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「神も仏もいない」話

理性的なところでは、人智を超える存在はいるのだろうなぁと思ってる。
それが神というものなのか、宇宙人なのかは分からない。
封神演義でいうジョカのような存在かもしれない。

でも私は世間で言うところの神も仏もいないと思ってる。
正確には「皆が思い描く姿、振る舞いをする」神も仏もいない、だけれど。

そう最初に思ったのは高校の時だった。
当時親戚に私の(確か)4歳下の女の子がいた。
家が近いことから小さい頃なんかはよく遊んだ。

その子は癲癇を持っていた。
激しい痙攣を起こすのでなかなか学校へは行けなかった。
当時は小学6年生だったはずだ。中学生になる日を夢見て、ある日手紙を書いた。
「神様、お願いですからこの病気を治してください。学校へ行きたいです。お母さんのお手伝いもします。勉強も頑張ります。だからどうかお願いします。」
こんな感じだったと思う。

手紙を書いたその日にその子は死んだ。
親が少しだけ家を出た数十分の間に、トイレの中で発作を起こしたのだ。
その子には兄弟がいたが、トイレの中だったせいか発見が遅れたようだった。

当時の私は所謂霊が見える状態にあった。信じない方は信じなくて構わないのだけれど。
そんな状態で通夜へ向かった。冷たくなったその子と、手紙があった。
12歳で死ぬなんて誰が思うだろうか。ほんの一時目を離しただけで。

そして通夜の会場にその子の霊は見えなかった。
いないのか、見えないのか、どちらにせよ何もないんだと思って帰ろうとした時だった。
通路にその子がいた。「あ、いた」 ついうっかり声に出してしまった。
その子の母親が泣き崩れる。つられて私の母も泣き崩れた。

悪いことをしたと思った。更につらい思いをさせてしまった。

そのまま立ち去ろうとしたとき、その女の子が泣いていた。
「お母さんが泣いてる」
そう言って泣いていた。自分の死を知ってか知らずか分からないがそう言って泣いていた。
私もこらえきれずに涙が出た。

神も仏もいないと思った。
なぜこうも親思いの良い子が若くして死ななければならないのだ。
しかも手紙を書いたその日のうちに。
こういってはなんだが、顔もいい、ちゃんと勉強してたから頭もいい。
思いやりがあって、優しい子だ。バチが当たるなんてことは絶対にないはずなのに。どうして。このまま生きていれば、きっと素晴らしい人生が待っていたはずなのに。

神は自らの姿に似せて人を作ったという。
神の寵愛を受ければ救われるという。

そんなの嘘だ。
救われてないじゃないか。
これほど神様に熱心に祈る子がいるだろうか。
多くを望んだわけではない。みんなが当たり前に送る日常を、私も送りたいとそれだけを望んだ。
それをはねのけて死を与えるのか。
バカにしてるのか。もはやその所業は悪魔に近いではないか。

家に帰ってからもしばらく考えた。
神などいないのかと。
結論としては冒頭のようなところにたどり着いた。

きっと神はいるのだろう。ただそれは我々が思い描く神ではない。

救いだとかなんとか言ってるが、そんなこと向こうからしたら知ったことではないのだろう。
人智を超えた存在であるだけで、振る舞いは人間と似たようなもんだ。

自らの姿に似せて人を作ったのだって、きっと遊びにすぎないのだろう。
チェスをしてるんだ。駒をたくさん使って。
捨て駒になったポーンが彼女だったんだ。
向こうはなんとも思っちゃいない。

だから、我々が思い描くような形での神などいない。
そう思った。

なんか闇落ちした漫画の登場人物みたいだけど、本当にそう思ってしまう。
きっと世の中にはこういう人は沢山いる。
辛い思いをしたのだって私だけではないはずだ。
その中にはそれでも神を信じたり、そもそも信じてなくて「運が悪かっただけだ」と思ってる人もいるだろう。
それでもいいと思う。

きっとそれも神の掌の上だ

つってね

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