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2023年の振り返り その2

前回の軽井沢勤務についてに続いて今回は体調面について。歳をとっていくと健康でいることにとても価値があることを実感する。元気があればなんでもできるものなのだ。

② 目の手術を行った

実は10年以上前から白内障を患っており、日常生活に支障が出ていた。独身時代の不摂生が祟ってのことなので完全に自業自得だ。先に左目だけを10年前に手術していて、右目は裸眼、左目は眼内レンズで生活していた。
白内障は目の中の水晶体が濁ってしまい、視界がぼやけたり光がやたらまぶしく感じたりする。その当時の主治医の先生と相談して右目はぎりぎりまで手術しないで生活をして、日常生活が難しくなってきたらその時手術しようということになった。

そのまま10年経って左目だけがクリアな視界で生活していたのだが、一昨年の6月から7月にかけて急に左目も見えずらくなった。これは老眼の始まりだと思った。
一昨年、前職の勤続20年のご褒美に特別休暇を取れることになっていた。その休暇を使って西日本の書店巡りをしようとする矢先で視界が悪くなり、せっかく色々な土地を見て回るのに残念だと思いながらも、これは老眼の症状で遅かれ早かれ誰しもがなってしまうようなものなんだ、と諦めて症状は横に置いて旅を満喫してきた。

手術した左目も見えにくくなっていた原因は後発白内障だった。後発白内障は白内障の手術後に発生する合併症のひとつで、視力低下をはじめ、目のかすみやモノがぼやけて見えたり、光をまぶしく感じるなど白内障と似たような症状が出る。それほど珍しいものではないらしい。
自分が老眼だと勘違いしたのは、一緒に働いていた先輩たちの言う老眼の症状と似ていたからだ。パソコンの字や印字された文字が読みにくくなって、これは私もいよいよきたかと思った。

私は外で本を読むのが好きで、電車の中や歩きながらも本を読む。しかし外は光が当たったり影になったりが激しくて、活字を追うことがしんどくなっていた。光が当たっているとまぶしすぎて印字された字が読めなくなってしまっていたのだ。正確には見えなくなっていたと言った方が正しい。見えても字が細く見えずらかった。
あるとき書店で手に取った本の本文の書体が細くて読みにくい、なんでこんな書体を使うのだと思ったことがあったが、なんのことはない、私の目が原因だった。

軽井沢書店に着任して最初に買ったのは書籍ではなくリーディンググラスだった。2年ぶりにレジに入り、POSレジのボタンの位置が見えなくなっていて仕事に支障が出たためだ。これは仕事にならん、と初日に売場にあったリーディンググラスを買って帰った。リーディンググラスのおかげでPOS操作で手間取ることはなかった。

しかしこのまま右目を裸眼のままで酷使していたらいずれ失明してしまうので、病院で改めて検査をしてもらい右目の白内障の手術をすることになった。そのとき左目も後発白内障の症状が出ていると教えてもらった。老眼ではなかった。
後発白内障はレーザーによる治療で回復するそうで、時間もかからずすぐに終わった。麻酔が効いているので痛みはなく視界もぼやけているのだが、手術中、自分の眼球にレーザーが当たっている感触があってそれはそれは恐怖だった。正気でいられた自分は偉いとさえ思った。あのような体験は出来れば二度と味わいたくはない。この数週間後に右目も同じようなことやったのだけど。
右目は左目のようにレーザーを当てるだけという簡単な作業ではなく、目の中の濁った水晶体を取り除き、そのあとに眼内レンズを挿入する。この作業が自分の目の中で行われていることをぼんやりと知覚しながら、何かが起きているのを感じながら、ただただ手術が無事に終わることを祈ることしかできなかった。あのような体験は出来れば二度と味わいたくはない。本当に。

手術は無事終わり、10数年ぶりに両目ともクリアな世界を見た。小さな気付きにいちいち感動した。ものの輪郭がこんなにはっきり見えるとは!
スマホの画面が日なたでもクリアに見える。
信号が変わる瞬間が分かる。
遠くの山々の木々まではっきり見える。
なにより本に書いてある文字が読める。
目が慣れるまでは光の見え方が少し不自由だったが、体が順応してからは快適だった。

目が悪くなって一番つらかったのが本が読めなくなってしまったことだった。本が読めな過ぎて昨年は本屋大賞の2次投票を初めて逃した。
忙しかったといえばそうなのだが、文字を追うのが苦痛でちょっとずつしかページが進められず、早々に諦めた。大賞作品だけは何とか読み終えたがあまり内容が頭に入ってこず、術後に改めて読み直して深く感動した。

大阪にいたころ、当時出版社で販売部の部長をされていたFさんから「年取ると文庫の字が読めなくなるから、今のうちにたくさん読んでおいた方がいいよ」と言われたことをずっと覚えていて、視力は回復しないものなのだと半ば諦めていたのだが、両目とも今はクリアとなり、それだけで気持ちは明るくなった。

健康でいることで健全な精神を保つことが出来るのだ。

続く


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