こんな社会があったら

「弱点に命中。クリティカルヒットだ!」

右手に持った武器で相手プレーヤーを攻撃する。

「本日もミッションをクリア」


ピピピピ… ベッドに置かれたスマートフォンからアラーム音が鳴るのと同時に目が覚める。そしてVRゲームからもログアウトだ。

2027年、僕は東京都内に住む入省5年目の国家公務員である。

冷戦の終結の後、フランシス・フクヤマ氏が1989年に著した『歴史の終わり』では民主主義や資本主義を価値とする西側諸国の勝利が宣言され、軍事対立の緊張の緩和などが進んだ。1990年代にはサミュエル・ハンチントン氏が著書『文明の衝突』により、地政学的リスクはイデオロギーや軍事力から文明へとパラダイムシフトしたと述べている。文明に影響を与える変化は急に起きるものではないが、静かに変化していた。iPhoneと呼ばれるスマートフォンの登場は人々のライフスタイルを急速に変化させた。コンピューターが職場と家庭に1台であった時代から、ほとんどの人がスマートフォンを持ち、誰もがコンピューターを利用する時代になった。総務省から公表されている『平成31年版 情報通信白書』によれば、2017年の日本国内におけるスマートフォン保有率は75.1%となっており、2010年の9.7%から大幅な増加をしている。スマートフォンの発明により、インターネットへアクセスすることは容易となった。スマートフォンの保有率の上昇ととソーシャルメディアの発達は、「いいね戦争(Like War)」と呼ばれる対立をもたらしたこともある。いいね戦争の時代は、インフルエンサーと呼ばれる個人がマスメディアのように発信力を持ち、フォロワーと呼ばれる集団を魅了した時代だ。そして2028年現在の東京ではオンラインゲーム内でのVR戦争が人気になっている。オンラインゲーム内では個人で行動するプレーヤーもいれば、クランと呼ばれるチームを組んで行動するプレーヤーもいる。単独での行動でクリアすることが容易なミッションもあるが、難しいミッションをクリアするためにはクランと呼ばれるチームを組んで行動することが普通だ。オンラインゲーム内でのVR戦争は、ゲーム内でのミッションを達成することのほか、現実世界でも利用できる仮想通貨の獲得などが目的だ。オンラインゲーム内のVR戦争は「戦争」と呼ばれるが、冷戦の時代などにおける軍事力のようなものではなく、あくまで仮想現実での争いであることが特徴でもある。

僕がオンラインゲームでのVR戦争に興味を持ったのは自然なことだった。僕は高校生の頃に友人がおらず、学校が終わるとすぐに自宅へ帰り、ゲームばかりしていたものだ。当時、コンピュータゲームをスポーツのように捉えるeスポーツが盛り上がりを見せ始めた。eスポーツの大会で1億円を超える賞金を獲得するプレーヤーもいれば、eスポーツがアジア競技大会の公開種目として採用されたこともあった。eスポーツのプロプレーヤーはeスポーツをプレイする高校生の間などで憧れられていた。僕はeスポーツのプロプレーヤーになることを目指したこともあった。

2020年には東京で2回目の夏季オリンピックが開催された。2020年に開催された東京オリンピック・パラリンピックでは、サッカーの日本代表チームが準優勝して銀メダルを獲得した。サッカー日本代表チームの中心選手として活躍したのは、レアルマドリードに所属する久保建英選手とFCバルセロナに所属する安部裕葵選手の二人だった。高橋陽一氏の漫画『キャプテン翼』の大空翼選手と岬太郎選手のゴールデンコンビのような活躍だった。1998年にサッカー日本代表がフランスで開催されたW杯に初出場した当時、あと20年もしたら日本人選手がレアルマドリードやFCバルセロナでプレーすると言っていたら、他の人に笑われていただろう。レアルマドリードやFCバルセロナは、ペレ氏やマラドーナ氏と比較されることもあるメッシ選手やクリスティアーノ・ロナウド選手が活躍したクラブでもあるのだ。

また、同時に開催されたパラリンピックでは、メダルを獲得することはできなかったがテニスの国枝慎吾選手が注目を集めた。

東京2020オリンピック・パラリンピックの後の日本国内は、膨張を続ける財政赤字や少子高齢化など多くの課題を抱えていた。僕は大学で経済学や経営学などを学びながら日本の現状について考え、公務員試験の勉強もしていた。1991年2月まで続いたと言われるバブル景気以降、日本経済は「失われた20年」あるいは「失われた30年」と呼ばれる長期停滞を続けていた。2013年に米国のローレンス・サマーズ氏がIMF(国際通貨基金)の会合で「長期停滞論」を提唱したことで、1930年代後半にアルヴィン・ハンセン教授が唱えた「長期停滞(secular stagnation)」が再び注目を集めたこともあった。長期停滞論は、供給サイドの問題である、労働力人口の伸び率の低下や労働生産性の向上が得られないことによる潜在成長率の低下や、その結果として生じる技術的進歩の限界などが要因となってもたらされるとしている。堺屋太一氏の小説に由来する「団塊の世代」のすべてが75歳以上になる2025年は、介護・医療費等の社会保障費などの懸念について「2025年問題」と呼ばれていた。経済学や経営学を学びながら、僕は2025年問題について考えたこともあった。社会保障費は高齢化だけが問題なのか。「日本版レッド・ヘリング仮説」などについて調べてみたこともあった。日本国内ではいくつかの課題はあったものの、2012年12月以降、景気は緩やかな回復基調にあった。僕が大学で学び始める以前から学生の就職率は改善し、2018年の大卒就職率は98.0%と過去最高になっていた。人手不足なども叫ばれるようになり、「ルイスの第2の転換点」を超えると賃金も上昇するのではないかと言われていた。また、新卒採用で高い給与を支払う企業が現れるなど、小さな変化も生じていた。この頃は、日本的経営の見直しや日本らしさのアップデートも叫ばれていた。

僕は大学卒業後の就職について楽観的に思いながらも、毎日の勉強を続けていた。キャンパスライフを楽しんでいる学生も多かったが、僕はキャンパスライフとは無縁の学生であった。そんな僕の勉強の合間の息抜きが、高校の頃から続けているeスポーツへの参加であった。見知らぬ人とのオンラインでの対戦が、唯一の楽しみであった。僕が大学に通学している頃には、日本の大学では論文数が伸び悩んでいることや大学ランキングを上昇させること、企業では博士号を取得した者を積極的に活用できていないことなども課題となっていたが、当時の僕はそのような話題にあまり興味を示さず大学で勉強に励んでいた。そして国家公務員試験に無事に合格して、内閣府から内定を得て採用されることになった。

僕が勉強する際にスマートフォンで聴取していた番組に「おに魂」(のちに「THE魂」と名前が変わったが)がある。同番組のパーソナリティを務めていた古坂大魔王氏がプロデュースするピコ太郎というシンガーソングライターが『PPAP』という曲で有名になった。PPAPはペンパイナッポーアッポーペンといって右手でペンを持ち、左手にアップルを持つという歌詞が歌われていた。僕は右手にペンを持ち、左手に本を持ちながら、アップルのiPhoneで古坂大魔王氏がパーソナリティを務める番組を聴いていた。経済学のFTPLやMMTを勉強しながら、PPAPみたいな響きだなと思ったこともあった。これは余談であるが。

それから、2023年に僕が内閣府に入省してから数年の間は、長時間労働が続いた。しかし「働き方改革」が叫ばれてから10年近く経った頃から、霞が関の長時間労働は減ってきた。霞が関だけでなく民間企業でも長時間労働が改善されていることがニュースになっていた。2017年に約1700時間であった年間実労働時間は、2025年には1400時間台となっていた。労働時間が短縮された要因は様々あったが、週休3日制を導入したり、1日の労働時間を7時間とする企業も増加していた。第4次産業革命によって機械に人の仕事が奪われるのではないかとの懸念もあったが、機械をより良く活用することで働き方が変化し、週休3日制の導入等が進んだ。しかし長時間労働が減ったことにより仕事帰りに街中をぶらぶらするフラリーマンの存在も増えてきた。一方で大学院で研究をしたり、複業をする者も増えてきた。日本人は国際的に自己研鑽をしないと批判されていたが、サラリーマンの間でも少しづつ意識に変化が生じていた。僕は内閣府で経済財政運営の中長期的な方針の策定等を担当する傍らで、大学院に通い研究を続けていた。また余暇の時間はNPOで複業をしたり、SNSで研究の成果の発信などもしていた。「東海岸」と呼ばれる大手町や丸の内に代表される大手企業と「西海岸」と呼ばれるベンチャー企業の融合等を課題としながら。学生の頃には友人がいなかった僕も、内閣府の職員として働いたり、SNSでの発信などを通じて、霞が関だけでなく民間企業等で働く友人も増えてきた。そして僕が就職してから数年たった後、日本国内でも少しづつ変化が生じていると個人的に感じていた。失われた30年を超えて、日本再生も近いのではないか。乗り越えるべき課題は多くあると思いながら。

2027年には、マイナンバーの利用率が低迷する中で、マイナンバー普及のためのアイデアとしてスマートフォンとマイナンバーでログインするオンラインのVRゲームが政府から企画された。また、このゲームは睡眠中でもログインしてプレイできる仕様になっており、ヘルスケアとしても活用できるものであった。2016年にポケモンGOがARを利用したゲームで話題となったが、スマートフォンとマイナンバーでログインするこのVRゲームはポケモンGO以上の話題となった。

このVRゲームは、現実世界での職業などでゲーム内で使用できるスキルが変わってくる。このため、このVRゲームではプレーヤーの得意なスキルや苦手なスキルがそれぞれ異なっている。したがって、プレーヤーのスキルごとにクランと呼ばれるチームを組むことで、ミッションを達成しやすくなったり、クランの成績が向上することになる。

僕は政府からこのVRゲームがリリースされたのち、すぐにこのVRゲームをダウンロードした。子どもの頃からコンピュータゲームをプレイしていた僕は、このVRゲームに大いに興味を持った。総務省にカレー好きの職員を集めて作った「カレー部」という組織があることを知り、僕は内閣府の職員だけでなく、財務省や経済産業省、厚生労働省等の職員を集めてクランと呼ばれるチームを作ることにした。僕が考えたクランの名前は「K13」である。霞が関のKと1府12省庁の中央省庁をもとに考えたアイデアだ。クラン名を考えるのに時間はかからなかった。「K13」という名前は乃木坂46っぽい感じもあり、個人的には気に入っていた。また「K13」には、複業やSNSのオフ会で知り合いとなった友人も参加することがあった。

VRゲームはそれぞれのプレーヤーの特徴が異なることで、ミッションを達成するための戦略はプレーヤーの数だけ存在した。テンプレと呼ばれる攻略法も存在したが、僕たちのクランは常にテンプレの上をいく戦略であった。

VRゲーム内での戦略を立案することには、僕が大学で学んだ経営学などが役に立ったこともあった。一般に各クランに所属するプレーヤーは合理的に行動すると考えられる。プレーヤーはそれぞれの駆け引きの中で価値を最大化することが合理的な決定だ。たとえば、自クランのリソースと他クランのリソースを比較する。自クランの戦略が他クランを上回っていれば、他クランの戦略を模倣することも戦略のひとつだ。また、第3のクランと協力することも戦略として考えられる。大学で学んだマイケル・ポーター氏のファイブフォース分析などの応用みたいなものだなと思ったこともあった。ゲーム内での状況は常に変化し、流動的だ。他クランのリソースが増え、自クランが劣勢になることもある。不利な状況に陥った場合、サンクコストなどもあるが、撤退することが重要な場合もある。また、クランメンバーをマネジメントする際には、マネジメント理論が役立った。どうやったらクランメンバーの能力を発揮させることができるか。メンバー間の心理的安全性を高めることや信頼関係を構築しておくことも大切だ。リーダーシップはリーダーのみに求められるものではない。

2027年には日本政府から「D-Japan」戦略も発表された。Dはデジタルの頭文字で、デジタルガバメントが遅れていた日本が世界最先端の電子国家となるための取組みだ。また、日本国内では政策決定の在り方が指摘されていた時期もある。エビデンスに基づいた政策(Evidence Based Policy Making)の導入などについてだ。「D-Japan」戦略では、政策を提案すると、システムが政策のアウトカムやインパクトを測定し、予算額を決めるというAI(人工知能)による予算編成システムを導入することも提案されていた。AIシステムの導入は、予算担当職員の業務負担の軽減やEBPMによる政策インパクトの向上が図られることになるものである。また、AIシステムの導入によるデータデモクラシーによって、ブキャナン=ワグナーが述べた財政の民主的統制につながることも期待されていた。


僕は日本の未来について考えながら、時々VRゲームにログインする。

「今日は調子が悪いな。」


「危ない!」

そんな時は仲間が助けてくれることもある。

「お前はいつも一人で頑張りすぎなんだよ。」

「俺たちがいるだろ。」


繋がった仲間がいることで、なんとかなるんじゃないかと思うこともあるのだ。新しいつながりが人生を豊かにしてくれることもあるのかもしれない。



(注)マイナンバーについては個人情報の保護の問題等が存在しますが、当文中でマイナンバーを利用しているアイデアはフィクションであり、実際のマイナンバーの利用との関係はありません。

【参考文献】
尾崎達哉、玄田有史(2019)「賃金上昇が抑制されるメカニズム 」、日本銀行ワーキングペーパーシリーズ No.19-J-6 http://www.boj.or.jp/research/wps_rev/wps_2019/wp19j06.htm/ 
田近栄治、菊池潤(2014)「高齢化と医療・介護費―日本版レッド・へリング仮説の検証―」『フィナンシャル・レビュー』2014年3月、財務省財務総合政策研究所 https://www.mof.go.jp/pri/publication/financial_review/fr_list6/r117/r117_03.pdf 

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