを叩いた。

そうすると、あるタイミングで”全てはwordに入り切った”と思えるタイミングがあった。「全ての文末、改行に拘りを持てた。これでだめならもう能力不足であって努力不足ではない。詰められても仕方ない」と一種の諦めを感じる水準に到達した。そしてwordを上司に送付した。

先述の通り上司のフィードバックをまともに理解できていなかったため、出来不出来は正直判断できなかった。が、結果、アウトプットは上司の要求を満たす水準になっていた。OKのメールを見た時に感じた驚き、安堵、誇らしさはかなり鮮明に思い出せる。

現実問題、仕事は時間との戦いが多く、当時のように時間を十分にかけて一つのアウトプットに全てを注ぎ込むことは難しい。

が、自分の中では、あの「重要ではないインタビューの質問作成」を、仕事の基準の一つとしていきたいと、振り返って改めて感じた。アウトプットを出すたびに、当時注ぎ込めた拘りに負けていないか確認するようにしたい。そのような拘りが行きわたった仕事をして初めて、充足感や成長を得られるのだと思う

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