山岸さんのこと。(3)

山岸さんに電話をかけた。「ご無沙汰しています。田代睦三です」「おお田代さん、どうしてんの、元気ですか」「先日小林亮介が伺ったようで」「そうそう、R(Sのファーストネーム)ちゃんと一緒にね」といった挨拶の後、3月に山岸さんのご自宅へ伺うことを約束した。
そしてやはり同学年の坪良一に久しぶりに連絡をとり、一緒に伺うことにした。坪と小林と僕の三人は在学中から作家活動をし、山岸さんの画廊で企画展もさせてもらったりしていた。そのパンフレットに「凝縮と拡散」という小論も書いていただいたこともある。大学のクラスでは「三人組」とも呼ばれていた。
3月の初め、葛西の山岸さん宅を坪とともに訪れた。都営アパートの7階だったか。埋立地で、戦後化学工場があったところに建てられた団地で、数年前に有害化学物質が土壌から検出されニュースになった話や、もともと漁村だったのが埋め立てられたため、地元の元漁師だった人の子供たちは多額の補償金を貰って働きもせず遊んでいる奴が多い、といった話を楽しそうにしてくれた。
家では共に料理担当である坪と僕が夕飯を作りましょうと言うと、山岸さんが「じゃあスーパーに買い物に行きましょう」と言う。老人の一人暮らし、歩けるのだから当然スーパーに買い物には行くだろうが、その日は「こっちにはこんなもんがある」「これはあっちの方が安い」と団地周辺の大型スーパー三軒をハシゴすることになった。だがそこはさすが元漁師町。魚売り場には新鮮な鯛やキンキ、鰤が市場のように並んでいた。坪が鯛を刺身にすると言うので、僕はそのアラで鯛飯を炊き、鰤大根を作ることにした。
山岸さんの足が酒売り場の前で止まった。医者に言われてもう何年も飲んでないと言う(煙草は時折吸っていたようだ)。しかし三人とも酒好きである。山岸さんは元より、僕らにも今日は特別な日という思いがあった。僕は「そんなに飲めませんよ」と750mlの日本酒ボトルをカートに入れたが、山岸さんは一升瓶にこだわった。一升瓶を手放さなかった。結果750mlボトルは棚に戻し、一升瓶を持ってレジに向かった。
その晩は三人でよく食べ、よく話し、よく飲んだ。そこには煙草の灰が落ちるのも気にせず話に夢中になる山岸さんが十数年振りにいた。「お酒はいいなあ」。そんな山岸さんの台詞が忘れられない。すでに三種類の癌に侵され、しばらく禁欲的な生活を送っていたかも知れない彼に、悪いことをしてしまっただろうか。反省しなければいけない行いだったろうか…その答えは今もわからない。
もうすぐ4月である。花見をしようという話になった。聞けば近所にいい花見ポイントの公園があるという。4月頭に花見をすることを約して、僕らは葛西の山岸邸を辞した。
(この項続く)

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